“問いは、風のように”──散歩中の“群論ごっこ”と対話の魔法
日曜日・中間テスト終了の開放感
中間テストが終わった翌日。
凪と紅葉は久々にゆっくりと外を歩いていた。
川沿いの道、風が強くて少し肌寒い。けれど、心はどこか穏やかだった。
紅葉:「久々にさ、数学の話だけでいい日だね」
凪:「……いつもしてるけどね、数学の話」
紅葉:「でも今日のは、“考えるため”じゃなくて“遊ぶため”。だから違うよ」
群論ごっこの始まり
公園のベンチに座って、紅葉が言った。
紅葉:「じゃあ、群論ごっこしようか」
凪:「群論……ごっこ?」
紅葉:「わたしたち、集合Mの元。操作は“会話”。
群の公理、満たせるかな?」
凪:「なるほど。
① 結合法則……紅葉とわたしがどんな順番で話しても、意味は一貫する。
② 単位元……“沈黙”は、何も加えないけど、会話を壊さない。
③ 逆元……“取り消しのひとこと”で、前の言葉を中和できる。
……って、会話、群だね」
紅葉:「でしょ? でも、“アーベル群”じゃないかも。
だって、わたしの冗談と凪の真面目は、順番で影響変わるから」
凪:「非可換……!」
ふたりは笑い合う。
散歩道での発見
そのあとも、ふたりは「今日見た自販機の配列が巡回群みたい」とか、
「近道と遠回りの構造が同型だ」とか、数学っぽいことをぽつぽつ交わす。
けれど、それは「解くための数学」ではなく、「見つけるための数学」。
凪(心の声):
「問いって、風みたい。
いつ吹くか、どこから来るか、わからない。
でも吹いたとき、わたしの中に“数学”が立ち上がる」
数学部ノート(凪)
■高校三年生・第8週
・“群論ごっこ”=抽象的な対象を、日常に重ねる遊び
・凪:「問いは、意志でなく偶然としてやってくる。
でも、それを掴めるかどうかは、わたし次第」
→ 数学を“学ぶ”から、“感じる”へ
数学が“技術”ではなく、“関係”として育っている兆し