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幻姿-まぼろしすがた-  作者: 江渡由太郎
幻姿-まぼろしすがた-
10/13

9

 少女は真夏の日差しの中でも不思議と汗ひとつかいておらず、鳥居の影と一体になってそこに立っていた。

 その姿は現実の風景の一部でありながら、どこか異界のもののように浮いて見える。


 白いワンピースの裾が風に揺れ、黒髪が無風の中でふわりと舞った。


 ――前にも、どこかで。


 流星は立ち上がりながら少女をじっと見つめた。

 その目元が、以前見た時と違っていたことに気づく。

 彼女の瞳は、あの妖魔と同じく、血のように赤かった。


「おい、あれ……もしかして……」


 腕の中のタケルが小さくうなり、流星の手のひらから滑り落ちて地面に着地した。

 タケルの毛が逆立ち、喉の奥から威嚇するような低い唸り声が漏れる。


「……あれは、妖の気配があります。だけど……明らかに、さっきの“声の主”とは別のものです」


 少女は鳥居をくぐろうとして、立ち止まった。

 まるで目の前に目に見えない壁があるかのように、無言でこちらを見据えたまま立ち尽くしている。


「入ってこられない……のか?」


 その瞬間、少女の唇がゆっくりと動いた。

 声は聞こえなかった。だが、たしかに“言葉”は伝わってきた。


――『返して』


 流星の背筋に、電気が走ったような悪寒が走る。

 赤双眼の妖魔と同じ言葉。それでも、この少女からはあの妖のような暴力的な圧力は感じなかった。


 ……いや、違う。

 この少女は、もっと根深いもの――怨念にも似た、冷たい悲しみを湛えていた。


「なぁ、タケル。あの娘……何者なんだ?」


「ボクにもよくわからないです。でも……この神社の結界に反応しているってことは、元々ここに“属していた”存在かもしれません」


「属してた……?」


「つまり、“元はここにいたもの”ってことです。祀られていた神か、あるいは……封じられていた、何か」


 その言葉を聞いたとたん、流星の頭の奥で、鋭い痛みが走った。

 思い出せないはずの映像が、フラッシュのように視界の隅をかすめる。


 古い社殿。

 誰もいないのに揺れる鈴。

 子供のような声で繰り返される「かえして」の声。


 そして――あの少女の顔。その目。その手。その、指に巻かれていた赤い糸……。


「……糸?」


 無意識のうちに、流星は自分の小指を見つめた。

 そこには何も巻かれていない。けれど、確かに“なにか”が巻かれていた感覚が残っている。


 風が強く吹き抜け、鈴の音が境内に響いた。

 その音とともに、鳥居の前の少女が、スッと姿を消した。


「消えた……?」


「いや、まだ近くにいます。気配が……こっちに向かってる……!」


 タケルの目が、流星の背後を見た。


 振り返る。

 そこには誰も――いや、“なにか”がいた。

 空気の歪みのような影。だが、確かにそこに存在している。


「流星、逃げてください!」


 だが、体が動かない。

 脚が地に縫い付けられたように、一歩も動かない。息も詰まる。


 影はゆっくりと近づいてくる。

 それは、あの声の主とは別のものだ。

 もっと静かで、もっと冷たくて、もっと――“人間に近い”。


 そして、影の中から女の声がした。


「あなたは……知ってしまったのね。私たちが……“分かたれた”理由を」


 その声は、少女の声ではなかった。

 もっと大人びた、深く、どこか母性を帯びた響き。


 神社の空気が、一気に重く変わった。


 空が曇ったわけでもないのに、日差しが届かなくなった。

 風が止み、空気が沈黙する。


「……分かたれた?」


 その言葉に、流星の胸がざわついた。


 かつて誰かと“契り”を結んだ。

 それが、破られた。

 そして、“何か”が奪われ、封じられた――。


 それは、自分の記憶なのか。

 あるいは、“誰か”の記憶をなぞっているだけなのか。


 神社の奥、御神木の切り株の方から、また香木の香りが漂ってきた。

 その香りは、さっきよりも強く、そして――生々しかった。


 まるで、誰かがここで祈り、涙を流していたような、そんな記憶の残り香。


「流星、急ぎましょう。思い出すべきことが、まだ残っているみたいです」


 タケルの声が真剣だった。


 流星は切り株に手を置き、そっと目を閉じた。

 その瞬間、意識の奥底に響く、かすかな声が耳元で囁いた。


――“真名を思い出して” 


 その声は……少女のものだった。


 そして、世界の色が、一瞬だけ――裏返った。



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