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二十一、ナンバー:『First Experience』

 そいつはギターを掻き鳴らしながらニヤニヤとこちらを伺っていた。

 状況からひとまず人ではないのは間違いないが、ハナビやその仲間になったと考えられる女子中学生とは違う、男性型の個体だ。別の勢力という可能性もないではないが、第三の仲間と考えていいだろう。

 今の納琴(なごと)に他の騒念(クラマー)が棲みつく余地はない。ハナビが目障りに思って吸収するか、あるいは有能なら配下に置くのが自然だ。


 そう、それが単なる音念ではないのは、すぐわかった。


「やっと本命(メインゲスト)が来た。あんたを待ってたぜ、美人さん」

「……」


 会話はしない。情報を引き出すのも手ではあるが、背後の逼迫(ひっぱく)した状況がそれを許さないからだ。

 音念駆除の基本は頭数を減らすことであり、対処に時間のかかる強い個体より、その餌にもなりうる弱い個体の始末が優先される。ナギサが騒念のみに集中するには他の連中に雑魚を任せる必要がある。

 つまり人手が足りない今、まだこの男には手が出せない。


 無言でサユリの偽物を屠るナギサを見て、男は感心するような声を上げた。


「容赦ねぇなァ! ――でもま、待てよ。そいつは()()()()()じゃあない」


 ナギサはやはり答えない。そこでギターソロの調子が変わる――テンポは激しいが、どこかねばつくようなサウンドの、重苦しいロックバラードに。

 それに呼応するように、サユリの姿がくしゃくしゃに潰れた。


 やはりこの騒念が他の音念を操作している。ナギサはあくまで奴を無視し、目前の敵の破壊に集中するが、手ごたえはあれど奇妙なほど体積が減らない。

 この感覚は先日、新種と思われた増殖性のある音念の駆除支援で得たものに近い。やはりあれもハナビの手先だったのだろう。

 ということは末端の隊員たちがあの惨状に至ったのも、単純に量に圧されたせいか?


 いや、だとしたらもっと現場は音念だらけになっているはず――。


「曲名は……『First Experience』」


 音念は一旦流体化したのち、激しく渦を巻いた。余波を避けるためナギサは一旦飛び退いて距離を取る。

 刃の向こうでそれが再び人の形をとった。もはやサユリとは似ても似つかない、三十前後くらいの痩せた男の姿になったのを見て、ナギサははっと目を見開く。


 理解した。この現場で、他の隊員たちに何が起きたのかを。


 男はしばらく無言でナギサを見つめていたが、ふっと浅薄な笑みを浮かべた。その目尻の歪め方、鼻の横にあるホクロが一緒に動くようすまで、完全に記憶にあるとおり。

 そう……もちろんナギサは、この男を知っている。覚えている。

 忘れることなんて、できなかった。


 だからこそ。


「ふッ」


 直後、音念の首が吹き飛んだ。

 さすがに予想外だったか、ギタリストの騒念もこれには驚いた顔で一歩後ずさる。演奏は止めなかったが。


 音念はよろめきながらも立ち続け、断面からはもう一度、新しい首が生えてくる。ナギサはもう一度それを斬った。


 倒すためではない。それは攻撃と呼ぶには緩やかで、けれどはっきりと無邪気な悪意に満ちていて、喩えるなら猫が捕らえたネズミを甚振るような仕草だった。

 次に足を斬った。体勢を崩したそれの、今度は腕にも一撃をくれてやる。

 手足を、頭を、一つずつ。すぐに再生すると知りながら、敢えてゆっくりと。


「……くふ。……ふふふ。あははっ……、……あーあ」


 笑ったり、溜息を吐いたりしながら、また音念を嬲る。三日月形に歪めた艶やかな唇を、おもむろにぺろりと舐めながら。

 どこかうっとりした瞳で見据える先は、何度斬っても再生する音念の頭。

 潰すたびに複製される。記憶の中にあるのとまったく同じ、どうやっても消せないおぞましい笑顔が。


「……。何笑ってやがる」


 その呟きでスイッチを切り替えたように、急に斬撃が本気のそれに変わる。


 ナギサの祓念刀――銘は『宇治丸(うじまる)』――の通常より細長い刀身が、鞭のようにしなりをつけて迸り、その男の身体をずたずたに切り刻んだ。

 音念の男はあっという間に細切れになっていく。悲鳴じみた霊体破壊音が果てしなく続き、自己増殖による回復は明らかに彼女の攻勢に追いついてはいない。


「私が、どんだけ、てめえを、殺したかったと、思ってんだ? あぁッ!?」


 憎悪を載せた刃を叩きつけるように。あるいは呪詛を一文字ずつ、音念の内に擦りつけるように。

 ナギサは明らかに戦闘、いや、()()を楽しんでいた。

 殺戮の悦びは緩急となって表れる。凄まじい勢いで蹂躙したかと思えば、ふと手を緩めて断末魔の悲鳴に耳を傾け、また思い出したように猛烈に斬り、穿ち、削り、裂き、潰し、貫いた。


「はぁあ……ッ」


 恍惚の表情で、まるでベッドの上で喘ぐように深く息を吐いて、女は愉悦に身をよじる。


「ふふ……、あは……あははっ……あははは……」


 彼女は狂ったように笑いながらそれを斬り刻んだ。叩き潰した。

 そいつが完全に消えてなくなるまで、……あるいは彼女自身が飽きてしまうまで、幾度となく()()続ける。

 嬌声は高らかに響き、離れたところで戦う後輩たちにさえ届く。それすらナギサは気に留めない。


 ワカシは戦いのさなかに居ながらとうとう振り返ってしまった。愛する人の狂態を目の当たりにして、泣きそうな顔で唇を震わせながら、持ち場を離れるわけにいかない葛藤が太刀筋を鈍らせる。

 そのうえ直後、彼の哀嘆は青ざめた驚愕へと置き換わった。


「ナギサさんッ!」


 叫びよりも早く、ナギサの背後に立ち上がったもう一体の音念の腕が、彼女に届く。


 死角からの一撃にナギサの痩身は軽々と吹き飛んだ。十数メートルは転がって血反吐を吐いた彼女に、音念は起き上がる暇さえ与えない。

 追撃が絶え間なく叩き込まれ、華奢な身体が俎上の活き魚のように撥ねる。そのたび血飛沫が繰り返し舞って、氷色の空をひどく汚しながら、土を赤黒く染めていた。


 そんな光景にワカシの逡巡はいよいよ大きくなる。持ち場を離れれば椿吹(つばき)を危険に晒すことになり、かといってナギサを見殺しにできるはずもない。

 動揺が生んだわずかな隙を、音念は見逃さなかった。


「ゔッ――」


 衝撃と共に視界が暗転する。一瞬何が起きたか図りかねたワカシは、自分が地面に倒れたことに気づくのに、数秒要した。



 →

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