呼ばれた異世界は、俺を歓迎してくれませんでした。
突然だが、現実から逃げたいと思ったことはあるか。
俺は──黒木志郎は毎日思ってる。
今日もパワハラ上司に怒られた。
営業のせいで理不尽に納期を短縮させられた。
その皺寄せで残業が増える。
疲労でミスが増えればまた怒られる。
クレーム処理で余計な仕事が増える。
モノを作るという仕事は好きだが、この現実はクソだ。
それこそ、異世界があるならそっちに逃げたい。
可愛い女の子と運命的な出会いをして、みんなからチヤホヤされて、のんびり生きたい。
毎日栄養ドリンクとコンビニ弁当に頼る生活はもう沢山だ。
そんな事を考えながら、今日も夜中にコンビニで弁当とエナドリを買い、家のレンジで温め、スマホでWeb小説を読みながら夕飯を済ませる。
この後はシャワーを浴びて、歯を磨いて、またベッドで数時間寝た後、地獄へと足を運ぶ。
はずだった。
突然、リビングに魔法陣が描かれて激しく光る。
「うわっ!な、なんだ!?」
思わず立ち上がり、魔法陣の外に出ようとする。
廊下に繋がる扉に手をかけたところで、目の前が光に包まれる。
光と魔法陣が消えたリビングには、食べかけの弁当と、飲みかけのエナドリが残っていた。
白飛びした視界が元に戻っていく。
目に映る景色は、俺の家じゃなかった。
分厚い本が並んだ本棚。
肌触りのいい絨毯。
丈夫そうな机と椅子。
そして、いかにも偉そうなヒゲを生やしたメガネの老人。
手には赤い球が嵌め込まれた杖と、これまた分厚い本を持っている。
「……成功、したようじゃな」
「ようこそいらっしゃった救世主様。ワシはテオドール・オズワルド。どうか、貴方の名前を聞かせてくだされ」
本を閉じ、こちらに歩いてくる。
「ち、ちょっと待て。救世主?なんのことだ?」
急な展開過ぎて頭が追いつかない。
もしかして、本当に異世界に来てしまったのか?
「……む?妙じゃな、ちゃんと召喚時に事情を頭に入れておくように呪文を加えたんじゃが」
老人がヒゲを撫でて、片眉を上げる。
「……俺は黒木志郎。二十四歳。製造業勤務。特技は……機械加工だ」
どう見ても機械とかある感じの世界では無さそうだが、他に誇れるものも思いつかなかった。
とりあえず、名前と仕事だけ名乗る。
「……セイゾウギョウ?キカイカコウ?何じゃそれは。呪文か?」
老人──テオドールが困惑の表情を浮かべる。
反応を見るに、やはりここに機械は存在しないらしい。
「まさかワシが失敗した?魔法の行使を?確かに召喚術は高等術式ではあるが──」
ボソボソと独り言を呟き始める。
もう少し、この世界の事情や俺が呼ばれた理由なんかを教えて欲しいものなのだが。
しばらくして、テオドールが俺の方に向き直る。
杖の先端を向けて、何かを唱える。
「──なんじゃ、この魔力は。質も量も低すぎる。スキルは悪くはないが……こんな能力値では、宝の持ち腐れじゃな」
「──すまんな。恨みはないが死んでもらうぞ」
杖を振り、氷の針を作り出す。
それを、突然こちらに飛ばしてきた。
「うわっ──!」
咄嗟に転がり、回避する。
自分の運動神経と反射神経に、初めて心の底から感謝した。
「い、いきなり何しやがる!」
「お前は失敗例じゃ。大した能力も持たず、喚ばれた理由も分かっていない。ワシのような才気あふれる大魔法使いが、失敗などあってはならない」
すごい剣幕で、再び氷の針を浮かべる。
「お前という失敗を無かったことにして、もう一度召喚を行う。これでワシの名に傷はつかず、国も救われる。一石二鳥じゃ」
さも当然のような顔で、とんでもないことを宣った。
「待て待て待て!そんな理不尽な話があるか!せめてあんたの上司に挨拶くらいはさせてくれ!」
必死の命乞い。
だが、願いは届かなかった。
「──ダメじゃ」
氷の針が心臓めがけて飛んでくる。
反射的に胸を守るように手を動かす。
──ガキンッ
何かを弾く音がした。
「……は?」
俺の腕には、いつの間にか鋼鉄の小さな盾が装着されていた。
傍らには、盾に弾かれた氷の針が、床に転がり溶けて消えるところだった。
「な、なんだこれ……?」
「な、バカな、どうやってそれを出したんじゃ……!?」
二人揃って目を白黒させる。
またテオドールがブツブツと独り言を呟きながら下を向いて思案する。
しばらくして、また俺に向き直る。
「──分かった。お前を我が王、ユーゴ様に謁見させてやる」
「お、おう……ありがとう?」
何が何やら、とりあえずこの場は生き残った。
テオドールが部屋を後にして、しばらく経ったあと。
二人の兵士を連れて戻ってきた。
屋内で勤めるには少々重武装なのが気になる。
まさか俺が暴れると思っているのだろうか。
彼らに連れられ、部屋を後にして廊下を歩く。
美しい装飾が施された、大理石の柱。
表面をよく整えられた白い漆喰の壁。
見栄えだけじゃない、実用性もしっかり考えられている城だ。
仰々しい大扉の前が兵士によって開かれる。
広大な大広間。
床材はよく磨かれた大理石。
正面には美しいステンドグラス。
その直下に、玉座に座る王様がいた。
「──よくぞ来てくれた。救世主よ」
厳かな声。
思わず片膝をついて跪く。
こういう場での礼儀や作法は知らないが、そうさせる覇気のようなものがあった。
「黒木志郎。求めに応じ、馳せ参じました」
事前にテオドールに言われた台本通りのセリフを言う。
「ほう、“黒騎士ロウ”。良い異名だ」
「で、本当の名はなんだ?」
……何か、勘違いされた気がする。
黒木志郎、それが俺の本名なんだが。
「申し訳ありませんユーゴ王。彼は現在、召喚の影響で記憶が混乱しておりまして」
取り繕うようにテオドールが口を開く。
ユーゴ、それがあの王様の名前か。
「……そうか」
背もたれに身体を預けて小さく呟く。
「黒騎士ロウよ、お前に、救世主としての能力があるのか見せてもらいたい」
「お前は、何ができるのだ?」
鋭い眼光で睨まれる。
怒り出す直前の上司を思い出す眼だ。
「何が、と言われても……」
俺ができるのは金属加工、溶接、組み立て。
あとは──さっきの盾ぐらいか。
だが、あの盾はどうやって出したのか俺にも分からない。
だから、この場で披露できる特技がない。
困った顔をしている俺を見て、ユーゴが小さくため息をつく。
「テオ、話がある」
「はっ、すぐに」
テオドールが魔法で宙を飛び、玉座のそばに立つ。
俺に聞こえない声量で、何かを話している。
……一応客人のはずなんだが、俺。
軽く咳払いをして、ユーゴが座り直す。
「──救世主ロウ。召喚されたばかりで、今は疲れているだろう。少し休むと良い」
兵士に立ち上がらせられる。
「えっお、終わりですか?」
「うむ、終わりだ。装備や貨幣は後ほど渡す」
冷たく突き放される。
どこか納得いかないまま、大広間から連れ出されてしまった。




