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第参章 決壊 一 森の都

鬼灯国(ほおずきのくに)



 應州(おうしゅう)最大の森林を有する森の国である。



 扶桑(ふそう)の都に次ぐ龍脈によって育てられた樹々は、冬の最中――氷雪が降り積もる今でさえも一年中枯れることはなく葉が落ちることはない強靭な生命力を持つ上、それ自体が魔や邪を祓う神聖不可侵の結界を形作っている。


 倭蜃(わしん)建国以前の乱世の時代から永世中立地帯として指定されており、この土地の近くで合戦をしてはならぬという暗黙の不文律が存在するほどだ。


 しかし、これらの樹々は伊鎖(いさ)の樹木と並ぶか凌ぐほどの貴重な木材でもあり、狙う者が皆無だったわけでは当然ない。


 そうした邪まな者たちとの戦いと諍いが絶えぬ土地でもあるが故に、神の森を預かる木霊(こだま)との半妖の一族は、やがて神職から武家へと必然的に変節した経緯を持っている。


 その一族こそが、現在の鬼灯国主である大樹(たいじゅ)家である。


 そして軍議の翌々日である今現在、その神聖な森の中を、樰永(ゆきなが)(おぼろ)永久(とわ)啓益(よします)たち四人は、義正(よしまさ)たちに連れられて歩き、大樹家の居城である『神樹城(しんじゅじょう)』へと入城しようとしていた。



「うむ。ここだ」


義正は、確信に満ちた声音で樹木が複雑に絡み合い密生し壁を形作(かたちづく)っている場所で立ち止まる。


 神樹城は、宗叵(むなかた)の居城『関塚(せきづか)城』と同じく城を形成している樹木そのものが生きた防壁である。と言うよりかの城は、当城を見本にして築城されたものであり、本城こそが原典(オリジン)というべき城である。


 本丸をはじめとした(たち)に城下町は、樹木が折り重なってできた城壁に囲まれておおい隠されている上、呪術的な迷彩も施され発見は愚か目視すらも困難であり、そもそも城壁だと認識できない。


 余人が見てもこうして樹木が密生している様にしか見えないのだ。


 だが、大樹家の血を汲む者は本能的に出入口を感じ取れる。それと言うのも神樹城を構成する樹木の一本一本が木霊との末裔(あいのこ)である彼らの眷属(けんぞく)に等しいがためだ。


 義正が樹木の壁に手を触れると、森そのものがさざめき合い、やがて樹々がうねるように蠢き、さも最初からそうであったかのように、鳥居の形をした出入り口へと形を変容させる。


 そして、鳥居の向こうには開けた城下町が一面に広がっていた。


 整備された街道に(きじ)(にわとり)、穀物、反物に針、陶器の市場が開かれ、長屋や舘が立ち並び、店先から声を上げ客引きをする者、店の前で商品を値踏みする者、茶店で一息つく者、先を急ぐ旅の者など、雑多な人々が行き交う喧噪(けんそう)の他、鍛冶場からは煙が上り鋼を鍛え打つ音が響き、通りでは軽業師が芸を見せ、童たちが独楽を回して戯れ、にぎやかな活気に満ち満ちていた。


 一見すると森の中とは思えぬ大都市。それが――大樹の都『葉華(ようか)』である。


 

「ここも久しぶりだな……」


 樰永は思わずしみじみとした声をこぼす。十歳くらいまでは頻繁に遊びに来ていたくらいなのに。元服してからは片手で数えるほどしか来れていない。


「ええ。一年ぶりでしょうか」


 朧も感慨深げに息をつく。


 何度見ても森の中の町とは思えぬ栄えぶりだ。


「まあ、元服してからはお互いに忙しかったからなあ。特に、おまえたちは一年前、芦藏(あしくら)に攻め寄せられたこともあったことだしな……」


 義正の言葉に、樰永と朧もしんみりとした面持ちで、永久と啓益は苦虫を嚙み潰したような顔でうなずく。


 そう昨年の夏、鷹叢(じぶんたち)と芦藏の間で戦があった。


 切っ掛けは水源を巡る夏恒例の小競り合いだったのだが、そんな中で芦藏領の村の川に毒が流され村人数十人が死亡した上、その川から水を引いていた田圃(たんぼ)も全滅するという事件が発生したのだ。結果として村は廃村。


 そこから先は、もはや言わずと知れたお決まりともいえる展開となった。


 毒を流された川の水源は鷹叢領に属することから、芦藏側はこれを鷹叢の手による仕業と糾弾。これが開戦の口火となった。


 戦端は、件の水源がある鷹叢領・静寂国(しじまのくに)と芦藏領・黄爾国(きのみのくに)の境にある平原『廚ヶ原(くりやがはら)』にて開かれた。


 芦藏軍は土蜘蛛騎兵四万、歩兵八万の総勢十二万の軍勢で布陣。鷹叢軍も同じく総勢十二万で迎え討った。因みにすべて騎馬だ。


 元より應州武士の起源は、騎馬と騎射に長けた狩猟民族であるが、特に鷹叢家はその性格が強い。武士ばかりか足軽や民草に至るまで、馬に馴れ親しみ己の手足のごとく乗りこなす術と世話、巧みな騎射技術や狩猟技術に長けている。それ故に彼らの主力はほぼすべてが騎馬隊であり、歩兵は千を数えるか否かといった程度である。


 殊に領国のひとつ吾駕国(わがのくに)は強い龍脈が波打つ山野であり、彼の地で生まれた馬はその影響を受けて屈強無比な妖悍馬となる。さらに険しい地で鍛え上げられた健脚は千里を超えるばかりか皮膚も分厚く並みの刀や槍に弓矢ばかりか法力による衝撃すら跳ね返す屈強さを持ち、鷹叢の軍事を大いに支えている。


 これらの最強の騎射技術と最強の軍馬をもって鷹叢は北應州の覇者となり得たのだ。



 だが、その最強といえる軍事力をもってしても結果を言えば、この戦は痛み分けで終わった。


 当初こそ鷹叢の騎馬隊が勇猛なる勢いと巧みな機動力で押していたが、隊列を縦にしたところを地中に埋もれていた土蜘蛛の騎兵隊が左右から挟み撃ちにし、その半数近くを屠られた。


 だが、鷹叢軍も黙ってはやられず、前へと突破口を開いて土蜘蛛騎兵を振り切り、予め別働隊として分けた六万騎が呪術を付与した火矢を射かけて、本隊の離脱を助けた。


 結果として鷹叢は騎兵一万六千二百を失い、芦藏は土蜘蛛騎兵一万五千と歩兵千を失った。互いに無視できない打撃と損害を負い、とてもではないがこれ以上の戦線維持は困難であると両者は判断したのだった。


 加えて、戦後に芦藏の当主であった頼嵩(よりたか)が病に倒れたこともあり、芦藏とは今に至るまで冷戦状態となっている。

 


「殿の采配もそうでござるが、戦後に頼嵩が病に罹ったのが幸いし申した。あのまま続けておれば、互いに泥沼に陥ってたであろうことは想像に難くござらん……」


 啓益は当時を思い返しながら、滔々(とうとう)と語る。


「加えて、別動隊を率いた樰永の指揮あっての結果だな」


 永久が嘆息とともに付け加える。


「だが、その一年後に應州は愚か、倭蜃国を巻き込みかねん大戦(おおいくさ)が待ち受けているとはなあ……」


 義正がしみじみと相槌を打つと、思わず樰永と朧はそろってバツが悪い顔になって詫びた。


「すまん……。なるだけ穏便に済ますつもりだったんだが、些か以上に目算が甘かった」


「至らなくて申し訳ないです……」


 すると、義正も慌てて取りなす。


「いや、おまえたちを責めてるわけじゃない! むしろ、おまえたちこそ災難だったろう。まさか、売り付けられた品が盗品……それも他国の国宝だったなんぞ、お天道様とて察せまいよ」


 それに反駁(はんばく)したのは、実体化したアフリマンだ。


「そもそも"国宝"という点でわたしは一切承服していないのです。むこうが勝手にいってるに過ぎません。むしろ、迷惑至極なのは、こっちなのです」


 憤懣(ふんまん)やるかたないとばかりに鼻を鳴らすが、異を唱えたのは咲夜(さくや)だった。


「ですが、セフィロトもそのような言い分で引き下がるわけにはいかぬでしょう。経緯や実情がどうあれ国宝と定めた遺物を窃盗されたとなれば、国家の威信にも係わる問題ですもの。放置すれば他国の侮りすら買いかねませんから……」


 樰永も大きな息をついて認める。


「ああ、だろうな。それも俺のような一地方領主の倅にいい様に使わてちゃ、大国の面目丸潰れってやつだろうしな」


「それを承知の上で同盟なんて無謀を口にしやがったのですか……」


 アフリマンの呆れ声に義正が目を剥いた。


「同盟っ!? おまえ、西界(せいかい)の大国相手に……それも宝物を掠め取られて怒り心頭の相手に、そんな大風呂敷を広げたのか……」


 なんて命知らずなとばかりに嘆息をつく親友に、樰永自身も自覚はあったのか苦笑を返した。


「ああ、あの時は時を稼ぐために舌を動かす必要があったからな。ぶっちゃけた話が俺もむこうが真に受ける可能性は二割もありゃしないだろうとは思ってた。まあ、もちろん本気で相手にしてくるなら願ったり叶ったりだったんだが、早々こっちの都合よくはいかねぇよな……」


「そりゃそうだろ……。本当におまえって奴はぁ……」


 いけしゃあしゃあとのたまう親友に、額をおさえ呆れまじりの声を吐き出しながら顔をひくつかせる義正。


 だが、咲夜はクスと微苦笑を漏らす。


「でも、樰永様らしいです」


 すると、朧は少しだけむくれたように付け足す。


「行き当たりばったりが過ぎるともいいますけれど……」


 愛妹の微かな怒気と悋気を感じ取った樰永は冷や汗を流した。



 一方、義正と咲夜の姿に気づいた民がこちらに駆け寄ってきた。


「これは若様に姫様! お早いお帰りで!」


「鷹叢様の若殿と姫様もいらっしゃい!」


「若殿! 柳葉(やなぎは)のいい蜂蜜酒が手に入ったんですよ。一杯付き合いませんか?」


「すまん。この後、軍議があってな。次の機会には是非付き合わせてくれ!」


「絶対ですよ!」


「あ、俺はちょっくら……」


「永久殿!」


 ちゃっかりご相伴に与ろうとする永久を、啓益がすかさず叱声でたしなめ引きずる。



 領主の大樹家と領民の距離はかなり近い。王家成立以前から神の森を預かる神職と氏子という関係からともに森に育まれ、森を守ってきた家族のような間柄であるからに他ならない。


 それは千年の時を経てなお変わっていない。


「姫さま、おかえりなさい!」


 通りで遊んでいた子供たちが咲夜の元へと駆け寄り、その中で一番小さい童女がいの一番に飛び出す。


「姫さま! まえに教えてくれた薬草を見つけました! どうぞ!」


 そういって童女が丸笊(まるざる)いっぱいの薬草を差し出した。


「ありがとう。たくさん集めたのね。大変だったでしょうに」


 咲夜は童女の頭を優しく撫でながら薬草を受け取る。


「えへへ……」


 童女はくすぐったそうに照れ笑いする。


「あー! ひとりだけずりぃぞ――!」


「わたしも姫様におくりものする――!」


 出し抜かれた童たちが騒ぐのを、咲夜は穏やかになだめた。


「みんな、喧嘩は駄目よ。もちろん、みんなからの贈り物なら全部いただくわ」


「わーい!」


「あのね、わたしはきれいな石を見つけたの!」




「ふむ。二人ともなかなかの人気なのです」


 アフリマンの言葉に樰永も鷹揚にうなずく。


「まあ、大樹家は民草の代表者的な性格が強い武家な上、義正はあの通り気さくな奴だし、咲夜に至っては子供好きで暇さえあれば、ああして遊んでやってるからな」


「それに、傷や病に聞く薬草を教えて上げていますから……子供たちのみならず多くの民に慕われているのですよ」


 朧もどこか誇らし気に補足する。だが――



「ねえ、ねえ! 姫さまは、いつになったら鷹叢の若さまと祝言するのー?」


 童が不意に投げ掛けた質問に、咲夜は途端に湯気が出たように顔を朱に染めた。


「なっ!? なにを、言ってるのです……!」


「はははは! 気が早い童たちだな。だが俺が思うに、きっとそう遠くないと思うぞ」


 義正は片目を瞑って豪語する。


「兄上!? 子供の前で戯れはお止めくださいませ!!」


 途端に半泣きで雷を落とす咲夜。


 しかし、一方で朧は心の臓がずきッと痛むことを禁じ得なかった。

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