五、
四代将軍源朝子は、洛中の大きな話題となった。
帝、院のお声かがり、「権勢の女」卿ノ局が後見。故右大将源頼朝公の娘。北條氏独裁が露骨になってきた幕府に、たったひとりで立ち向かう清和源氏主流の末裔!普段は雲の上の出来事と、対岸の火事で野次馬を決め込む庶民が先ず熱烈に歓迎した。悲劇の血統、目を見張る長身、凛とした容貌。そして何より女子であることが気に入った。
四代将軍源朝子は、堂々と騎馬にて都大路を進む。成人した女人が、まして高貴な出が素顔を衆目に晒すなどありえない。朝子は、驚き見上げる群衆ひとりひとりに微笑みかける。それだけでもう、ひとびとは体中が熱くなった。一目見て紛れもなく「正義は、四代将軍にあり!」と確信した。根拠や理屈なぞない。かくて、朝子は登場直後から民衆の圧倒的な支持を集めた。それは無責任な熱狂であった。「人気」という捕えどころのない概念が有史以来、初めてこの国に出現した。この「人気」について、それが何であるか説明できるものは誰もいなかった。しかし、確かにそれは存在した。そう、源朝子は「人気者」であった。敵対勢力は、この得体の知れぬ「人気」に事あるごとに翻弄され驚愕呆然することになる。
突如現れた四代将軍に、既存の組織は混乱した。
貴族社会は、この闖入者に深刻な拒絶反応を起こした。
公家は血と序列の世界ある。内裏は継続の場であった。いにしえからの祭祀を守ることが総てである。連綿と血を繋ぎ、祈ることだけを続けてきた。変化、改革は害悪でしかない。保守、守り保つ。伝統とはそう云うものだ。そこへ大波が押し寄せた。闖入者はあまりにも異形。否が応にも目を引く長身、並々ならぬ佇まい。忌まわしき、武人と白拍子の混血!神聖かつ清浄な宮中には、到底受け入れられるものではない。
そして問題は女子であることであった。女でありながら武家を相続する。許されることではない。いや、それよりも何よりも、女子であるからには当然、腹に子を宿す危険があるではないか!
清和帝を祖とする源氏、その主流である河内源氏為義流。しかも将軍家とあらば確かにそれなりの家柄である。よもや卿ノ局は、源朝子と皇族との縁組を狙っているのではないか?六つの帝は圏外としてもだ。院は、朝子を大層お気に召している。さすがに側には置けないが、親王のうち誰かと・・・は当然頭にあるだろう。それでなくとも他の皇族、例えば宇治の布智王あたりと結ばれると厄介である。布智王も源朝子も傍系に過ぎぬが、この二人の子となれば皇族と武家双方の血縁で価値は高騰するであろう。絶対に阻止せねばならぬ。娘を入内させ勢力を得ようとする層、殊に左大臣・九条道家なぞは警戒を強めた。
朝子は憎まれた。毎日、御所へ参内するが相手にされない。用事もなく控えも与えられない。朝子は徹底的に排斥された。殿上人でありながら、朝廷に四代将軍の居場所なぞないのだ。
長身男装、その姿がまた公家達には一層異様なものに映っているのだろう。口さがない貴族達は、朝子を「黒たづ」「め天狗」などと渾名し揶揄した。ばかりか、宮中に仕える女房共はもっと陰惨で「小姫様」と呼ぶ。朝子の外見への皮肉と、頼朝公長女で亡くなった「大姫」への当てつけである。貴族社会の執拗な誹謗中傷は、流石に千年の年季が入っている。
それでも、朝子は連日やってきては平気な顔で昼過ぎまでうろついている。悪口雑言が耳に入らぬ訳がない。意に介さず、朝子は口元に笑みさえ浮かべ堂々と宮中を闊歩する。その態度がまた不気味で、公家共は遠巻きに好奇と嫌悪の目を向けるのみであった。
武家社会においては、源朝子は複雑に受け止められた。「源平」という前時代の亡霊がそのまま出現したような戦慄。そして違和感。一方で今更?何故?という疑問が噴出した。最早、幕府は確立している。有体にいえば将軍が誰であろうと、更には現状の如く不在であっても全く揺るぎない。今時、清和源氏も将軍家もないものだ。まして女子ではないか。醜聞としては面白い。何しろ「四代将軍」であるからな。ただの名乗り?そんなのが通るか。明らかに北條政子への面当てであろう。鎌倉は大変だぞ。西国の武家なぞ大方はニヤニヤ傍観している。
そういった空気もあって、縁続きであるはずの別流源氏一族一党は「関わると何かと面倒」とばかり、源朝子を無視、知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ。
笑っていられないのが幕府である。突然の「四代将軍」出現。京都守護・伊賀光季にしてみれば、青天の霹靂!光季は、大慌てで鎌倉に報告した。
執権・北條義時には寝耳に水である。相模守義時は勇猛果敢な男だ。力の信望者である。常に戦場では先頭で闘った。力のある者が天下を獲る。頼朝亡き今、義時が最高権力を握るのは当然であった。義時は実権を欲したが官位には興味がない。というより判らない。触らぬようにしていた。そういうことは総て姉政子に任せてきた。征夷大将軍なぞ、所詮飾りだ。ただ、義時は時代の流れも理解している。天下を獲るのと、天下を治めることは違う。天下を獲るのに官位はいらぬが、天下を治めるには相応のものがいる。己は天下獲りまでだ。あとは、弟・時房や嫡子・泰時の役目だろう。天下を治める仕組みを創らねばならぬ。そのために、政子や大江広元が画策しているのが宮将軍であった。親王を将軍に据え、北條が執権として天下を治める。道理に叶っている。
そこへ降って涌いた「四代将軍」である。さぁ、政子は怒り狂い、その娘を直ちに護送し首を刎ねよと暴れた。義時は全く知らなかった。政子は知っていたのだろうか?今は訊ける状態ではないが。いや、知っていたなら即座に修羅場と化していただろうから、それはない。頼朝以来の重臣である大江広元、三浦義村も「知らず」しかしながら「大殿ならさも有らん」
遠い京のこととはいえ、これほどの重大事を隠しおおせてきたとは。代々の京都守護は何をやっておったのだ!義時は急遽、泰時を京に派遣した。
四代将軍源朝子の出現は、確かに新時代の到来を実感させた。
嗚呼、戦は本当に終わったのだ!女子が武家の棟梁。たったそれだけのことで、こうも平和なのか。厳めしい鎧武者を率いる馬上の四代将軍は麗しき姫君!煌びやかな行列はそのまま、ひとびとの意識も変えていく。目覚めたのは女達であった。女は男の従属物ではない!女だから、女でも、女のくせに、とはもう言わせない。朝子がその象徴であった。女達は外に出た。朝子を認めると、嬌声を上げ手を振った。
源朝子は世の女人に自信というものを植えつけた。そう、戦が終わって男は腑抜けになったようだ。これからは女の時代だ!




