狂乱の愛
ああ、意識が遠のく。
痛みのせいで熱も出ている。頭がぼーっとする。大剣を握る力も、さっきから弱くなって、普段より重く感じていた。
こんな情けない私でごめんなさい。こんな弱い私でごめんなさい。
私は……私は、ずっと変われてない。ボスの隣にいて、ただ強がっていただけ。過去を忘れようと必死に藻掻き、感情を表に出さなかっただけ。
殴られるのが怖い。
蹴られるのが怖い。
弱っていく私を、嘲る変態どもが怖い。
一度認識し直てしまえば、恐怖が体に染みついて離れない。ぎちぎちとなる歯を必死に堪えるが、痙攣した筋肉が止まらない。
私はなにも変わってない。タカマガハラに来たあの夜から、何も……ずっと誰かが傍にいないと、一人で立てない、泣き虫な娼婦のまま……。
私はなにも――。
『そっか、頑張ったね』
ふと、声が聞こえた気がした。今この場にいるはずのない、大切な人の声。
『うぉぉ、ごめん! 大丈夫!?』
やっぱりだ。どこからか分からないけど聞こえてくる。
慌ただしくも、どこか頼りになる声。
好きな声。蕩ける声。ずっとそれだけを聞いていたい、私が欲っしてやまない声。
不思議と痙攣が収まっていく。心は落ち着きを取り戻し、頭がすぅと澄んでいくのが分かる。
『帰らないから落ち着いて。ほら深呼吸』
言われた通り、深呼吸してみる。
確か呼吸のリズムは……ひ、ひ、ふー……ひ、ひ、ふー。
あっていたかな? なんだか違う気がする。
けれど、押し寄せていた不安が一気に霧散していくような感覚がした。何も状況は変わっていないはずなのに、まだ私は地に伏したままなのに。なのに、どうして……。
『君はもう俺の部下なんだから』
あぁ、そっか……そうだった。
私は何を恐れていたんだろう。
『――恥じぬよう戦え』
私はもう娼婦じゃなく、ボスのものなんだから。
なにも怖がる必要ないじゃないか。
『あとシャロちゃんの労働環境改善もお願いします!』
私は何度もボスの言葉に救われた。
あの日、暗がりから引っ張り上げてくれたあの時から、ずっと。
安心するな、というほうが無理である。今の私があるのは、ボスが掛けてくれた言葉のおかげであり、私が好きになったのはボスがそういう言葉を掛けてくれる人だったから。
何を、恐れてるんだ、私は。もう、変態の玩具じゃ、ないのに。
ボスがいれば……ボスさえいれば、何が起きても守ってくれる。頑張ったねって褒めてくれる。私はそれだけで、生きていける。
「まだ立つのか」
「……だい、じょうぶ。だいじょう、ぶ」
「? 恐怖のあまり頭までいかれたのか?」
私は立ち上がる。
ゆったりと、されどしっかりとした脚で。
そのまま頭のスイッチを切り替えれば。
「……|恐怖≪セーブ≫はもう、いらない」
考える必要はない。
カネカスを斬った時とおなじ、いやそれ以上に私はただ本能の赴くままに動く。
体が妙な光を纏った気がしたが気のせいだ。体に力が満ち満ちていくような気がするのは、現実だ。
ボスに命令されたときの、いつもの感覚。
どこに溜めてあったのか、どこから湧き上がるのかも分からない力の源泉が見つかり、そこから止めどなく汲み上げていくような全能感。
ボスは気づいていないんだろうけど、あの人は十分におかしい人だ。
普通、言葉一つでこんな気持ちにはならない。
普通、”言葉一つで”魔法など発生させられない。
だけどやってしまうから、ボスはやっぱり異常なんだ。
私は全神経を新たに開通するようなイメージを脳に描き、魔力という魔力を注ぎ込む。パスは無理やり通り、脳にまで直結されたそれは、躯体に刻まれし一つの種族本能を刺激し、活性化させた。
種族本能が解放されました。
【狂愛】発動します。
血、肉、骨、神経、すべてが沸騰しそうなほどの熱量が全身に帯びる。
腕が一本折られているため、大剣は口で咥え、拾い上げた。
身を屈めれば、さっきとは比べ物にならない速さでアバストで吶喊する。目を見張るほどのスピードだったのか、私の動きには対応できず、ヤツはその場で足が縫われたように立ち尽くした。
遠慮はいらない。
元より、相手が何をしてこようがしったことではない。
未だ変態貴族に変身しているアバストの腹――そこを私は掻っ捌く。
「ぐっ――貴、様ぁ!!」
ブドウの皮を剥いたかのごとく、綺麗に艶やかに裂かれた腹を抱え、ようやくアバストは状況を理解したらしい。
吐き気のする変身を解き、片手剣を振り上げるゴミ。
だが、私の不興を買ったことに変わりはない。ここから手を緩めるなんてことは一切しない。
姿が霞のように消えるアバストを目で追うのをやめ、私は匂いと音だけで察知した。
「隠れても、ムダ!」
「がは」
鬱陶しい。煩わしい。苛立たしい。甚だしい。忌々しい。
姿を消されては、このゴミの苦しむ顔が見られない。
だから、片手剣を壊してやった。初めてアバストが消えた時、ボスはコイツの片手剣を気にしていたから。
「あはっ♪」
「なっ、霞の剣がっ!?」
どうやらビンゴだったらしい。アバストが姿を隠していた魔法らしき効力が、瞬時に解ける。
これでもう逃げることも、隠れることもできない。甚振りたい放題。今の私をコイツが止められるはずもない。
私は口に咥えていた大剣でアバスト腹部と胸部の間を貫き、地面に縫い留めてやった。
「つか、まえた」
「ごぼっ。どごに――……ぞんな力が――……!!」
どこに?
どこにと言われても、私も分からない。
今はすごい充足感に満たされている。頭が回らないのに、どうしてだろう? ただ、目の前のゴミをどうやれば苦しめられるか、そんな短絡的思考と、ボスのこと以外に思考を割くリソースが見いだせない。
でも、そうだ。どこかと聞かれてるんだっけ。
なら、なんとなくだけでも答えてあげよう。このゴミにはきっと理解できないだろうから。
「愛、じゃない?」
「はぁ?」
私の答えに、ゴミは目を見開いたまま固まった。
まぁ、お嬢たちを騙してきたこのゴミには、まだまだ理解が及ばないのだろう。哀れと言うか、一生そのままでいてほしいというか。ほんと、気持ち悪い。
とりあえず。
「ずっと、こうしてやりたかった。変態客も……ボーイも…………お前が変身したあの男にも、ボス以外の男はみんな、ね?」
「がは」
「いい、声。もっと啼け、もっと啼け♪ ほら、ほーら♪」
突き刺した大剣に力を込め、アバストを苦しませる。
思わず私の頬は吊り上げられた。
カネカスを斬った日。初めてこの快楽感を味わった。
手に残る肉を斬った感触。頬に浴びた血の温もり。骨まで見えた赤黒い断面。
あの日、私の中で何かが目覚めた。そう実感させられるほどの衝撃だった。
「殺してあげる。嬲られた分、惨たらしく痛みを与えて苦しめてあげる。ボスはあんまりそういうの好きじゃないけど、多分私がやることなら、何でも褒めてくれると思うから」
「獣人……風情が!」
最後の抵抗?
悪あがき?
まぁ、なんでもいい。
アバストは手からブレスレット型の何かを私に翳したが、気にすることなく、そのブレスレットを腕ごと粉砕してあげた。
「な、に!?」
お嬢を抱いた腕。お嬢を騙した腕。
いや、お嬢だけじゃない。他の娼婦を苦しめてきた男の腕。
そう思うと触るだけでも気持ちが悪くなってきた。さっさと捨ててしまおう。私はアバストからその汚物を取り上げ、乱雑に遠くへ放り投げる。
男はそれを、半ば恐怖した瞳で眺めていた。
「後悔した?」
「なにを」
「私たちを苦しめたこと」
「……するかよ」
往生際の悪いゴミ。ここまで来て、反省の色も見せないなんて。
ならもう、いいや。
「あっそ。じゃあさっさと死んじゃえ、クズ野郎」
「くははは……貴様こそ、くたばれ……けだものが」
そこまで聞いて、私は機械的にアバストの顔を潰した。夏の時期に飛び回る虫を、叩き潰すときと同じような感覚で。
すっきりは……できたんだろうか。
分からない。
コイツを殺しても、お嬢たちが騙された事実は変わらないし、無くならないから。
あ、そういえば魔法契約がどうこうってボスが言ってた気が……。
「……まぁ、いいか。ボス、褒めてくれる、もん」
私はそう楽観的に物事を考え、ボスに会う事を胸に、静かに鼻歌を奏でるのであった。
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