ハッピーエンド
青島が静かにブルーを引退してから、世界は驚くほどのスピードで変化していった。
かつて悪の組織であった「ミアズマ」は、以前共闘した縁から湊と業務提携を結んだ。湊の圧倒的な研究成果により、彼らは悪事を行ってエネルギーを集める古い手法を完全に破棄。人間の日常的な感情をプラーナとして効率よく抽出・還元する「最高の循環型エコエネルギー産業企業」へと劇的な生まれ変わりを果たしたのだ。
化石燃料の約10〜100倍という桁違いの効率を持つプラーナは、究極のクリーンエネルギーとして瞬く間に世界中へ普及。ミアズマは今や、押しも押されもせぬ「世界一のエネルギー供給会社」として大発展を遂げていた。
高校を卒業した湊は大学へ進学したものの、その実態は学生というよりも研究職であり、時には講師として教鞭をとる身となっていた。当然のようにミアズマの最高技術顧問にも就任し、研究とモデル業を両立させる多忙で充実した日々を送っている。
一方、青島とリコが開店したバーは「ミアズマ御用達の店」として連日大繁盛。定時退社を決めたホワイトなミアズマ社員たちの憩いの場として、笑い声が絶えない人気店になっていた。
そして、凛。
ピンクのプラーナを宿したことで古傷が完全に癒えた彼女は、かつて諦めかけた柔道日本代表への復帰を果たしていた。持ち前の身体能力と負けん気で快進撃を続け、ついにはオリンピックに出場。見事「金メダル」を獲得し、桃井凛は一躍日本中の時の人となった。
誰もがそれぞれの道で頂点を極め、最高に充実した毎日。
——そんなある日のことだった。
『——信じられないニュースが入ってきました。柔道女子金メダリストの桃井凛選手が、先ほど突然の現役引退を表明しました!』
テレビの緊急特番で流れたそのニュースに、世間は騒然となった。
画面の中では、無数のフラッシュを浴びながら凛がマイクの前に座っている。全盛期でのあまりにも早すぎる引退。記者たちから矢継ぎ早に「なぜ今なのか」「次期オリンピックへの未練はないのか」と理由を問いただされる中、凛は真っ直ぐに前を向き、ただ一点張りでこう答えた。
「どうしても、なりたいものがあるので」
その日の夕方。
日本中が「桃井凛の引退」報道で持ちきりになっている頃、当の本人である凛は、湊と共に懐かしいファストフード店——「マック」のテーブル席に向かい合って座っていた。
「日本中が大騒ぎしてるのに、国民的ヒロインがマックでポテト食べてていいの?」
「いいの。私にとっては、ここが一番落ち着く場所だからね」
湊が苦笑いしながらハンバーガーをかじると、凛は嬉しそうにポテトを頬張った。二人にとってここは、まだ何も始まっていなかった頃から通い詰めた、思い出の場所だ。
少しの沈黙の後、凛はポテトを置くと、テーブルの上でギュッと両手を握りしめた。
そして、いつになく真剣な瞳で、目の前の湊を真っ直ぐに見つめる。
「ねえ、湊」
「ん?」
「私が『どうしてもなりたいもの』って、何だと思う?」
湊は少しだけ目を丸くしたが、すぐにいつもの、凛を深く暖かく包み込むような優しい眼差しになった。
「……私ね、湊の奥さんになりたいの」
周囲の喧騒が、一瞬だけスッと遠のいた気がした。
凛は真っ赤になった顔を少し俯かせながらも、しっかりと湊の目を見て言葉を紡ぐ。
「金メダルも取ったし、柔道はもうやり切った。だからこれからは、ずっと湊の隣で、湊を支える奥さんになりたい。……だから、私と結婚してください」
ド直球なプロポーズ。それは、真っ直ぐで、一点の曇りもない彼女の純粋な愛情そのものだった。
湊はしばらく凛の顔を見つめていたが、やがてふっと微笑むと、テーブルの上にある彼女の小さな手を、自分の大きな手で優しく包み込んだ。
「……光栄だよ。僕でよければ、喜んで」
その瞬間、凛の大きな瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「でも、一つだけ訂正させて」
「……えっ?」
「君は僕を支えるんじゃなくて、僕と一緒に歩いていくんだ。僕の研究も、君の新しい夢も、二人で一緒に叶えていこう」
湊は、照れくさそうに、けれど今までで一番はっきりとした声で告げた。
「ずっと好きだよ、凛」
「——っ、湊……!」
凛は感極まって立ち上がり、テーブル越しに湊に思いきり抱きついた。店内のお客さんたちが驚いてこちらを見ているが、今の凛にはそんなこと全く関係なかった。
ポテトの香りと、懐かしい喧騒に包まれたマックの片隅で。
不器用な天才研究者と、彼を真っ直ぐに愛し続けた最強の女の子は、これ以上ないほどの幸せな笑顔で、最高のハッピーエンドを迎えた。




