第1話:落ちる郵便配達員と、朝の鐘
「ーーちょっと待って、話せばわかる! 私はただの郵便配達員なんだってば!」
レンガ造りの美しい時計塔を背景に、私は風を切り裂いて猛スピードで落下していた。
上空を見上げれば、真っ黒な羽を広げたカラスの群れが、勝ち誇ったようにギャーギャーと鳴き叫んでいる。
私の絨毯はいったいどこへ行ったのか。あれほど頑丈で地味で何の個性もない支給品のラベンダー絨毯が、よりによってこんな大事な場面で撃ち落とされるとは。
落ちているのは私だけじゃなかった。
私の顔面に、ものすごい爪を立ててしがみついている「真っ白な毛玉」がいた。
「離せ! この頼りない人間! お前の絨毯がボロいから撃ち落とされたんだニャーッ!」
「うるさい、この泥棒猫! あんたが私の荷物に紛れ込んでたから、カラスに目をつけられたんでしょ!」
地上まではあと数十メートル。このまま石畳に激突すれば、私とこの生意気な白猫は、仲良く潰れたトマトのようになるだろう。
空を飛ぶ島々を巡る、のどかで平和な郵便配達。私の愛すべき日常が、一体どこでどう狂ってこんな大惨事になってしまったのか。
――そもそも、ただの郵便配達員である私が、なぜこんな目に遭っているかというと……
────カンカンカン、と朝の鐘が鳴った。
シエルはパンをくわえたまま、絨毯の端っこに腰をおろしてあくびをした。まだ目が半分しか開いていない。
配達鞄の紐が肩に食い込んでいたが、直すのが面倒くさくて放っておいた。
「ひとつ、ふたつ……」
鐘の音を数えながら、街の上空をゆっくり流れていく。
オルフェル島の朝は、いつも少しだけ霞んでいる。浮島の下から湿った雲が這い上がってくるせいで、夜明けから一時間くらいはこんなふうにぼんやりしているのだ。
やがて日が高くなるにつれて霞が晴れ、赤レンガの屋根や風車が鮮やかに姿を現す。シエルはその瞬間が、密かに一番好きだった。
「七つか」
ぼそっとつぶやいて、パンをかじる。昨日の残りの黒パンで、もう少し固くなっていたが、シエルは気にしなかった。
どうせ今日も飛びっぱなしだ。
まともな食事なんて夕方まで取れやしない。
絨毯は緩やかに、街の外れに向かって進んでいた。
シエルの絨毯は、いわゆる「支給品」だ。
ラベンダー色の無地で、取り立てて特別な能力はない。
ちゃんと飛べて、ちゃんと止まれて、ある程度の荷物を乗せられる。郵便局の備品として貸し出されている、ごく普通の作業用絨毯だった。
猫たちの絨毯と比べると、いつも少し恥ずかしくなる。
三毛のミケさんの絨毯なんか、三色の魔法がぐるぐる渦巻いていて、見るたびに「絨毯ってこんなにきれいなものだったのか」と思う。
黒猫のクロ先輩に至っては、絨毯ごと闇に溶け込んでしまうから、夜の配達では姿すら確認できない。
それに比べて自分の絨毯は。
「……まあいいか」
シエルはまたあくびをした。よくない、とは思っているが、朝からそんなことを考えていたら気が滅入る。
今日の配達ルートは確認した。荷物の数は二十三個。特別急ぎの便が二つ。
まずはオルフェル島の北地区から回って、それから渡り風を捕まえてベレ島へ飛ぶ。
問題ない。いつも通りだ。
「さ、行きますか」
絨毯に正座して、両手で紐を握り直す。これもいつも通りの癖だ。
出発前に一度きちんと座り直すと、なんとなく気が引き締まる気がする。
気がするだけかもしれないが、それでいい。
風が頰を叩いた。
オルフェル島の朝風は、少し塩辛い。
島の南側が海に面しているから、海風が渦巻くように島全体を吹き抜けていくのだ。
シエルはその塩の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、眠気を追い払った。
最初の配達先は、北地区の時計塔のすぐ横にある帽子屋だった。
レンガ造りの古い建物で、窓枠に蔦が絡まっている。二階の窓から、白髪の老婦人が顔を出して手を振った。シエルも手を振り返す。
「おはようございます、シエルさん。今日も早いねえ」
「おはようございます。荷物届きましたよ、リベラさん」
「ああ、ようやく来た! 本島から取り寄せた羽根飾りだよ。三週間待ったんだから」
リベラ婆さんは荷物を受け取ると、うれしそうに胸に抱えた。シエルは配達伝票にサインをもらって、鞄に戻す。
「ありがとう。あんた、また顔色悪いね。ちゃんと食べてるかい」
「食べてますよ。今もパン食べてました」
「パンだけじゃないよ。肉食べなきゃ。あんたみたいに若い子が飛びっぱなしじゃ、そのうち体が壊れるよ」
「はあ、そうですね」
「はあじゃないよ。――まあいいか、行っておいで。気をつけてね」
ひらひらと手を振られて、シエルは絨毯を傾けた。
次の配達先は広場の向こう側。また風に乗って飛んでいく。




