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二十、ナンバー:『ストレイキャット・エレジヰ』

「ショーちゃ……あぐッ!」


 駆け寄ろうとした背中を打たれ、コハルもショータの隣に転がる。どこか切れたのか鉄の味がした。

 なおも少年を甚振ろうと『偽物の母親』は毒手を伸ばす。うぞうぞと蠢く漆黒の粒の群れは影というより泥に近く、恐らくあたりの土埃を多量に巻き込むなどして充分な密度を持っているのだと、コハルは身を以て理解した。

 つまり普段相手にしている散開型音念の締め上げるような攻撃とは違って、人に殴られたような直截的なダメージを与える『握り拳』だ。


 ふらふらと立ち上がり、また祓念刀を構える。

 自分もまだ新人の域を出ていないとはいえ一応はショータの先輩なのだ。……何より母親の顔をした化け物に痛めつけられる子なんて、見ていたくない。


「――あッ! く、……っ」


 次の攻撃はなんとか受け止めた。捌く度量もないし、かといって抑えきれずによろめいても、ショータの前からだけは退くわけにいかない。

 脚が震えているのだって痛みのせいで、怖いからじゃない。そうでなければと言い聞かせて、笑うしかなくなっている膝を叱咤しながら、靴底の砂利を踏み躙り続ける。

 そんなコハルを転がったままのショータが呆然と見上げていた。


 振り返る余裕のない彼女は知るよしもないが、少年は呟く。「なんで」と、繰り返し。


 今さら一つだけ後悔が浮かんだ。いつも沼主(ぬます)ナギサ先生に指導を頼んでいたけれど、かの女性は攻撃を得意としており、防御に関してはその限りではない。

 こういう場面のために、たまには五来(ごらい)先生にも師事を仰いでおくべきだった。


「くぅッ……い゛ッ! ……」


 幾度となく攻撃を受けて制服がボロボロになっていく。防護服でもあるから頑丈な作りになってはいるが、だからといって打撃のダメージまで無効化されるわけではない。

 強化繊維の布の下で、生身の身体は着実に傷つく。

 どんなに気を張っていても、とうとう立つことができなくなって、コハルはその場に膝を衝いてしまった。それでも這って後輩に覆いかぶさった彼女に、ショータが呻くように言う。


「退けよ……っ」

「……」

「なんなんだよ、……離せよ! ……おれ、……おれなんか……」


 どうなってもいい、とでも言うのか。言わせてたまるか。


「あ゛ゔッ!」


 ――背中を激痛が走る。最初に攻撃を受けたのと同じ場所に、狙い済ましたような追撃を。

 視界がどす黒い赤色に染まって意識が飛びかける。辛うじてまだしがみついているけれど、もう一度喰らったらもう耐えられないだろうとぼんやり思った。


(……それに、きっとお嫁に行けなくなっちゃうよね)


 かすかに自嘲した、その直後。



「――干野、半裂ッ!」

「大丈夫ですか!? ……いけない、二人ともひどい怪我です」


 背後で音念が妙に(おめ)いたかと思えば、先輩たちの声がした。なんとか首だけひねって伺うと、モモスケたちが偽母親を食い止めており、エッサイからは気遣わしげな視線も受ける。

 ……二人だって決して無傷ではなかった。泥と擦り傷だらけの頬や、血の滲んだ隊服からして、厳しい戦闘を切り抜けてきた直後に違いない。

 そのうえコハルたちを助けに来てくれたのか。


 音念はまた姿を捻り変え、それは、……コハルはそうとは知らなかったが、ふたたび猫の姿になった。ぼろぼろの段ボール箱の底から硝子玉のような瞳でこちらを見上げ、か細い声で哀願するようにミイミイと鳴く、薄汚れて痩せこけた一匹の仔猫に。

 それを見たモモスケは呻き声を漏らしながらも、己の祓念刀を振り下ろす。


「……人の古傷抉りやがって……」


 苛立ちの中に涙が混じっていた。まだ消えていない音念に、苦い哀愁の滲んだ第二刃が振るわれるのを、コハルも泣きたいような気持ちで見つめるしかない。

 事情は知らなくても彼が苦しんでいるのはわかる。それこそが敵の狙いで、本来エッサイと二人がかりでならそれほど苦戦しなかったのかもしれないが、割り切れない心の隙を幾度となく穿たれている。

 それも三体目だ。このやりにくい音念をすでに二体を始末してきたあとで、もう二人は身も心も擦り切れてしまっている。


 コハルもなんとか立って加勢したかった。まだ一ツ星の自分では大した助けにはなれないけれど、せめて頭数が増えれば、敵の攻撃を分散させられるだろう。

 たったそれだけだって、何もできないよりはいい。そう思うのに、足が痛みに負けて動かない。


 眼と鼻の先でエッサイが膝を衝く。モモスケがよろめく。

 ふらつくブーツの先が蹴り上げた砂を、音念が啜って闇色の触手を伸ばした。鞭のようにしなったそれが彼らをひとまとめに打ち据え、悲鳴さえも養分とばかりに喰らいながら、そのままコハルたちのところまで投げて寄越す。

 真正面から成人男性二人を受け止める恰好になったコハルは、そこで意識を失った。




 *♪*




 沼主(ぬます)凪沙(ナギサ)が現着した時点で、すでに城下公園は阿鼻叫喚の地獄と化しつつあった。平隊員たちは血の海に伏し、辛うじてまだ立っている班長二人も、見るからに苦境に陥っている。

 しかもワカシの前にいるのは、業火に抱かれた彼の母親。匡辰は殉死した昔の上司と戦っている。


「何が起きた?」


 呟きながらポケットに手を突っ込み、足は止めないで端末を素早く操作した。

 ――緊急事態発生。至急、応援と救護を求む。


 ひとまずナギサはワカシの許へ向かった。すでに倒れている連中の面倒を見ている暇はないし、椿吹と比べても戦況が思わしくない。

 何より戦力としては五ツ星の解放が再優先、といういささか冷徹で合理的な判断からだ。


 素早く割り込んで幻影を斬り飛ばすと、ワカシがはっとこちらを見た。情けない顔で。


「ナギサさ……」

「何を手こずっているんですか。貴方は椿吹を支援しなさい」

「……、はい」


 だいぶ複雑そうな顔と声ではあったが、ひとまずワカシが下がったのを確認し、改めて照廈(てるいえ)清百合(サユリ)の幻影と対峙した。

 いったい十二年も前に死んだ女の音念が、今ごろ何の用だろう。


 ――どうやらこの疑問に答えられるのは、サユリの向こうにいる男らしい。



 →

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