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十七、紛い物のシンフォニー②

 温井を除く反音念(アンチノイズ)チームの三人は、蛍を連れて支部に戻った。緊張の糸が切れたのだろう、極限まで倒したバックシートに寝かされた少女は、口許を赤く染めてぐったりしている。

 蛯沢は溜め息をついて「だから言ったのに」とボヤいた。


「まずいんですか? 清川さん」

「内視鏡で見ないとなんとも言えない。とにかく無理をさせすぎだよ、誰があんな設定にしたんだ?」

「それが照廈(てるいえ)氏なんですよねぇ……測定が目的なんで、確実にクリア可能な予測値よりかなーり上めに」

「つまり初めからこうなることは織り込み済みだったんでしょう」

「それにしたって、……自分の娘だろ」


 最後の呟きは独り言だったけれど、聞き取っていた御手洗たちも肩を竦めた。温厚な人当たりとは裏腹に、照廈尉次(じょうじ)という男は、ぞっとするほど倫理観が欠落している。

 血を吐いた蛍を見ても、彼は顔色一つ変えなかった。良心の欠如――いわゆるサイコパス的な気質の持ち主らしい。


 しばらく重々しい沈黙が車内を満たした。静寂を破ったのは例によって御手洗だったが、決して平生どおりのひょうきんな言動ゆえではない。


「……えっ? 何があったん」

「――はい、蛯沢です」


 ほとんど同時に鳴った着信音に医者が応答した。すぐに音声はスピーカーに切り替えられる。

 電話の相手は支部の外科医のようだ。


『まだ技研か!? なるべく早く戻ってきてほしいんだが』

「どうしました? 実は今ちょうど支部前の信号のところなんですが」

『実働隊が半壊した。……かろうじてまだ死人は出てないが過半数が重体だ。とてもじゃないが手が回らんもんで、何人かは大学病院に回してる』


 バックミラー越しに、運転席の釜寺が表情を強張らせる。

 横断歩道の向こう、支部前では集まった救急車の群れが、血のように鮮やかな赤色の光を散らしていた。


 少女は疲れ切っていたので、ずっと微睡んでいたのだが、ここへきて急に上体を起こす。

 蛯沢が「安静にしなさい」と押し止めたが、彼女は何ごとかを呟いていた。それを聞き取れる人間はこの場にはいない。


 信号が青に変わるまでの恐ろしく長い時間を、四人は水底に沈んだような息苦しい静寂の中で過ごした。




 *♪*




 約二時間前。通報のあった城下公園で、椿吹(つばき)班と照廈班(チームレッド)は音念の群れと相対していた。

 いずれもよくある散開型で、報告どおり中級音念(ラウドノイズ)が五体と、取り巻きの低級音念はその倍ほど。見た目や挙動に変わったところはほぼない。

 場所と通報そのものが妙だという点を除けば、特務隊の出番もなさそうな平凡な駆除任務だった。


 中級音念の対処は班長二人が担い、低級音念は尾被(おかずき)モモスケを筆頭とする平隊員三名であたることにした。つまり見習いのショータは見学である。

 少年は不満げながらも、前回の叱責が効いているのか今回は大人しくうしろに下がった。


「弱そうなやつがいたら試し斬りさせてやるよ」

「……前の新種ってやつでもう嫌ほど斬ってるんで、今さら試しとかないです」

「順序めちゃくちゃだな……ていうかあれ、結局新種じゃないっぽいぞ」

「えっ?」

「まだ断定情報ではないんですけど、いくら調べても既存の散開型音念との違いが見つからないそうです。だから増殖したのは外部要因の可能性が高いらしいですよ」


 エッサイの説明に、コハルとショータは納得いかなさげに眉をひそめる。あの場には低級音念や餌になる音は何もなかったはずだ。

 ……もしあったとしたら、人間の聴覚では捉えられない領域の音。たまたま近くに高周波音か低周波音を発生させている機械類でもあったというのだろうか?


 まあ過ぎたことを考えても仕方がない、というかそれは技術チームの仕事なので、コハルは姿勢を正して祓念刀の柄を握った。

 銘は『天泣(てんきゅう)』、意味するところは通り雨。武具としては恰好のつかない響きではあるけれど、楽器として捉えるなら、風情のある名前と言えなくもない。

 モモスケたちも同じく祓念刀を抜き構える。


「俺とエッサイで左右から掛かるから、干野は取りこぼしたやつを頼む」

「了解ですっ」


 コハルはうしろのショータの視線を気にして少し緊張していた。前はそれどころではなかったが、今日は先輩として彼に手本を示さねばならない。

 ベテランの二人が一緒なのは助かった。


 ――そう思ったときだ。奇妙な『音』が聞こえたのは。


 いや、違う。適切に刻まれたリズムを持ち、幾つもの音が調和しながら滑らかに連なるそれは、間違いなく意思を以て奏でられた『音楽』だ。

 全員がはっとしてそちらを見た。


 公園には前衛的な意匠の大きな噴水がある。その縁に腰掛けて、機材もなしにエレキギターを演奏している、一人の若い男がいた。

 もとい――増幅器(アンプ)は、ある。ギターから伸びた黒い筋がすべての音念に繋がっている。

 男は一見すると普通の人間に見えるが、指先が肥大してピックの形になっており、――彼を視界に捉えたとたん全員の祓念刀がエラーを吐いた。


「これ……まさか……」

「マジかよ、……()()()と同じじゃねぇか」


 椿吹班の二人がそう呟きながら、庇うようにコハルたちの前に立った。ほぼ同時にワカシも匡辰より一歩先んじる。


「……騒念(クラマー)を斬ったことはありませんけど、ナギサさんが来るまでの時間稼ぎくらいはできます……いや、します」

「わかった」


 そんな会話を聞いた気がする。この時点でコハルは内心パニックに陥っていたものの、ショータの手前必死で堪えていた。

 言わないだけでモモスケやエッサイも同じだったかもしれない。騒いだとて事態は変わらない、ことに音念が相手である場合は悪化を招くだけだということは、長年この仕事をしていれば肌身に染みていることだ。

 ましてやそれが、騒念ということは。


「あの、……おれも戦わないと、マズくない」

「……リーダーに許可もらってる暇ないよね……でも、なるべくワタシのうしろにいて。身を守るのが最優先だからね」

「うん」


 張り詰めた緊張の糸は、まずワカシの一撃によって断ち切られた。

 同時に身を翻した匡辰が中級音念を狩りに入る。そして残りの三人、いや四人は、低級音念を減らしにかかった。


 ナギサが来るまでワカシが持ち堪えれば大丈夫、相手は騒念とはいえ一体だけだし、それ以外は雑魚ばかり。何とかなるはず。

 ……全員がそう思ったのだ、このときは。


 ギターの男が、にやりと笑った。



 →

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