第一話 断罪の夜、処刑まで三十日
婚約破棄の夜会から、いきなり始まります。
「――フィリア・フォン・ラングドン。貴様との婚約は、本日をもって破棄する」
王太子セドリックの声が、大広間に響いた瞬間、フィリアは唐突に、自分が二度目の人生を生きていることを思い出した。
思い出した、という表現が正しいのかも分からない。
前世の記憶が、頭の中に一気に流れ込んできた。日本という国での二十六年間。仕事帰りの電車。冷めたコンビニ弁当。そして、夜な夜な没頭していた一本の乙女ゲーム――「光の乙女と誓いの薔薇」。
目の前で自分を指さしている金髪の美青年は、そのゲームの攻略対象、王太子セドリックその人だった。
そして自分は。
悪役令嬢、フィリアだった。
「――なにを、仰っているのか」
フィリアは、震えそうになる声を抑えて、貴族令嬢らしい抑揚を保った。
「私が、いつ、誰に何をしたと?」
「しらばっくれるな!」
セドリックの隣で、亜麻色の髪の少女――リーゼ・ヴァインが、青ざめた顔で自分の胸元を押さえていた。
「リーゼ嬢の飲み物に、毒を混入させただろう。給仕がお前の侍女から預かった小瓶を確認している。中身は、致死性の毒物だ」
大広間がざわついた。
貴族たちの視線が、一斉にフィリアへ突き刺さる。
フィリアは、混乱の中で、必死に前世の記憶を辿った。
ゲームのシナリオでは――このイベントは、確かにあった。建国祭の夜会で、悪役令嬢フィリアがヒロインに嫌がらせをして、婚約破棄される。だが。
あのイベントの結末は、国外追放だったはずだ。
処刑ではない。
毒殺未遂などという、重すぎる罪状も無かったはずだ。
「――何かの間違いです」
フィリアは、声を絞り出した。
「私は、そのような小瓶に、覚えがありません」
「言い訳は見苦しいぞ」
セドリックの声は、揺るがなかった。だが、フィリアは見た。彼の目の奥に、一瞬だけ迷いのようなものが浮かんだのを。
その迷いは、すぐに消えた。
「国王陛下のご裁可により、貴様の処遇は追って正式に定められる。それまでの間、貴様は離宮にて幽閉とする」
衛兵が二人、フィリアの両脇に立った。
連れていかれる直前、フィリアは会場の隅に立つ一人の男と、目が合った。
黒髪の、若い近衛騎士だった。
彼は、何も言わなかった。ただ、フィリアをじっと見ていた。
◇
離宮の一室に閉じ込められて、フィリアはようやく一人になった。
窓の外は、もう夜が更けている。
膝から崩れ落ちそうになるのを、なんとか堪えた。
(――落ち着いて。状況を、整理するの)
前世の記憶のおかげで、フィリアは冷静さを取り戻す糸口を掴んでいた。パニックになって泣き喚くのは簡単だ。だが、それでは何も変わらない。
扉が、控えめにノックされた。
「――失礼します」
入ってきたのは、王家に仕える文官らしい、初老の男だった。彼は、恭しく一枚の書状をフィリアの前に置いた。
「陛下より、正式な沙汰が下されるまでの猶予についてのご通知です」
フィリアは、書状を手に取った。
文面を読んで、血の気が引いた。
『――王家の秘術「真実の鑑定式」による断罪の儀を、三十日後に執り行う。真実が明らかとなった時、被疑者フィリア・フォン・ラングドンには、然るべき裁きが下される』
然るべき裁き。
その言葉の意味を、フィリアは正確に理解していた。この国の法において、王族への毒殺未遂は、極刑をもって裁かれる。
「――三十日」
フィリアは、書状を握りしめた。
「私に与えられた猶予は、たったの三十日だけ、ということですか」
「左様でございます」
文官は、それだけ言って、一礼して部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
フィリアは、窓辺に歩み寄った。
月明かりが、離宮の庭を照らしている。美しい庭だった。だが、その美しさを楽しむ余裕は、今のフィリアには無かった。
(ゲームには、無かった展開)
毒殺未遂という罪状。三十日後の処刑。
これは、フィリアが知っている「光の乙女と誓いの薔薇」のシナリオには、存在しない出来事だった。
(誰かが、ゲームのシナリオを利用して、私を本気で殺そうとしてる)
その考えに至った瞬間、フィリアの背筋に冷たいものが走った。
だが同時に、頭の芯が、すっと冷えていくのも感じた。
恐怖と、覚悟が、同じ場所から生まれていた。
「――上等だわ」
フィリアは、窓の外を睨みつけた。
「悪役令嬢として大人しく殺されてやるくらいなら」
拳を、握りしめる。
「探偵にでも、何にでもなってやる」
三十日。
短いようで、フィリアにとっては、二度目の人生の全てを賭けるには十分な時間だった。
◇
その夜遅く、部屋の扉が、再びノックされた。
今度は、返事を待たずに開いた。
入ってきたのは、あの黒髪の近衛騎士だった。
「――何のご用でしょうか」
フィリアは、警戒しながら尋ねた。監視の兵かもしれない。あるいは、口封じに来た刺客かもしれない。
「今日からこの離宮の警護を命じられた、カイン・レスターだ」
彼は、淡々と名乗った。
「見張りとして来た。逃げようとしたら、止める。それだけだ」
「――随分と、正直な物言いですね」
「隠す理由がない」
カインは、部屋の入り口に立ったまま、フィリアを見た。
「一つ、聞きたいことがある」
「何でしょう」
「あんたの侍女から押収された小瓶――あれは、本当にあんたのものか」
フィリアは、目を見開いた。
「――なぜ、そんなことを聞くのですか」
「俺は、押収の現場に立ち会った」
カインの声は、抑揚が無かった。
「小瓶に、ラングドン家の紋章はあった。だが、蓋の作りが、ラングドン家御用達の工房のものじゃなかった。俺は昔、あの工房で世話になったことがある。見れば分かる」
フィリアは、しばらく言葉を失った。
「――信じて、くださるのですか」
「信じるとは言ってない」
カインは、視線を逸らさなかった。
「ただ、証拠に妙な点があるのは事実だ。それを見過ごして、あんたが処刑されるのを黙って見てるのは、性に合わない」
フィリアは、握りしめていた拳を、そっと開いた。
「三十日しかありません」
「知ってる」
「協力、していただけますか」
カインは、少しの間、黙っていた。
「――上の命令に反することは、できない」
「では」
「だが、命令の範囲内で、できることはする」
彼は、そう言って、初めて微かに、口の端を上げた。
「あんたが、本当に無実なら、な」
窓の外で、月が雲に隠れた。
フィリアの三十日間が、始まった。
第一話「断罪の夜、処刑まで三十日」をお読みいただき、ありがとうございます。
悪役令嬢モノの王道である婚約破棄シーンから、いきなり本題に入る構成にしました。ゲーム通りの展開ではない、という違和感を軸に、フィリアが自分の頭で謎を解いていく物語です。全30話ほどで完結を予定しています。
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