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四代将軍とも  作者: 山田靖
四代将軍記
23/83

三、

 朝子は将軍家相続を正式に認められた。加えて朝廷より、従五位下に叙せられた。所謂、殿上人である。みかどに拝謁。お小さい帝は、朝子をいたくお気に召された。ボロを纏った尼僧が、二条卿ノ局邸門前に悄然と立ち尽くしてから、わずか七日後であった。


 ところが朝子の野望はこんな程度では止まらない。もうひとつ!仙洞院では大いに盛り上がった「征夷大将軍」!何故か無かったことにされている。朝子は釈然としない。将軍家惣領として当然、任官あってしかるべし!と執拗に訴えた。これには、流石に院も辟易し「左大臣に相談してみてはどうか」と逃げてしまった。朝子は院から紹介状をせしめ早速、左大臣・九条道家くじょうみちいえに面会!


 左大臣九条道家。摂家藤原北家主流。当代一の実力者。帝の外祖父。堂々たる恰幅。冷酷、陰湿で蛇蝎のように畏れられている。皇室とも幾重もの婚姻を結び、外戚として絶大な権力を振りかざす。娘を入内させ男子が生まれるや即座に立太子させた。帝が隠居し譲位された時は「我が世の春」と膝を叩いたが、実権は依然「治天の君」院に握られたまま。道家としては、院の勢力を弱め、名実ともに朝廷を完全に掌握したいところだ。ために、院と左大臣は、帝を挟んで壮絶な権力争いを繰り広げている。道家は幕府に通じ、大江広元おおえひろもとと頻繁に連絡する。院はこのこともあって、年下の舅・道家を煙たがっている。しかし、道家に云わせれば、院は現実が見えていない。武家を使いこなすのだ。朝廷と幕府の合体は、道家の理想でもあった。それだけに卿ノ局と北條政子の連携が疎ましい。あれは似て非なるもの。「宮将軍案」には心底呆れた。謀反を起こした親王の子、布智王ふちおうでは国が割れる。女人にはそれが理解できんのか!


 そして此度はまた妙なものを持ち込んできおった。院の紹介では会わぬ訳にはいかぬか。道家は渋々応対した。それにしても、つくづく背の高い女子であるな。とはいえ、細いし、顔なぞまるっきりわらわはないか。院も物好きなものよ。それより、この偉そうな態度はどうだ。真っすぐに見据えてきおる。生意気な!少しは畏れ入ったらどうだ。身の程を知れっ。麿を誰だと思っておるのだ!

 道家は、笑止な夜郎自大話を延々と述べる大女にうんざりし三白眼を歪めた。

「それはなりませぬな」

 何の実績もない、まして女子に「征夷大将軍」なぞ、おいそれと与えられようはずがない。何事も先例主義の律令社会は頑なである。そもそも、鎌倉の尼将軍政子ですら認めておらんのだ。いわんや、源朝子なる、馬の骨なぞ以ての外。院も道楽が過ぎる。たかが妾腹のしかも女子が、清和源氏主流を相続ばかりか殿上人とは。

 道家はネチネチと諭してやった。山から這い出しの尼僧あがりには官位と云っても理解できぬだろうが、麿と同席し直に口を利くだけでも望外なのであるぞ。欲張るものではない、と。


「はい左様でございますか」朝子は、あっさり引き下がった。

 道家は訝しむ。もっと詭弁を弄しあらゆる策略で、将軍位もしくは相応の官を猟りにくるものと内心恐々としていたのだ。会話の内容からして、この女子はかなり切れる。論点を明確にし可否を問うてくる。曖昧やはぐらかしでは納得せぬ。鋭く押し込んでくるかと思えば、フッと緩めじっと観察してくる。澄んだ瞳に吸い込まれそうである。手強い。それだけに、朝子の真意が読めない。道家はしばし沈黙した。

「征夷大将軍は空位。御台所の任官はこれを認めず、ということでありますね」

 これを言わせるためかっ!道家はようやく気づき舌打ちした。

「鎌倉尼将軍政子は無効。実朝没後、将軍は不在」を左大臣から引き出した意味は大きい。

 全く喰えぬ。一方、朝子は我が意を得たりとばかりに微笑んでいる。

「よく判りました。・・・ところで、朝は”綸言汗の如し”という言葉が好きで座右の銘としております」

 このメギツネがっ!苛ついた道家は、知らぬ顔でソッポを向いた。

「さればっ」たたみかけて、朝子は一調子張り上げた。

四代将軍よだいしょうぐん」ではいけませぬか?「四代」の「将軍」ではなく「四代将軍」で一語です。将軍家を相続したとはいえ、朝子には家も人も何も持っておりません。祭祀を紡ぐためにも肩書が欲しいのです。前三代の将軍を引き継ぐ者ということで。


「四代将軍」は、ただの名乗り。通称を公認してくれと訴えたのである。

 道家は拍子抜け、やや安堵した。妙なものを捻りだしてきおった。しかしまぁ、別に害にもなるまい。この程度なら許してやり、度量のあるところを見せつけておくか。

「それなら朝議にかけるまでもない。よろしいでしょう。“四代将軍”大いに結構!ふむ、麿はただ今より“四代将軍様”とお呼びしますぞ。おぉそうだ、せっかくなので帝から頂戴しましょう」


 翌日、左大臣が帝に奏上し、朝子は晴れて「四代将軍」!

 茶番である。左大臣としては貸しをつくったつもりだが、院は左大臣に片棒を担がせた。狐と狸の化かし合い。まんまと漁夫の利をせしめたは源朝子。其々の思惑なぞどうでもいい。初対面の左大臣は気色悪かったが、我慢の甲斐あり。

 朝子が「四代」に拘ったのは、将軍家の継承と正当性を強調するためである。これに伴い、歴代将軍は初代頼朝・二代頼家・三代実朝と公式に追認された。この、朝子発案による「将軍を代で数える」習わしは広く定着し、後の足利氏・徳川氏にも引き継がれていくことになる。


 ここに目出度めでたく「四代将軍源朝子」が誕生したのであります。


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