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13話 贋物の少女の父

(――へっ?)


 穣司は心臓がすうっと冷たくなる感覚がした。

 全くもって身に覚えがない。穣司としても、父親になるであろう行為をした事はある。とは言っても、実際に相手に子供が出来たという経験もなく、心辺りも当然ない。そもそも世界が違う。

 しかし少女は、自分の事をおとーさんと呼ぶ。それでも父親と呼ばれる事に見当がつかない。もしかすると、この世界で知らず知らずのうちに、何かしてしまったのだろうか。あるいはナニカサレタのか。

 そもそも、この世界における父親とは何なのだろうか。子作りの方法は、元の世界と同じなのか。それともコウノトリ的な何かが運んでくるのだろうか。

 穣司は考えれば考える程、思考の迷路から抜け出せなくなった。


 一呼吸おいて周りを確認する。

 アンジェリカ達の眼差しが、別の意味で痛かった。

 なぜ認知してあげないんですかと、無言の圧力を掛けられているように思えてしまう。こういう時、女性比率の高い集団からの視線は恐ろしく感じる。

 とてもじゃないが、自分は父親じゃないと、言える空気ではない。答えを間違えれば、蔑んだ目で見られそうで、穣司は胃がキリキリと痛むような気がした。


 背中に冷や汗が流れ落ちる。

 それでも無理矢理に呼吸を落ち着かせ、穣司は少女の言葉を反芻する。

 まずは言語だ。少女の話す言葉は、アンジェリカ達とは違っていた。つまり古い言葉である。

 ならばこの少女は、アンジェリカ達とは別の集団に属しているのかも知れない。だが、それだけだ。この状況では役に立ちそうにない。


 次に少女は『はじめまして』と言っていた。

 間違いなく初対面だ。穣司としても、その通りだと頷きたかった。

 しかし、なぜ初対面であるはずなのに、父親だと断言したのだろうか。髪も肌の色も違えば、顔付きだって別物だ。似ているところはまるでない。そもそもフードを深く被っているから、顔付きもはっきりと見えないはずである。

 だが、それを少女に言う事は憚られる。この純真無垢の笑顔に、陰りが落ちる様子は見たくなかった。

 それでも攻めなければ、突破口は見つからない。なるべく少女が傷付かないように、言葉を選ばなければならないだろう。なかなか骨が折れる勝負だと、穣司は腹を括る。そして顔がはっきりと確認出来るようにとフードを脱いだ。


『どうして俺がお父さんだって分かったのかな?』


『おかーさんと、同じ匂いがしたから、すぐに分かった。とても優しい匂い』


 少女は最上級の笑顔で即答した。

 そのあまりにも嬉しそうな顔に嘘はないように思えた。出鱈目を言っているようには見えない。

 だからこそ穣司は余計に混乱する。貼り付けたような笑顔を保つのが精一杯だった。


(母親と同じ匂いって何それ!?)


 攻めたつもりが、手痛いカウンターを食らってしまった。意識が飛んでしまうような、顎を打ち抜くストレートだ。

 穣司としても、母親と同じ匂いがするから、あなたが父親だと、言われるとは想定していなかった。子供だから仕方がないのかも知れないが説得力皆無である。それでも嘘を言っているように思えないのが尚、恐ろしい。


『そ、そっかぁ。匂いが同じなのかぁ。そういえば名前を聞いてなかったね。はじめましてだから、名前を教えてくれるかな?俺はジョージだよ』


『私はテネブラ!』


 テネブラは目を細めたまま答えた。


『ありがとうテネブラ。テネブラはとても鼻が良いんだね』


『うん!』

 

 誉められて鼻が高いのか、テネブラは誇らしげに頷いた。

 どうやらこの少女は、父親が娘の名前を知らなくても、違和感を覚えないらしい。その様子に穣司は内心ホッとする。

 そして次が本題だ。これを聞けば、この少女の正体を説き明かす事が出来るかも知れない。


『……じゃあ、お母さんどこにいるのかな?』


『おかーさんは、いなくなっちゃった。みんなも、いなくなっちゃった。だから、ずっとこの島で独りぼっち』


 テネブラから笑顔が消えた。

 憂いを帯びた悲しげな瞳が、穣司の心に突き刺さる。地雷を踏んでしまったかと、焦りが生じる。


『……ずっと一人で?』


『……うん』


『そっか、寂しかったね』


『でも、ちょっとだけ平気だった。昔にね、おかーさんが、言ってた。おとーさんは、遠い所に行ってるって。だからね、いつか、おとーさんが来てくれるって思ってたから、大丈夫』


 テネブラは再び笑顔に戻り、穣司に抱き付く。


『あぁ……。そっか、テネブラは……偉いんだね』


 穣司は声が震えそうになるのを堪え、テネブラの頭を優しく撫でる。

 そして息が乱れてしまわないように、ゆっくりと深呼吸してから空を見上げた。


 おそらくテネブラの本当の父親は、既に亡くなっているのだろう。あるいは行方不明になったのかも知れない。父親が遠くへ行ったというのは、死別か失踪の意味に感じられる。それでも娘を悲しませないように、きっと母親が優しい嘘を吐いたのだ。

 そして母親を失ったテネブラは、その優しい嘘を信じて、いつか父親が迎えに来てくれると信じて、この島で待っていたのだろう。あの巨獣に怯えながら、ずっと独りぼっちで。


(帰るはずのない父親の帰りを、一人で待っていたのか……)


 この島は外部と隔てている孤島だ。上空からの景色でも、この島の周囲には海しかなかった。幼い少女一人の力では、海を渡る事は不可能だろう。だからひたすら待つしか無かった。

 そしてようやく大人の男と出会えた。父親かも知れないという期待を込めていたのだろう。だからあんなにも嬉しそうだったのだ。

 そう考えると目頭が熱くなり、鼻にツンとした痛みが生じる。空を見上げていないと、涙が溢れ落ちそうだった。


 匂いが同じという事が、何を意味しているのか、穣司には分からなかった。母親と似たものを感じたのかも知れない。あるいは寂しさから、そう思い込んでいるだけなのかも知れない。どちらにしても今の穣司には、テネブラを否定する気など失せていた。

 もちろん、いずれ本当の事を告げるべきだろう。穣司はこの世界の住人ではないし、旅をして回らなくてはいけない。しかし、それは今じゃなくてもいいはずだ。

 残酷な真実を伝えるには、テネブラは幼すぎる。今だけでも優しい嘘に浸らせてあげたかった。


 穣司は屈み、テネブラを抱き締める。

 そしてあやすようにポンポンと背中を優しく叩いた。

 テネブラはエヘヘと笑い、小さな体で力一杯に抱き返してくる。


(愛情に飢えていたんだな。辛かったろうに)


 啜り泣く声が聞こえ、穣司はそちらに目をやった。

 アンジェリカ達は感極まってしまったのか、瞳を潤ませていた。その中でも二十代半ば程度の見た目の女性が、鼻を両手で押さえながら、一際大粒の涙を流している。穣司は、よく泣く人達だなと思い、つい笑みがこぼれてしまう。


 大袈裟なところはあるが、悪い人達じゃないんだろうなと、穣司は思った。この人達ならテネブラの友達になってくれるかも知れない。それにテネブラと同じ年頃くらいの少年少女達もいる。

 この人達と上手くやっていけたら、自分がいなくなってしまっても、テネブラはやっていけるかも知れないなと穣司は考える。

 その為にはまずは言葉だ。能力(ちから)のお陰でアンジェリカ達の新しい言語を、瞬間学習(スピードラーニング)する事が出来た。それをテネブラにも応用出来るだろうか。いや、きっと出来るはずだ。穣司はこの能力(ちから)に不可能はない気がした。


『テネブラはあの人達とお喋り出来ないよね?』


『出来ない』


 テネブラは口を尖らせ、首を横に振った。


『そっか。じゃあテネブラが、あの人達とお喋り出来るようにしてもいいかな?』


『いいの?本当に?』


『もちろんだよ。あ、でも、気持ち悪くなったりしたら言ってね』


『うん、分かった!』


 テネブラは花が咲いたような笑みを浮かべ、子供らしい元気さで言った。

 喜ぶ姿が心から愛らしい。親が子供の為に頑張れるのは、この笑顔を貰えるからなんだろうなと穣司は思う。


 さっそく穣司はテネブラの頭に掌を載せる。

 自らの脳に刻まれた言語知識を複写して、ゆっくりとテネブラの頭に送り込む。自分には何ともなくても、少女の幼い身体には酷かも知れない。だから一度に大量の情報を送る事を危ぶんだ。

 淡い光は穏やかに波を打ち、穣司の腕からテネブラの頭へと、伝わってゆく。

 完全に父親(ジョージ)を信頼しきっているのか、テネブラからは不安そうにしている様子は見られない。微笑みを浮かべたまま、気持ち良さそうに目を細めていた。時折、鼻歌交じりに古語と新語で「おとーさん」と交互に呟いている。


 知恵熱や吐き気等を催すかも知れないと心配したが、どうやら杞憂だったらしい。テネブラに体調の陰りは見られなく、むしろ調子の良さそうにしていた。

 その様子に穣司も安堵する。


「よし、これで全部かな」


 新しい言語知識の全てを送った穣司は軽快に言った。


「わぁ、凄い!おとーさん、ありがとう!」


 テネブラは穣司の服を掴み、うさぎのように飛び跳ねながら、嬉しそうに新らたな言葉で言った。


 そして、そのままアンジェリカ達に向かって歩き始め、アンジェリカの目と鼻の先で止まる。

 背筋を伸ばして胸を張り、腰に手を当てる。まるで仁王立ちのような姿だ。


「これで、言葉にして、お前達と会話が出来る。おとーさんに感謝すべき。お前達には色々と、やる事があるけど、まずはその破れた服を、何とかした方がいい」


 幼い声色を出来るだけ厳つくして、不遜な態度でテネブラが言う。


「はい、承知しました! ジョージ様ありがとうございます!」


 アンジェリカは言い淀む事なく言葉を返し、続いてアンジェリカの仲間も唱和する。

 まるで教官と新兵達のようなワンシーンを見ているようで穣司は吹き出す。


「ちょ、ええ!?」


 驚愕と当惑の混じった声が穣司から飛び出る。

 思ってたいたのと色々違っていた。ぎこちなくもテネブラが挨拶をして、アンジェリカ達に受け入れられていくハートフルなものを想像していた。

 穣司は心温まるヒューマンドラマの始まりを期待していたのだ。ゆくゆくは少年との淡い恋物語も始まるかも知れないと思っていた。

 しかし現実は新兵教育の研修の一場面のようだった。ハートフルではなく、ハートの名のつく某軍曹でも出てきそうだった。

 これが異世界の文化なのだろうか。これではまるでテネブラの方が格が上だ。しかもアンジェリカ達も、それを当然の事のように受け入れている。


「テ、テネブラちゃん?ちょっとこっちに来ようか」


「えへへ、おとーさんから、テネブラちゃんって呼ばれた」


 テネブラは瞬時に元の声色になり、嬉しそうに小走りで戻ってくる。


「あんな言い方だと友達失くしちゃうよ?」


 穣司は屈んでテネブラの目線に合わせて言う。


「友達?別にいらない。おとーさんがいるだけで私は満足」


 事も無げに言うテネブラに穣司は不安になった。

 アンジェリカ達の態度は一先ず置いておくとして、テネブラの態度はコミュニケーション不足のせいかも知れない。長年一人で過ごしていた少女には、仕方がないのかも知れないが、これではテネブラの行く末が思いやられる。集団から孤立してしまえば、一人だけの時より辛いかも知れない。


「そっかぁ、でもなぁ。俺はテネブラが皆と仲良しになれたら嬉しいんだけどなぁ」


 穣司は猫なで声で媚びるように言った。


「ん、分かった!その方がおとーさんが嬉しいなら、あいつらと仲良くする」


「あいつら、じゃなくて皆、ね。俺は優しい言葉のテネブラが好きだなぁ」


「――!! みんな、皆と仲良くする!」


「うん、テネブラはいい子だね」


 穣司は柔らかな声でテネブラに微笑む。

 そして心の中で謝りながら、何度も頭を優しく撫でた。

 テネブラの素直な態度に、穣司は心に疼きを感じる。

 少女の親愛を利用した汚いやり方なのは自覚している。それがたとえ自己満足だとしても、少女には皆と打ち解けてほしかったのだ。

 いつまでも一緒にはいられないのだから――


 穣司がそんな寂寥感にも似たものを感じていると、ぐぅ~っと場を和ますような音が聞こえた。

 ささやかに空腹を抗議する、可愛らしい腹の音だ。

 目をやると、前髪の短いロングヘアーの幼い少女が、お腹を押さえて赤面していた。

 幼くてもやはり女の子なのだろう。恥じらっている姿が微笑ましく、思わず笑みがこぼれてしまう。


「そっか、もう晩御飯の時間だもんね。食べられる物って何かあるのかな?それに皆の着替えも必要だね」


 もう日が暮れている。

 色々と話したい事もあるが、まずは食事とアンジェリカ達の着替えが必要だろう。


「食べ物と着替えも、ある……はず。でも料理出来る人がいない」


 テネブラが我先にと穣司に答える。


「良かった、あるんだ。料理は俺も出来るんだけど、素材が、なぁ……」


 独身で自炊もしていた穣司は人並みに料理も出来る。

 しかしそれは、今の段階では元の世界でのみ発揮する能力だ。

 こちらの世界にある素材も知らなければ、調味料も知らない。どんな調理器具があるのか分からない状態では、素材を原始的に焼く事しか出来ない。


「あ、あの、私達の中では、私が一番料理が得意です。ですので、その、私にやらせてもらえないでしょうか? それにジョージ様に料理させるなど、とんでもないことです」


 髪が肩に掛かる程度の長さの女性が、緊張しているかのような声色で言った。

 先程、一際大粒の涙を流していた、二十代半ば程度の見た目の女性だ。声色とは違い、目には力を宿しているようにも見える。

 一方でアンジェリカは自信なさげに俯いていた。おそらく料理には自信がないのだろう。


「そんな様付けされるような大層な者じゃないんですけど……。では、お願いしてもいいですか?えっと、お名前を窺ってもいいですか?」


「ティ、ティアです!ティアとお呼び下さい!不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します!そ、それと僭越ながら、申し上げますが、私のような者に、そ、そのような丁寧な態度はとらないで下さい。畏れ多くて心臓が止まってしまいます!」


 ティアと称した女性は、何故かひどく緊張した様子で、両手で胸を押さえながら言った。


「え、あ、うん……。じゃあティアって呼ぶから、俺の事も、もう少し慣れ親しんだ言い方で、話してもらえると嬉しいな」


 ティアの緊張が解れるようにと、穣司は穏やかに微笑みながら言うと


「は、はうぅ……。は、はい、ど、努力します」


 ティアは蒸気を上げてしまうぐらい、顔を真っ赤にして、その場にへたりこんだ。


「え、えっと、大丈夫?」


 穣司は若干、引き気味になりながらもティアを心配する。

 別におかしな事は言っていないはずだ。それでも大袈裟にも程があるティアの様子に、穣司は不思議に思う。ひょっとすると彼女は極度のあがり症なのだろうか。そこまで緊張しなくてもいいのにと、穣司は苦笑いを浮かべながら手を差し出す。

 そしてそれはティアに触れたその瞬間ときの事だった。


「ひゃぁ!」


 電流が流れたかのように肩を震わせ、ティアは艶めかしい声を放った。その声は静寂に包まれた森にこだまして、穣司の心を冷やした。

 ティアは顔を紅潮させ、瞳を潤ませている。息も荒い。まるで何かに達してしまったかのようだ。


(うわぁ……)


 アンジェリカ以上の猛者を発見してしまった。

 手が触れただけで、こうなってしまうとは思ってもいなかった。

 どうやら彼女は緊張していた訳ではなく、何か別の物を感じ取ってしまっていたようだ。


 自覚症状はないが、もしかすると溢れ出ているかも知れない、神の力が影響しているのだろうか。

 仮にそうだとしたら何としてでも制御せねばと穣司は心に誓う。そうでもしなければ、テネブラや他の子供達の教育に悪い。穣司は頭を抱えた。


「……おとーさん、アレでも仲良くした方がいい?」


 テネブラが眉をひそめて言った。


「あ、うん。……どうなんだろうね。あの人の事は一先ず置いておいて、食事と着替えのある所に、案内してくれるかな?」


「うん、分かった!」


 テネブラの元気な声は、ある種の清涼剤のように感じられ、穣司は心から癒された。

 ティアの事は視界の端に置き、見なかった事にする。そして穣司はテネブラと手を繋ぎ、案内されるように一緒に歩き始めた。

活動報告にイメージイラストを置いてみました。

イメージを損なうかも知れないので、見たくない方は作品だけをお楽しみ下さい。

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