戦略的撤退
数秒の間生まれた沈黙の後、賽子がレイに質問する。
「ところでリヴィアの方の剣客はどうだ? 俺も一応見ていたが、やはり近くで見たレイの意見の方が参考になるだろう。あと、シュロス国の剣客の対応に追われていた時はあまり様子を見れなかったし」
「ふむ。……そうだね。俺も目の前の戦いに集中しなければならなかったからずっと見ていたわけじゃないけど、だんだん相手の陣中に後退していたような気がするな。もしかして、リヴィアの剣客の方がサポート系なのかもしれないと思っていたけど、何かをしているようには見えなかった」
「あー、つまりガチのゆとり世代が呼ばれちゃったパターンだね。異世界に来ちゃったけど、やっぱり人殺しは出来ませ~んって言っちゃうタイプだろう。そういうわけで、そいつはもう戦力から除外してもいいよ」
「安易に言い切るのは危険だ。俺たちを油断させるための作戦かもしれないからね。どちらの可能性も考慮して動くべきだ」
賽子は基本的に戦略レベルのことに干渉する気がないので適当に返事をする。
「ま、その辺の作戦立案とかはアンタたちに一任するわ。俺はただの駒に過ぎん。ただ、俺たちの世界の、特に俺たちが育った国は長らく平和な状態が続いているもんでね、本当に人殺しとか出来ませんってタイプの可能性は結構高いぞ、とだけは言っておく」
レイは苦笑して、
「ご忠告どうも。それにしても、シュロス国とリヴィア国が同盟を組もうとしていたという話は嘘ではなかったとして、何でそんなメリットのなさそうな同盟をシュロスは承諾したのだろうか……。まあ、今考えてもどうにもならないから自分たちの取った選択を信じて動くしかないね」
そのまま元来た道を引き返し続ける。度々、先に配置されていたと思われるシュロス兵の攻撃を受けた。
しかし、相手の中に剣客がいないことが分かっているので、強気で返り討ちにしていく。
「先回りされ過ぎじゃね?」
「はは、撤退戦は随分やってきたからね。相手もそれを見越して兵を置いていたのだろうが、相手の当初の計画通りには進まなかったみたいだね」
連合国から十分距離を離し、野営を組む。昨日の夜襲の件もあるので、警備についている人数は多かった。
賽子は手早く食事などを済ませて部屋にこもる。
その部屋にメアリも入った。
「今日は賽子さんの身に危機が迫っていたのに何も出来なくて申し訳ありませんでした」
部屋に入るなり、すぐに謝罪を始めたメアリをチラッと見て、
「いや、大袈裟に言う程の危機でもなかったから別に気にしてない……というより、むしろ別の場所に対する警戒をしてくれる方がありがたいかな。それこそ魔法に対する対策とか? 俺、魔法の有効射程距離とか知らないからさ。適材適所ってやつ?」
その言葉に、メアリがパッと顔色を明るくする。
「はい! 確かに賽子さんの仰る通りですね。以降気を付けます」
その後、布団に潜った賽子から、いつもの言葉が来る前に、メアリは一礼して部屋を出て行った。
賽子は特に見送ることもない。
反省して次の戦闘に生かさなきゃ、と呟きながら自分の部屋に戻っていくメアリの姿が、外への警戒に意識を向けている兵士たちの視界に留まることはなかった。
翌朝も早くから警戒態勢が敷かれていたが、だからと言って移動しているわけでもなかった。
ハイランド国の方に移動するかどうかは連合国が追いかけて来ているかどうかで判断する予定であり、まだ連合軍の姿が確認されていなかった。
あと一時間ほどで最終判断をするということになり、いつでも移動出来る準備をしたまま約三十分。
「シュロス国軍、リヴィア国軍ともに見えました!」
見張りの声を受けて、レイが全員に聞こえるように叫ぶ。
「よし、我々はハイランド国に向けて移動する。全員、移動用意!」
その声に呼応するように兵士たちが叫び声を上げる。
声量に乏しい賽子は相変わらず叫ぶことをせずにニヤリと笑っただけだった。
相手とつかず離れずの距離を保ちつつ移動する。
平時より行軍スピードが落ちていたラスター国軍であったが、二つの軍で足並みを揃えなければならなかった連合軍もかなりスピードが落ちていたので、今までと行軍ペースが変わることは無かった。
自然の中には明確な国境は少ない。川などがあれば話は別だが、ただ陸地が続いている場合は関所でもなければ、今自分たちがまだシュロス領にいるのか、もうハイランド領にいるのか全く把握できない。
しかし、ラスター軍がハイランド国の方へ向かって移動していることは、連合軍にとっても明らかだろう。
そのことに気付いてもなお、ラスター軍を追いかけてくるかどうか。それこそがレイたち軍幹部の懸案事項だった。
恐らくハイランド領と思われる場所に差し掛かると、レイの指示で行軍スピードがさらに落とされた。
スピードが落ちている間に、首脳陣が馬上で地図を広げて現在のおおよその位置や、これから通るべきルートを協議する。
連合軍がまだ追いかけて来ていることを確認して、元のスピードに戻した。
そのまま暫く進んでいると、先頭集団から報告が入る。
「ハイランド国の偵察兵を発見。確実に知られましたね。相手は迅速に退いていきました。どうしますか?」
「構わない。このまま行くぞ」
その後、しばらく進んでいると、今度は後方から報告が入った。
「後方の二国が一国ずつに分裂しました。恐らく、シュロス軍はラスター国への我々の退路を抑えつつ追撃してくるものと思われます」
「なるほど。少し面倒なことになったな。だが、ラスター国内に行かずにまだ俺たちを追いかけてくれているのなら想定内の範囲内だ」
レイの視線を受けた賽子は、分かっている、と言いたそうに手をヒラヒラさせた。
「シュロス軍には姿を自在に変えられる剣客がいるけど、アバター越しに相手を見れば大体わかるからな。そう言う訳で、俺はシュロス軍の警戒に重点を置かせてもらう」
「ああ。意図を汲み取ってくれて助かる」
ペースを保ったまま進んでいると、賽子の耳に喧騒が聞こえて来た。
「レイ、この先で戦闘が起きているみたいだぞ。かなり大人数だ」
レイは一瞬悩んだような姿を見せたが、すぐに決断を下した。
「総員警戒! まだ見えていないが、この先で戦闘が起こっている模様! シュロス国軍の追撃を誘えれば一番だ!」
軍に緊張感が戻ってくる。
やがてレイたちの耳にもその声や音が聞こえたようだ。
さらに進むと視界に多くの兵士たちが見えてくる。テンションの上がった賽子が、
「あれは、どことどこの戦いだ?」
と尋ねると、レイが苦笑して返した。
「ハイランド軍とミスルム軍だね。予想通り過ぎて逆に肩透かしを食らったような気分だ」
「ああ、あの光と闇の魔術で対立しているとか言う……」
別に賽子ほどの視力が無くとも、光と闇が目に見える形で飛び交っている。
連合軍との戦闘では相手の剣客が賽子の後ろにいて巻き込みたくなかったからか、魔術がほとんど使用されなかったので、魔術がここまで大規模に使われている光景を見るのは、賽子にとって初めてのことだった。
先頭を務める騎兵がレイに質問する。
「あの中にどうやって入っていきますか?」
「問題はそこだ。我々の戦力的にあの中心に割って入るわけにはいかないから、どちらかの軍の後ろに付けるしかない。我々に近いのはハイランド軍。そして奥の方にいるのがミスルム軍……さて、どうしたものか」
「ふーん。まあ俺はどっちが相手でも仕事は変わらんからどっちでもいいぜ」
後ろからシュロス国軍が追いかけて来ており、前方の軍勢に気付かれることも時間の問題であったため、長く迷っている暇は無かった。
しかし、今までの経験を生かしたうえで、レイはきっぱりと決断した。
「やはり我々は当初の目的通り、ハイランド軍にシュロス軍をなすりつけなける事を考えるべきだろうな。故にミスルム軍の側面に向けて移動する」
「んで、後ろの奴らはどうするのさ」
レイは少し笑って、
「なに。それはもう少ししたらわかることだよ」
と、前日に賽子が言ったような言葉を口にした。
賽子はそれ以上追及することをやめた。他の部下たちもレイのことを全面的に信頼しているのか、疑問を挟むことなく進路をミスルム軍側に修正している。
二国の様子を眺めていると、まず、ハイランド軍の兵士が完全にラスター軍に気付いて上官らしき人物に報告している様子が見えた。
だが、指示待ちだからなのか距離が遠いからなのか、攻撃が来ることは無い。
やや遅れてミスルム軍も同様の動きを見せた。
賽子はそのような雑兵の動きにはほとんど注意を払わずに、塚原の姿を探す。
かなりの強さであったが故に、簡単に見つけられた。
当然の成り行きで、塚原と鍔迫り合いをしていたミスルム国の剣客と思しき人物も簡単に発見できた。
塚原の持っている仕込み杖と、相対している人物が持っている漆黒の傘が火花を散らす。
刃物を相手にしても折れていない時点で、あの傘は特別な装備と見るべきであろう。
何故かツインテール部分だけ金髪になっている黒髪を風に靡かせ、剣戟の余韻を全身で味わっているオッドアイの少女。
彼女は黒を基調としたゴスロリ服に身を包み、余裕のある笑みを浮かべている。
その姿を無機質な瞳で眺めながら賽子がポツリとつぶやいた。
「あれがミスルム国の剣客か」
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