表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

ズル休み

 何をしようかな。思い浮かんだことを実行していくだけ。それができれば苦労しないよ。俺は全てを停止したかった。思考も、行為も、時間も。だが魔法は使えない。魔法を使える世界に逃げたかった。だから妄想することはあった。続きを考えようか? そんな気分でもない。だからただ吐き出すだけだ。

 クラスメイトと友達になりたいとか思ったことはないが、そう思えない自分は好きになれなかった。もっと人間関係に充実しているくらいが毎日がエブリデイだったからな。そんなウキウキワードだったか。学校に行きたくねえ。そう思って布団から出られないでいた。まあ一日くらい休んでもどうってことはないさ。

 ただのモラトリアムなんだ。そう自分に言い聞かせることにした。抜け出すことができなくて苦しんでいるよ。永遠に変わらないからね。そうだったとして不都合があるか。俺が本当に必要としているものは俺の心に平安をもたらしてくれる聖霊だったに他ならないな。

 何をしても休まらないと知っていた。だったらどうするというのだ。戦うか。世界を敵に回して。そんなことをしてもただ疲れるだけだよ。神との戦争ほど無駄なことはない。そもそも神様はこっちについてくれない。両方が悪魔で潰し合いをさせるだけなのだよ。宗教戦争ほどくだらないものはないからね。自分が信じていることが絶対正しいとか絶対ないんだよ。いや絶対は絶対にもないのかもしれないが。

 何もやる気が起きねえ。だが休みの連絡は入れなきゃなと思って、学校に連絡。精神的に辛いです。とは言えないもので、風邪を引いたので休みますと電話を入れた。さあ、こんな一日はアニメでも見るか。と言いたいところだったが、俺は楽しんでエンタメを摂取できるほどおめでたいやつでもなかった。

 たまにはいいのだがね、それでも虚しくなるものさ。自分とは関係ない人が自分と関係ないところで充実している。それを作り上げる仕事をしている人たちは報いを受けて、より良い生活をしているのに、俺はグダグダだってね。それでも生きているだけでいいのだとしたら、何もやらない時間に満足感を覚えられたはずなのにって思うよね。

 牛乳でも飲むか、なんのメタファーだ。母乳でも吸わせてくれやママってほどマザコンではないが、まあ女の乳首は舐めてみたかったね。どんな顔するんだろうとか思って、いやキモって言われるだけか。やらせてもらっている時点でそれはご褒美なんだが、ってまあ俺はAVでも見て満足しますよ。割れだけどね。

 楽しければそれでいいんだと思えていれば、幸せだったなと思う。信じるか信じないかの緊張の中に生きている時が一番良かったりして、求道生活というらしいよ。まあそれはキリスト教の文脈で比較的良く聞く訳だが、俺の今の状態はそれには当てはまらないなと感じていた。そもそも信じるつもりなどない。

 信じるとは何かということだけが知りたかった。真実に対する応答なら良いのだが、単なるドグマを脳内に生成して、それを土台に回路を作り上げているだけなら、これほど悲惨なこともないはずだが。一番大切なことは何か、神とはどういうお方かということではないのか。そうだとして俺はどう生きるべきかということではないか。

 そこがキリスト教に対する反発みたいなところで、何のために救うのかというか、他の人を救うためだったとして、その他の人は何のために救うのか、また他の人を救うためなのだとしたら、無限前進じゃん。永遠に終わらない仕事みたいで悲しくなる。まあ携挙があり大患難時代があり、再臨があり、千年王国があり、白い御座の裁きがあり、新天新地があり、というのがディスペンセーショナリズムだというのだが。

 それも本当のことなのかと疑いたくもなる。まあいいんだが、存在の根拠を辿っていくと神に行き着くのだとしてえ、救いの根拠を追っていくと永遠に終わらない前進か。最後に救われたものが神でいいんじゃない? そんなテキトーなことを言い放つだけの世界観。まあ神って何だっていう話でもあるんだが。

 父、子、聖霊とは何かというのもよく分からない。分かっている人もいないと思うのだが、三つの位格において存在するという謎というか、まあ神と神の子、神と神の霊、二つの関係、三つの交わりくらいならまだ納得できるか? それは本質から離れているのかもしれないが、父も子も比喩に過ぎないのだろう。

 まあ俺に言わせてみれば人間の親子関係こそ神の親子関係の比喩なのかもしれないと思うので、むしろ父、子というのは人間以上に親子なのかもしれないなとは思うのだが。いやだからそんなことを考えて何になるんだ、信じるとかそういう問題ではないぞ。俺は真実を吟味したいだけなのだ。真実の求道者なのだ。

 人間として生きていくだけでも偉いぞ、俺。働かなくてもいいのだ。だがそれでは結婚できない可能性が高まるし、普通の幸せからは遠ざかる。そうやって永遠を手に入れたのだとしても、後悔だけが残されて、心は地獄のままで礼拝しなければならないのかな。俺は毎日が俺という神殿に食事を供えているのだが。

 大切なことが何かというのをもう一度考えなくてはならない気がした。本当のことは重いと知っている。虚構ではないのだ。真実はどこにあるのかを探らなくてはならない。そんなものはない。人間には物事の本質など分かるはずがないというのが不可知論だったか。俺は一番面白くないが、半分それが正しい気もした。

 無神論に振り切っちまえば良かった。全ては偶然の産物。進化の賜物、地球環境に選択されただけ。それで俺は現れえて消えていくだけの一個人、歴史に名を残しても将来的には絶滅するので、本質的には変わらない。その方がよっぽど救いな気がするのだが、神が存在しない可能性という魅力に勝てるほど、この世は偶然ではなかった。

 実際神の実在を感じることはある。どれもこれも決定的ではないのだが、信じてあげてもいいかなと思うくらいにはお茶目な神様だった。イエス・キリストによる救いを受け入れるとするのならば、乗り越えなければならない壁があるだろうか。いや恵みなのだから、受け取るだけなのだという。だがその分他に救いの根拠を持ってはならないという命令でもあるのかもしれない。

 俺はこんなことをしたから、こんなことができるから救われて当然という態度を改めなければいけないようだ。実際俺にそんなものはないのかもしれないが、救われるということは価値を認めるということだ。だから、俺の価値は俺に由来するというのが自己中心の罪で、十字架と復活があなたのためだから、というのが福音なのだという。

 福音を信じるかどうかですかい。まあ信じてやってもいいがね。だが信じるということが何なのか分からない。祈りなのか、理解なのか、だとして俺は神に祈る気なんて微塵も起きない。ただ面と向かって呪いを吐き捨てたくなる時がたまに訪れるだけで、イエスにしても聖霊にしてもありのままの俺を愛するとか抜かして、俺を根本的に変えようとしないのではないかってね。

 だからどうしたとも言いたくなる。俺は自分を信じている訳ではないのだが、本当に大切なのは自分がどう思うかなんじゃないかと思っているところがある。その上で何をするか。神に似せられたのだとしたら、どのようにして神に近づくかによって、その人が形作られていく。

 ソロモンも妾がいたんだ。俺にいたっていいだろう。歴史の流れなど関係ない。他人にできて俺にできないというならそれは真の意味で愛の神ではないと思うのだ。それが俺の信仰告白ではないし、別に無限セックススキームに入りたい訳ではなかったはずなのだが、結局他人の比較して馬鹿らしくなっているのが俺なのかもしれない。

 俺もそれくらいできたはずだと、まあそんな罪のために覆われるのも忍びないので、たまには紳士な夜を過ごすのもありかもしれませんねと煮えたぎらせて、単なる罪人と切り捨てられたくない心の叫びが現れていた。

 俺には何ができて、何ができないのか、人生設計をどうすればいいのか。まだ高校生だからと言っているとあっという間に壮年だ。その間は長く苦しんでいるのかもしれないが、人生の作り方など教わったこともない。予測能力に欠けているんだと気づいたので、正直知性には乏しいんじゃないか。ただ少し暗記ができるだけ。

 それも全然完全じゃないし、物事の繋がりが一時的に見えているだけ、時が経てば忘れるしその場しのぎを繰り返しているだけ。勉強も頭に入っている訳ではなく、元素記号も一度全部覚えたが、歌にして覚えられるところから先は全部抜け落ちてしまった。どうにかなるかもしれない土俵の上ではあるが、ほぼほぼ絶望の世界。

 何か面白い話が聞けると期待した人たちを失望させてただ孤独になる俺の独り相撲ですか。それを変えてくれる可能性がある神との会話を持ちたかったのだが、そうするためには聖書を開く必要があったとかなかったとか。まあ聖書を通して啓示された神が真の神である可能性はそれなりに高いと思うよ。

 現実については全然知らなかった。人の話もまともに聞けなかった。悲しみの中に生きていた。それも言い過ぎだったか。俺の言葉を聞いてくれる人を求めていた。一人でも二人でも、まあ無数にいればいいのだが、最悪天使たちに聴かせるか、という程度の感覚でしかなかった。そんなに信仰熱心ではなかったのだけども。

 休んでしまった後悔などない。何をしても別にいいと思っていた。俺だからというか、少なくとも俺の場合はどのように振る舞ったとしても何も変わらないと信じていた。だが物語は少しずつ進むのかもしれない。この際誰かに告白して、永遠を共に生きる誓いを立てられたら良かったのだが、永遠ではない。精々片方が生きている間か。人生というのは短く、儚い。その中で何をできたかなのか、それとも何を選んだなのか。

 本当に選ばなければならなかったものは真理だったのかもしれないが、真理が人間に分かる世の中ならいいのにね。本来であれば人間の脳に収まらないようなことを、それこそ総体が真理なのかもしれない。全ての人間模様を把握できずに真理を知ることができうと嘯いてはならないような。

 だが思うことというのは、イエス・キリストによって救われるということは全ての人間の価値はイエスの生き様に収縮し、彼に従いどう歩むかに帰着するのではないかということ。しかしイエスの人生は人を救うこと。救われる人は何のために救われるの? また同じところに帰っていく。

 まあ我々一人一人神の創造なんだ。神から離れて生きてきたんだ。神の作品としての価値はあって、それを買い戻してくれたのがイエス・キリストの血潮なんだというのが教会の教えだったような。教会に行ったことがあるとかいう訳ではないのだが、滅びゆく魂を神に立ち返らせることがキリストの仕事かな。

 そこに示された神を選ぶというのが信仰の飛躍かもしれない。何ら難しいことはないですよ。と言いながら、非自明な事実をそのまま受け入れているような気もする。神が愛というのなら、歴史上これほど決定的に示された愛もないのだと、いや、まだだ、まだ真の神は真の愛を示していないと食い下がろうか? それではユダヤ教と大差ないではないか。

 メシアニック・ジューという存在がやたら気になりはする。ユダヤ教の背景を持ちながらキリスト教を信じている人たち、或いはユダヤ性の完成としてイエスをメシアと受け入れている人たち。俺もそういう何か特別な背景があれば違ったかなと思わないこともない。そもそも俺は何かを信じたり、従ったりするつもりなどないのだ。

 ただ自分が到達したことに従って歩んでいるだけなのだ。できることをしているだけ。したいことをしているだけ。それで受け入れられればいいのだが、俺は高校生ながら金を稼ぎたいしそれもインターネットでと張り切ってみたものの、どれもこれも失敗した。残念無念。だが絶望ではない。どうせ、アルバイトもうまくいかないが、だとして俺の価値が全て否定される訳ではないのだ。

 俺の価値を何に見出せばいいのかは未だに分からない。イエス・キリストの中に俺を見つけることができるのであれば信じるはずなのだが、何の関係があるというのか。そこを無理に埋める必要もないと思う。ああなんでそいつのことばっかり考えてしまうのか。俺の悲しい性かね。

 現状が満ち足りていれば信じる必要もなかったのだが、それが永遠ではないと悟ることが賢さであるというのなら、人生のランクが高くても低くても同じ土台の上の個性で整理されるキリスト教というのがどれほど魅力的であったことか。てかいつまでそんなことを考えているんだ。もっと俺に目を向けてくれよ。

 ベッドの上に寝転んでいた。考える時間が欲しいかった。何が正しいのか知りたいと願っていた。本当のことは重いのだと知っていた。人間は真理を知ることができるか分からなかった。中世に後退するのが真実なのかとも思うが、古代、中世、近代、現代、全ての時代に救いがあるのが本当の世界の姿ではないのかとも思う。

 アブラハムを通して、ユダヤ人から救いが出る、ね。俺は日本人であることに対して特に何とも思っていない訳ではあるが、ユダヤ人に対しては多少のシンパシーを感じていた。俺も幼い頃神を知っていた。天国も地獄もあると思っていた。神は唯一だった。

 ニヒリズムな傾向があったからイスラム教の方が向いていたんじゃないかとか失礼なことも思ったものだが、まあ生きていることに意味を見出しているのは彼らも変わらないはずだった。俺のニヒリズムはむしろ俺の人生より世界に価値がないから、滅びるべきだという点にある。俺は人類全ての思想犯だった。

 どうにかこの世界を滅ぼせないものかね、延々と呪いを綴ってやろうか、それが俺の真の魔法とか言って、厨二病なんだから僕。それはそれとして、もう何もかもなくなって良かった。いやそれは言い過ぎだった。世界は滅びてもいいが、全てが消滅するのは悲しかった。せめてイエス・キリストだけでも残ってくれればね。

 そう思っている限り信じることによる救いを肯定しているのかもしれない。どんな異端が混ざっていたとしても、キリストを通して真の神に向いているのであれば救われるべきだとか。まあイエスが本当に神の子なのかは検証する必要がある気がするが、それは復活によって、弟子たちの証言によって示されていると考える人もいる。

 ああ、この私に信仰を与えてください。と神に願った。俺には何もない。せめて神を信じることだけでもってか。テンプルトン賞をください。例の大統領に代わって贈呈しようか、ってそんな冗談にもならないことを言って、俺の永遠が今日も深まっていく。外はカラッと晴れていた。どこか胸が痛む。心苦しいんだよ、青い空に全て見透かされている気がして、それが神の瞳だったのかな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ