十四、憂愁メヌエット②
「尾被さん、上鷲さん、よろしくお願いしますっ。主にこの子がたぶん何かしらご迷惑かけると思いますけどすみませんッ」
「……なんで干野が先回りして謝ってんだよ。新人のうちは先輩に迷惑かけてナンボだろ」
木枯らしが吹き抜ける支部の玄関先。暗色の実働隊制服の生地はそれほど厚くはないため、集まった班員たちは寒そうに身を縮こまらせていた。
そろそろ上着が必要な季節だ。一応防寒装備の支給もあるが、着ると戦闘にはいささか邪魔だし、動けばどうせ温かくなるというので、あまり着用率は高くない。
とくに新人上がりの干野コハルと、まだ星無しの見習いである半裂ショータは、こうした形の出動は初めてだろう。とすると青ざめている理由は北風だけではないらしい。
後輩の面持ちに緊張の色を見とめ、上鷲エッサイは柔らかな微笑みを浮かべて話しかけた。
「一緒に出るのは初めてですね。よろしくお願いします」
「どうも。……あのさ、なんでハゲてんの? 趣味?」
「ショーちゃん! そういうこと言わないの!! ほんとすみません……」
「あはは、大丈夫ですよ。慣れてますから。……あれ? はっきり訊かれたのは初めてかな」
尾被モモスケはげんなりした顔で、きょとんとしている相棒を隊用車へと促す。今日は班長の椿吹がキーを握っていた。
乗車定員は六人。なんとか全員が乗り込めるものの、男ばかりなせいか少し窮屈だ。帰りはナギサも加わって一台増えるぶんマシになるだろうが。
紅一点のコハルはこっそり溜め息を吐いたが、彼女のことなので、半分くらいは運転席の男に向けた別の趣旨のものだったかもしれない。
海側から吹き込む初冬の風は冷たいけれど、本州全体で見れば太平洋に面する温暖な地域ゆえに、雪の気配はまったくない。
むしろ空気は乾ききって、空は薄蒼く晴れ渡っていた。氷のような色だった。
*♪*
彼らの出立を窓辺に立って見送ったあと、タケは総隊長執務室に、鳴虎は訓練室に向かった。前者は言わずもがな、後者は一人残された班員に会うためである。
練習相手がいなくなって塞いでいるのではないかと思ったが、時雨は平生と変わらないようすで素振りを続けていた。
「姿勢が悪い」
「っと……んだよめー姉、入ってきたんなら声くらいかけて」
「だから今かけたでしょ。ね、あたしも暇だし、久しぶりに打ち合いしようか。あんたもそろそろ三ツ星欲しいでしょ?」
問えば少年は「……まあ」と曖昧に頷く。
班員が昇級試験を受けるには所属班長の推薦が必要だ。時雨からそれを求めてきたことはなかったが、察しのつかない鳴虎ではない。
蛍が一人で前に――少なくとも彼女自身はそう信じる方向へ――進んでいる今、時雨は自分一人だけ取り残されたような心地であろう。……立場の異なる鳴虎ですら似たような焦燥を覚えるのだから。
祓念刀は壁際の専用ラックに預け、訓練用の木刀を掴む。形状や重さを平均的な祓念刀に近づけてある葬憶隊特注の品だ。
実際には個々で調整されているから、鳴虎の刀はこれよりもう少し軽い。時雨の場合はその逆だと聞いているから、ちょうどいいハンデになる。
かくて少年が遠慮なく突き込んできた一撃を、班長は軽やかに受け流した。
じっとしていたくないのはこちらも同じ。あれこれ考え患うのは性に合わない、それより思いきり戦って汗を流したほうが何倍も気分がいいが、今日はそのお鉢が回ってこなかった。
だから代わりにできることをする。班長として、すべきことを。
「あのさ、……めー姉さぁ、ッ」
「無駄口叩く暇あんの?」
「ガチかよ。……星、四ツになったのってさ、ッと……どっちが先? 匡辰兄とッ」
「そんなのあっちに決まってんでしょ。……本気で来なさい、じゃなきゃ推薦したげないからね」
性格の問題だと思う。
一つは鳴虎と匡辰の昇級争いが、基本的には彼の圧勝だったことについて。当時ふたりの所属班長だった人は、冗談交じりに「椿吹を昇級させると萩森はムキになって追いかけてくるだろ」なんて言って笑っていた。
事実だから言い返せなかった。悔しさは時に大きなモチベーションになる。
もう一つには今の時雨の太刀筋が、荒っぽくて隙が多いこと。不安も怒りも焦りもない交ぜになっている。
言葉数の多さに反して心内を口では示さない。その代わりに手足にそれが出て、まだ収まりきらないと、とうとう音念の形で吐き出される。それが癖になってしまっている。
奔放なようでいて中途半端に自分を抑えている、その歪みが剣にも出ているのだ。
*♪*
どうして勝てないのだろう。身長なんかとっくに超えたし、つまり体力や腕力だって今の自分は彼女よりも上のはずだ。
疑問に思うと同時に攻め手をひっくり返されて、時雨は無様にたたらを踏んだ。
「無駄に力入りすぎ。音念斬るのに、そんな力んで振り回す必要ない。ちゃんと前見なさい」
「……見てるよ」
「顔向けてるだけでしょ。視線がふらついてんの。さては蛍のことでも考えてんでしょ」
「ちげぇしッ」
上擦ってしまった声に、図星を自覚して気恥ずかしさが募る。向かいの鳴虎がかすかに笑ったのが見えた。
そんなんじゃないと喚く胸と、そうだよ悪いかよと開き直る腹と、自分の中ですら意見がまとまらなくて、その混乱がもろに挙動に滲んでしまう。恰好悪くて情けなくてそんな己を認めたくなくて、――背筋を生温い感覚が這った。
……出ている。また、悪いものが。
ヤバいと思った刹那、思わず祓念刀のほうを見た時雨を遮るように、鳴虎が同じ側から打ち込んでくる。
「と、待っ、めー姉ッ……」
「大丈夫だから続けて。まだ斬る大きさじゃないし、……あたしも一回、ちゃんとあんたを見なきゃ」
ひどく冷静な声で言われて、逆に時雨ばかり狼狽してしまう。
このままこいつが育ったら時雨を飲み込もうとするのに。鳴虎も一緒に襲われかねないのに。
背後では言葉にならない呻き声が、キリキリと耳障りな音を立てていた。
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