第弐章 婚約 八 亀裂の音
淦狗国……北應州の磐斯国と隣接する桓東の入り口。北桓東五ヵ国を有する桓東管領殯束の本拠地。
険しい山国という天然の要害と活発な龍脈という天然の結界に守られた、山城『巌冥城』
殯束家の祖にして初代桓東管領、殯束敏昶が築いた居城。
その歴史深い城の渡り廊下で、童顔ながら凛々しい面立ちの若武者が疲労交じりの息を吐いていた。
ただでさえクセ毛が目立つ茶色がかった黒髪の総髪も整えられることなく跳ねるがままになっている。
「はぁ……」
彼こそが、この城と国の若殿にして件の婚約相手、殯束尊昶である。
「ひとまずは、まとまりましたかな」
その隣に立つ大柄な老侍――殯束家家老、日向柾秀も皺に疲労をにじませている。
「うむ。父上をはじめ家臣たちにもいまだ納得しかねる者もいるが、これでどうにか形は成った。今は一刻が万金に値する。つまらぬことで言い争う時はないのだ」
「はっ。直ちに兵糧武具の調達に取りかかりまする」
若殿の決意に老臣が厳粛な顔で応える。
「頼む。とは言え、出せる兵は俺の兵のみだがな。それもせいぜいが大鵬の航空騎兵千騎と黒駒騎兵三百、歩兵二千……大口を叩きながら、この為体だ」
心苦しいとばかりに息を吐く尊昶に、柾秀は峻厳な声で叱咤激励する。
「なんの。わずか三千三百と申せ、若の兵は精鋭中の精兵でござる。むしろ、身軽になられたとお考えなさればよろしい。そも戦もはじまらぬ内から弱音を吐くことなど、この老骨は教えておりませんぞ」
「そうだな。すまぬ。確かに軽はずみな発言であった。むしろ、兵を出す許しが得られただけでも良しとせねばならぬな」
そう吐露して一週間前の父とのやり取りを回想する。
「父上! どうかお聞き届けを!」
「くどい! 蝦夷の成り上がりと桓東管領たる我が家とでは釣り合いなどとれるものか!!」
大広間で下座にて上座に座る父・光昶と激論による応酬を繰り広げていた。
「そもそも此度の戦は蝦夷どもが招いたことだ! 我らには一切の関わりはない!」
気炎を吐いて断ずる父に、自分もまた苛立ちまじりの怒声を発する。
「そうやってまた対岸の火事と思って放置するのですか!? それで万一我が領国にまで飛び火しても同じことがのたまえますか!!」
「っ! よくも言うた!! このわしが節穴と抜かすかッ!!」
父は眼を血走らせながら立ち上がって、今にも抜刀しかねぬ勢いで憤激する。それを柾秀が自分の前に進み出て諫めるべく口を開いてくれる。
「お館様、どうかお気を鎮めくださいませ。若君に他意はございませぬ。ただお家や国をまことに思えばこそ――」
「黙れ、柾秀!! そもそも貴様が守役でありながら甘やかすから、父に口答えする不遜な愚息に育ったのだ!!」
唾を飛ばさんばかりに痛罵する父に、耐えるように唇を噛みしめる他なかった。
このような修羅場に陥った原因は、今尊昶の隣に控える異人の商人――ゼファードル・カルドゥーレにある。
正確には、彼のもたらした報せにだが。
西界で覇を称える大国セフィロトが鷹叢へ攻め込むという凶報だ。
その理由は、言わずと知れた一月前の邪神騒動でもその力を振るった、鷹叢の総領息子が手にした究極の神器――刻鎧神威だ。
その出処はそもそもセフィロトの宝物庫であったと聞く。
つまりは宝物奪還のための遠征なのだ。
だが、戦は生き物だ。一度はじめてしまえば、どれほどのことになるかなど見当がつかない。
いやむしろ、この大義名分を盾に内乱状態にある倭蜃国そのものを切り取りに掛かることさえありえる。
しかも、邪神騒動によってセフィロトのみならず、彼の国に勝るとも劣らぬ大国であるというアルカディアやアルビオンまでもが動く気配まであるという。
故に、これらのことを聞き及んだ尊昶は、前々から考えていた鷹叢との同盟を提案したのだが――
「そもそもすべては、鷹叢の小倅が件の刻鎧神威を返還すればすむ話なのだ。さすれば、おまえの懸念そのものがなくなり、我が領国も倭蜃そのものも安泰だ」
この通り父の答えは芳しいものではなかった。
「されど、父上。御身が同じ御立場ならば、そのように割り切れますか?」
負けじと尊昶も舌鋒鋭く斬りこむ。
そして、答えは言うまでもなく否だろう。刻鎧神威とは、ただ一個で百万の軍勢にすら優る兵器だ。そんな物を手に入れながら、元は他国の物だからとおいそれと返還などできるわけがない。
まして、この父ならばなおさらのこと……。
「ぐっ! ああ言えばこう言いおって……! 貴様、いつの間にやら武よりも小賢しい口が達者になったようだな」
そう言う父は、このように話をすり替えては握り潰すのが常道だった。
だが、そんなものは問題の先送りにすぎない。事は危急を要するのだ。正直こんな議論に費やしている時さえも惜しい。
「第一、そんな安易な考えで収まる問題でしょうか!? むこうの真意が、刻鎧神威の奪還など口実……侵略そのものだとしたら……! だとするなら、何としても北應州で堰き止めねば取り返しがつきませぬ! そうなってからでは遅いのです!!」
故に小賢しい口を一切閉じない。不興を買おうとも知ったことか!
「黙れ! 小童の被害妄想などに付き合えるか!! これ以上くだらん妄言で家中を乱すようなら廃嫡を覚悟するがいい!!」
しかし、声を上げれば上げるほど父も逆上する。この悪循環が小一時間は続いてしまっている。
家臣たちも親子の激しい応酬に、下手な諫言もできないようだった。
そんな泥沼の膠着状態に一石を投じたのは、元凶とも言うべき凶報をもたらした商人だった。
「しかし、光昶公。御身のそれも希望的観測に過ぎますまい。断っておきますが、セフィロトのミカエラ女帝はそこまでお甘いお方ではありませぬ。一王国であったセフィロトを一代で大帝国へと拡張なされた、稀代の獰猛なる征服者でございますれば。初めの理由がなんであれ、詮無きこと。国を獲る好機と見れば、牙を剥くことに躊躇はなさいますまいよ」
冷水のような言葉に、父は明らかに顔色を青く染めた。だが、すぐに気を取り直したように吐き捨てる。
「ふ、ふん! そもそもの元凶がほざきおるわ。第一、事の発端は貴様が例の刻鎧神威を盗み出したことだと言うではないか。ならば、貴様が盗品ともども出頭すれば丸く収まる話だろうが」
「望み薄でしょうな。もはや、この期に及んでは私ごときの存在など些事に過ぎませぬよ。仮にそうしたところでセフィロトに大した実入りはありません。それよりは大義の口実に使って、内乱状態にある当国の切り取りを図る方が上策と考えましょうな。御身が同じ立場ならば、どうお考えになられますか?」
「ぐぬっ!」
今度こそ父はいよいよ顔を青白く染め上げ、呻くような声を出した。
父とて戦国の世に生きる大名。隙と口実を与えてしまった国がどうなるかなど、骨身に染みて良くわかっていた。
やがて、音が出るほど歯噛みしつつも力ない声で絞り出すように言った。
「よかろう……。勝手にするがいい」
「父上っ! では……」
「ただし! わしの兵は一切動かさぬ。兵を出すならお前の兵のみで行くがいい」
これに柾秀をはじめとした家臣たち全員がざわついた。自分の直属兵が三千余りでしかないと誰もが知ってるからだ。父は、自分がこれ以上の兵力を持つことを許さない。
だが、構うものか。何はともあれ出兵を許された。願ったり叶ったりだ。
「心得ました」
ともかく、父の了承は得られたのだ。これで堂々と樰永たちの力になれる。
「そうと決まれば、同盟の条件を定めねばなりませんな」
カルドゥーレがそう締め括ると、筆頭家老である鯖許琢玄が補足するように言った。
「言うまでもござらん。まずひとつは、若殿が朧姫と婚姻し、鷹叢家と正式な縁戚関係を結ぶことでしょうな」
然も当然のように紡がれた言葉に思わず呆けた声が出た。
「はっ?」
「まったく……琢玄もこのような時に言う話でもなかろうに……」
同盟可決の際琢玄の口から出た提言に、尊昶は顔をわずかに赤らめながら嘆息する。
「このような時だからこそでございましょう。武家同士の同盟は必然的に武家同士の婚姻とほぼ同義にござる。即ち身内の危機なればこそ兵たちも対岸の火事とは思わず、我が国のことと思い命を張れるというもの」
柾秀が諭すように言う。
「わかっている。ただ爺よ。俺はあくまでも樰永殿たちの力になりたくて、この同盟を提案したのだ。それをこんな形の見返りを求めたかったわけではない」
どこか青臭さがにじむぶっきら棒な声音で吐露する若殿に、老臣は首を横に振って諫めた。
「若ご自身がそう思っても、大殿や家臣郎党が許しますまい。同盟は相互扶助が前提にござる。その中でも婚姻は必須にして第一の条項と言って差し支えないもの。琢玄の提言は至って真っ当でござる」
それにと柾秀は続ける。
「政略や軍略は別としても、若とて、あの姫のことは憎からず思っておられるのでしょう。ならば何を躊躇いまするか。姫の気持ちを慮っておいでなら、左様な気遣いは詮無きこと。むしろ、関係を深めることは婚姻後でもやれることにございましょう」
尊昶はバツの悪い貌になって押し黙った。
まったく、この老臣には生涯敵いそうにもない。
「わかった。もういい爺。ともかく今はセフィロトとの戦に専念すべき時。婚約だの婚姻だのは、すべてが終わった後のことだ。そうだろう」
「然り。本日のところは、そういうことにしておきましょうかな」
「ああ、それで頼むよ」
厳格な老侍にしては珍しく冗談めかした言い方に、若殿もまた苦笑を浮かべ茶化すような声音で応えた。
「さあ、爺。行こうか。これからもっと忙しくなる」
「はっ」
しかし、二人が歩を進めようとした時を同じくして、既に蜘蛛の巣がすべてを絡め取ろうとしていた。
「わしはまだ納得したわけではない」
ところどころ白髪が目立つ黒髪の総髪の壮年――当主・殯束光昶は、自身の居室にて脇息にもたれかかり酒を乱暴に呷りながら、吐き捨てる。
それを、薄白の総髪の青年――筆頭家老、鯖許琢玄が呆れたように息をつく。
「この期に及んでまだそのような……お館様も既にご承知なされたことではありませぬか」
「ふん! 知らんな。あ奴が勝手にやろうとしていることだ。わしは一切関与せん」
相も変わらずの台詞に、琢玄は苦い顔になる。
光昶が嫡子の尊昶に冷淡なのは今回に限った話ではない。
尊昶がいかなる功を立てようとも褒めることはなく、つけ上がっているだの、得意になっているだのと難癖をつけては、家臣たちの前で叱責するのは日常茶飯事であった。
「殿……。よもやいまだ、根も葉もありはせぬ、あの夢を正夢と信じておいでなのですか?」
"夢"とは、光昶が家督を継いで間もない頃に見た夢のことだ。
それによると、己が狼になっており、生まれてきた己が子に喉を噛み切られて死ぬという愚にも付かぬ夢だ。
根が小心なところがある光昶は、夢見を得意とする呪術師に占わせたところ『貴方は最初に生まれた嫡子によって命を絶たれる事になる』と返され、それを一層正夢と信じて疑わなくなったのだった。
はっきり言って、まったくもってくだらない。
――とは言え、殿が若君を邪険になされるのは、そればかりが理由ではないことも確かだがな。
尊昶は殯束家始まって以来の麒麟児として、家中からも領民からも将来を嘱望されている。
色濃い大天狗の血と妖力に加え、無双の槍術の遣い手であり学問兵法にも通ずるのみならず、その才気に驕ることなく勤勉で誠実。そして何より、民草の生活に心を砕く王器をも持ち合わせる智勇と仁に長けた武士の鑑。
そんな才気溢れる息子が、光昶は疎ましてく仕方がないのだ。
光昶とて、この生き馬の目を抜く戦国の世で家を生き残らせてきた一廉の武士だ。それでも十年にひとりの才子である息子に及ぶものではない。
その事実が始終光昶の神経を逆撫でさせていた。
要するに嫉心故であった。
嫡子であるはずの尊昶に万を超える兵を持つことを許さぬのも、そこに端を発している。
「はっ! 琢玄、お主らこそ正夢になることを望んでいるのではないか? その澄ました顔にそう書いておるぞ」
酒精を帯びた自嘲に、琢玄は眉をしかめる。
「ご冗談が過ぎまするぞ。そも若君にかぎって、そのようなことは万にひとつとてありえませぬ」
「だと、いいがな……」
唸るように吐き捨て再度酒を呷る光昶。
「……ともかく、殿もご了承なされた以上は、この同盟迅速に進めまする。西界の侵攻は何としても阻止せねばなりませぬ故」
諦観まじりの声で再度念を押す琢玄。
「好きにせい……」
投げ遣りな承諾が返ると、若き家老は軽い会釈をして退室しようと――したのだが。
「殿! 失礼仕りまする! 摂権殿下よりの書状が届きましてございまする!」
近習がそう叫びながら入室して来たのだった。
「摂権殿下からだと?」
酒に耽溺していた光昶は、酒精を帯びた息を吐き出しながら億劫そうに反芻する。
――摂権の書状……。こんな時に?
一方、琢玄はその顔を身構えるように歪めるのだった。
「ふん、何が摂権だ。しょせんは俘囚の田舎大名の傀儡政権であろうが。それが偉そうに朝廷の威光を笠に着て、わしへ指図をするだと? 思い上がりも甚だしい。俄武士風情が玉の印璽を使いさえすれば、桓東管領を征することができると思うてか」
近習より手渡された書状を半ば乱暴に受け取りながら吐き捨てる光昶だったが、いざ広げて目を通した途端に瞠目し、食い入るがごとく読み進めると、しばし沈黙した。
そんな主の姿を見た琢玄は、先刻から芽生えた不安が大きくなるのを実感していた。
そして、それはやがて光昶の口から出た言葉により現実のものとなった。
「……今すぐ兵を整えよ。北應州を、鷹叢を攻め滅ぼす」




