その王子、胃痛
「──それで?」
「はい! ガレオン号の船員達は皆、一先ず私の家で召し抱えることとなりました。殿下の盾となり、剣となれるよう、騎士団長様にお預けして、再教育を」
「そ……そうか。よく……うん。よくやったねイザベラ」
憐れ、海賊達の運命よ。
下手をしたら死ぬよりも辛い目に合うに違いない。
若干遠い目をしながら、サイラスは彼女を褒め称えることにした。
当然、本心からのものではあるのだが。ここで否定でもしようものなら、彼女が「やはり首を持ってきたほうがよろしかったですか……!」となるのは目に見えている──ということでもある。
たしかに海賊達は特級犯罪者ではあるし、その被害も尋常のものではないのだが。あの騎士団長の元で再教育などという話を聞けば、それすなわち刑罰に相応しく。
騎士団長直々の再教育──その苛烈さは広く国内に知れ渡っていれば、批判の声も少なかろう。
そういう意味では、彼女は良くやった。
無闇に人死を出さず、最善の形で丸く収め、きちんと罰を与える。素晴らしい手腕である。──彼女がそこまで考えていたかどうかはまた別なのだが。
しかしながら、そうした事はさて置いて。
それを単騎、たった一人で行ったというのだから、サイラスの比較的繊細な胃腸はますます悲鳴を上げることになったのである。
何かあったらどうするのだ。そもそもなんで一人でできるんだ。男であり、王子である己の立場とは。云々。
言いたくとも言えない、悲しい心の叫びの数々は、内臓を貫いて止まない。
褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、切れ長の美しい瞳をぐずぐずに溶かしながら、イザベラは満足気に微笑んで退出していった。
その後ろ姿がすっかり扉の向こうに消えてしまったのを確認して、サイラスは大きな溜息を吐く。
ソファに寝そべり、腕をだらりと垂らして。およそ王子らしからぬ不貞腐れ方である。
「俺の立場…………」
物語では何時だって、王子が姫を助けるものだった。
姫はか弱く、繊細で。
襲い来る悪を切り伏せ、薙ぎ払い、颯爽と姫を救うのが王子であるはずなのだ。
──が、しかし。
「もはや俺がヒロインなのでは……?」
地獄の思考に至って、彼はそれを振り払うように頭を振る。
とんでもない、弱気がすぎる。
だが、塔に幽閉された姫を、救い出す己のビジョンが一切湧かない。
幽閉されたことに気がつく前に、アレは無傷で戻ってきている。
寧ろ王子が幽閉され、次の瞬間無事奪還されているところのほうがまだ想像できる。
その妄想の情けなさたるや、筆舌に尽くし難い。
だからといって、彼女を疎ましく思うわけではない。
それが問題なのだ。
サイラスはきちんとイザベラが好きだった。
微笑む顔は、一等に愛らしく。たおやかな仕草は、何よりも美しい。
サイラスを第一に考え、サイラスのために何かをしようとする彼女のいじらしさのようなものも、一部やり過ぎなことや、やり方がとんでもないことや、思考回路がちょっとアレなことに目を瞑れば何ということはない。
好いた女の前で良い格好がしたいのは、万国共通の男の本能──あるいは、矜持であるからして、サイラスは大いに悩んでいる。
「浮かないお顔で、お悩みですか? 王太子殿下」
「──ノックぐらいしろといつも言っているんだけれどね?」
「固いことは言いっこなしですよ」
糸目をきゅうとしならせて、寝そべるサイラスを見下ろす紫髪の少年が一人。
少年は、美しい装飾の化粧瓶を振りながら「魔法使いの宅急便でェす」と、暢気に間延びした声を出した。
✲✲✲
「相変わらず胃腸の具合は最高そうですねえ」
「嫌味かな??」
「御贔屓に、どうも」
机の上に置かれた化粧瓶には、薄緑の怪しい液体がたっぷりと入っていた。
サイラスが手に取るそれは、彼御用達の特製胃薬である。
「あまり巫山戯たことをしていると、ここに縛り付けて五時間は恋愛相談の相手をしてもらうからね」
「アッ、想像以上にハードじゃないですか。溜まりに溜まってますねぇ」
目の前でニヤニヤと笑う少年は、宮廷魔術士団のトップ──俗に言う賢者や大魔導師──の孫に当たり、学園での同級生であり、サイラスの友人でもあった。
魔法全般から薬学に長け、彼の作る特製胃薬は、王子の胃痛改善をサポートする頼もしい相棒でもある。
「まぁ聞いてくれ…………王子の命令だから聞いてくれるね?」
「職権濫用って言葉知ってます?」
「権力は振りかざしているが職権は濫用していないよ」
「滅茶苦茶な屁理屈じゃないですかぁ?」
まぁ聞きますよと向いに座った少年は、サラサラとしたポニーテールを揺らしながら、またケラケラと笑い始めた。
脱力しきった王子が面白いらしい。イザベラ様が見たら発狂モノですねぇ、と恐ろしいことを言う。
「そんなにお疲れになってどうしたんですの……! から始まって国が一個消えるところまでは想像がついた」
「そんなこと言って。どうせ良い格好しいでこんなダラダラな姿を見せられないと踏みました」
「良くわかってるじゃないか」
「まぁ幼馴染ですから??」
生徒会の連中は皆、幼馴染みたいなところありますけどね。
その言葉に、もう直ぐ新学期が始まるのだと思えば楽しみなような気が重いような、妙な気持ちが湧き上がる。
王立ルミノクス学園。
国中から優秀な人材が集まる場所──といえば聞こえはいいが、それは同時に面倒な……一癖も二癖もあるような連中と顔を合わせ、渡り合う毎日が、その場所で待ち受けているということでもある。
「みんな会いたがってますよ。……アルトなんかは親についてあちこち飛び回ってたそうですから、泣いて恋しがってると思いますけどねぇ?」
「泣くのは困るんだが」
「この間『王子に早く会いたい……』と、一言だけ書かれた手紙が送られてきましたけど。涙で濡れて滲んでましたね」
「泣いてるじゃないか……!」
そもそもなんでお前に送るんだとか、色々言いたいことはあるのだが。サイラスはそれをぐっと飲み込んだ。
「新学期も魔法使いの宅急便をどうぞよろしく」
「……魔法使いの宅急便って何なんだ……」
良く効く胃薬を齎してくれる魔法使いは、同時に胃痛を齎す一派の一人である。
相変わらず巫山戯きって読めない笑みは、きっとサイラスの苦り切った顔を見て楽しんでいるに違いなかった。
もう暫くは、この胃薬を手放せそうに無い。
王子はヒロイン。はっきりわかんだね。
結局恋愛相談してないけど多分このあと死ぬほど語ってるんだろうなぁという気がします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。