“数式のない日”──追い込み前の静かな休日
日曜日・凪の“休戦宣言”
11月も半ば、模試の予定も自習スケジュールもぎっしり詰まっていた。
だが、凪は思いきって宣言する。
凪:「今日は……“数学のない日”にする。問題集も、ノートも、ペンも閉じる」
紅葉:「えっ、どうしたの?」
凪:「わたし、いつのまにか“やらなきゃ”でいっぱいになってた。
このままだと、“好き”がすり減っちゃう気がして」
紅葉は少し驚いた顔をして、でも笑った。
紅葉:「いいじゃん、それ。“好き”を守る休日だね」
午前・図書館へ
凪は地元の図書館へ向かう。
久しぶりに借りたのは、数学ではなく、小さい頃に好きだった絵本と、詩集。
「ひとつのことばが、世界を変える。
それは、数式にも、詩にも、同じように起こること」
読み進めながら、凪はふと気づく。
“数式”のない本にも、なぜか“構造”がある。
“問いかけ”がある。“予感”がある。
……まるで数学と同じだった。
午後・喫茶店にて
お気に入りの、町外れの静かな喫茶店。
BGMはボサノバ。ノートは持ってこなかった。
かわりに、窓から見える木々の葉を眺める。
赤、橙、黄、緑。
まるで漸化式のように、少しずつ色が変わっていく時間。
凪(心の声):
「数学は、紙の中にしかないんじゃない。
風の中にも、音のなかにも、
こんなふうに、“かたち”にならずに、存在してる」
夜・ベッドの中で
ベッドの中で、1ページだけ開いたノートに、凪はこう書き残した。
「今日わたしは、数式を見なかった。
でも、数学から離れたことは一度もなかった。
わたしの目も、耳も、思考も、
ずっと、“かたち”を探し続けていた。
それが、わたしにとっての数学だ」
数学部ノート(凪)
■高校三年生・第16週
・意図的な“非・数学の日”を過ごす週
・凪:「数式を使わない日にも、世界は数学で満ちていた」
→ 数学は“解く行為”だけでなく、“見る行為”でもある。
見ること・感じること・気づくことが、すでに数学だった。