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第参章 決壊 四 蟒蛇と古武士の雑談

 同時刻。樰永(ゆきなが)たちのために本丸にあてがわれた居室では……。



「おい、俺たちは温泉に行かねぇのかよ」


 永久(とわ)が極めて不機嫌さと不満を隠さぬ声音で唸るのを、啓益(よします)は得物の小太刀の手入れをしつつ、どこか憮然とした顔と声で両断する。


「馬鹿を言わないでいただきたい。若君たちが身を休めている今こそが、某らが最も警戒せねばならぬ時でござろう」


「へいへい、真面目なこって」


 左手をひらひらとさせつつ、右手に引っさげた瓢箪の酒を勢いよく呷る。その不真面目に過ぎる立ち振る舞いに啓益は特に何も物申さず、黙々と武具の手入れを続ける。


 それをどこか妙に思ったのか永久はどこか真顔になって問い質す。


「なんだよ? 今日は妙に大人しいじぇねぇか。普段なら、そちらこそ気を引き締めろだのと小姑のようにうるさく物申すおまえがよ。気味が悪りぃぜ?」


「そちらは相も変わらず二言も三言も余計な口が多いようで……」


 対する古武士も眉間に青筋を立てて辛辣な皮肉を返すが、不意に神妙な面持ちで手を止め、滔々(とうとう)と語りはじめる。


「……あの男――カルドゥーレめは、いったい何を考えているのでござろうか? 改めて考えてみてもあの男の行動は割に合わぬにもほどがござる」


 その疑問に永久も目を鋭く細める。それは彼女自身大いに首を傾げている点だからだ。それ故に先を促す。


「ってぇと?」


「だってそうでござろう? 大国の御用商人というこの上もない立場と栄誉を捨てて、国宝たる刻鎧神威(グレイル)を盗み出し出奔! それ故に反逆罪に問われ、さらには他国に売り付けるという幾度も逆鱗に触れるがごとき極め付きの悪行の上塗り……! その結果、此度の戦沙汰……! とうてい正気の沙汰とは思えませぬ。これのどこにあの男の利があるのでござるか? まるっきり自殺行為そのものではござらぬか!」


 半ば激昂気味に断じる啓益に、永久も酒精まじりの息を吐いて同意する。


「まっ、当然ちゃ当然の疑問だな。今この状況は俺でも裸足で逃げ出したい冷や汗ものの修羅場だ。少なくとも尋常な神経している奴じゃねぇな」


「正直な話が、むしろ最初からセフィロトが侵略の口実のために遣わした間者とでも考えぬかぎり、論ずることも馬鹿馬鹿しい愚行にござる……!」


 挙句過激な疑いを口走る古武士に対し、永久はあくまでも冷静な面持ちでたしなめた。


「にしちゃ、あまりに代償(リスク)がでかすぎるだろう。あれだけの力を他所に与えるなんざ……」


 刻鎧神威(グレイル)とは、ひとつあるだけで比喩でもなんでもなく文字通り一国をも()とす超越兵器だ。特にカルドゥーレがもたらしたアフリマンはその中でも間違いなく最強クラスに位置するだろう。


 それほどの物を策謀の餌に使うなど得られる対価と代償がとても釣り合うものではない。


 だが、啓益も鋭く引き下がらない。


「刻鎧神威は必ずしも誰にでも使えるというものではござらん。殊にアフリマンは若君が契約するまで誰ひとり選定に能わなかったばかりか、主にと望んだ者たちをことごとく誅戮(ちゅうりく)したという話。大方渡したところで猫に小判にしかならぬと見積もっていた可能性とてござろう?」


「まあな……」


 素直に認めつつも納得はまるでしていないと声音が告げていた。


「いかにも異論があると言いたげでござるな……」


 こめかみをしかめつつも啓益は異議を唱えなかった。歴戦を戦い抜き生き抜いたこの女武者の感は、天性の冴えを誇っていることは今までの付き合いで心底思い知らされている。


 後頭部を乱雑に搔きながら永久はうなずき、おもむろに面倒そうな声音で口を開く。


「どうもあの野郎――カルドゥーレは、樰永があの魔神(メスガキ)に選ばれることを確信して疑ってなかった節がある。少なくとも、これまでの挑戦者のように敢え無く手討ちにされる可能性なんざ微塵も考えちゃいなかった。そんな気がする……」


 疑問形でこそあったが、その声には確信めいた響きと力に満ちていた。この酒にだらしない女武者の感はこういう時にかぎって外れたことなどないのだ。それを否が応でも知っている啓益は自身も後頭部を搔きむしっていらだちを鎮める。


「百歩譲って貴女の言う通りにしても、その確信の根拠はなんなのでござるか?」


「わかったら苦労はねぇよ。俺だってあの野郎の魂胆なんざいまだに読めねぇし、人柄さえ量りかねている。良くも悪くもな」


 大きく肩をすくめる女武者に古武士も眉間に皺を寄せる。


「しかし、貴女の推測通り、最初から若君がアフリマンに見初められると確信していたとして、それによって何をあの男は得るつもりなのでござろう……」


 それに対し永久も口を閉ざす以外に術がなかった。


 思えば、あの男が来てから良くも悪くもこれまで停滞していた状況が動き出した。そう。()()()()()()()()()()()()


 確かに、アフリマンという力を得たことで鷹叢(たかむら)は仇敵たる芦藏(あしくら)に抗する力を獲得した。のみならず扶桑の都で是叡(これあき)ら旧・摂権(せっけん)勢力を追い落とし、さらには邪神討伐をも成し遂げ救国の英雄となった。


 だが、同時に強奪された大国の国宝を我が物顔で振り回した結果、その当国の逆鱗に触れての此度の戦沙汰……。


 はっきり言うが、利益と不利益の揺れ幅が激しすぎる……! 


 相殺(プラマイゼロ)なんてものじゃない。むしろ圧倒的に利益を押し流して不利益が雪崩のごとく押し寄せている……!


 ――つーか今更だが、どう考えてもぶん殴る状況だろ、これ! いいや! むしろ殴らせろっ!!


 状況を整理する内にだんだんとその元凶への怒りがふつふつと思い出され、地団太を踏んで吼えたい衝動を懸命に抑える。今はそんな時さえ惜しい。


 残りの酒を一気に呷ると、身体に沈澱(ちんでん)した酒精を吐き出すかのように息を吐いた。


 だが、一旦気を落ち着けた途端にある考えが過った。


 ――しかし待てよ。そもそもからしてあの野郎は、扶桑(ふそう)での一件を持ちこんできたことといい、今回の件といい、常に樰永の奴を挑発するような物言いだった……。加えて、敢えてあいつが不利になるような状況へと誘導していたようにも思う。


 まるで己の望む道へと(けしか)けるかのように――あるいは試練を与えるかのように……!


 ――だとしたら、今回の戦も扶桑の一件同様、樰永の王器(きりょう)を磨くために野郎が端から画策したことだとしたら――!


「いや……考えすぎだな」


「永久殿?」


「なんでもねぇよ。ちょっとばかし考えが飛躍しすぎてな。テメェ自身に呆れてたとこだ」


 そう言って誤魔化しつつ自らにも言い聞かせるように頭を振った。


 ――そうだ。落ち着け。情報が出揃っていない状況での推測による独断ほど危険なものはねぇ。殊に戦ならなおのことだ。それに、仮にそれが当たり(ビンゴ)だったところで今度は()()()()()という新たな疑問が再出するだけの話だからな……。堂々巡りで切りがねぇ。


「まあ、あの野郎やその企みの詮索は結局のところ後だ。今はセフィロトとの戦に集中しろ」


 サバサバした貌でひとまず結論づける永久に、啓益も意を決した面持ちで「然り」とうなずく。


 そして、丁度よいと言っていい刻限(タイミング)で樰永と(おぼろ)、アフリマンが戻ってきた。


「叔母上、啓益、待たせた。早速軍議に入ろう。大広間で義正たちが待っている」


「おう。今行く」


 永久も鷹揚にうなずき、啓益も居住まいを正す。


 ――そうだ。今はまずこの戦にどうにかカタを付けにゃ、本気(マジ)でシャレにならんぜ……! それに何より――


「な、なんだよ? いつになくだんまりとした上に、じっとりと見つめてきて……」


「叔母様?」


 自分たちを黙して見つめる叔母に兄妹は怪訝そうに眉をひそめる。すると、そんな二人の肩に手を回して豪快に笑う。


「別に♪ ついこないだまで小便垂れてたガキどもがちったあ立派になったと、ちょいとばかし感慨に耽ってただけだよ」


「はあ!? そんなもの垂れた覚えねぇし!!」


 突然の恥部の暴露に樰永は思わず嚇怒の形相で吼える。


「嘘は感心しねぇな。この俺がどれだけ赤ん坊だった頃のおまえらの下の世話をしたと……」


「叔母様! このようなところでお止めくださいませ!!」


 朧も怒りに朱を美貌に注いで怒鳴る。


 子供ぽく噛み付く甥と姪を慈しみと強い決意を秘めた双眸に映し、永久は拳を握りしめる。


 ――この可愛い甥と姪をしっかり支えてやらにゃぁ……! カルドゥーレの野郎が何を企んでようがな。何に利用する気でいるかは知らんが、俺の(まなこ)が黒い内は断じて好きにはさせんぜ!!


 再度己を叱咤して歩みを進める。

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