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第壱章 嵐の前の静寂 八 吉報

 宝瓶(ほうべい)城、正門。


 二人が戻った時には、日はもう既に沈む寸前の刻限であった。

 

 樰永(ゆきなが)(おぼろ)赤羅(せきら)を引きながら(うまや)に向かおうとしたのだが、そこへ月代の頭に灰色の直垂(ひたひれ)に身を包んだ武士と、赤みがかった黒髪を後ろに流し、着物を片腕だけはだけさせて胸にまいたサラシが垣間見える着崩しという体の女武者が、出迎えにきた。


 月代の武士は、樰永の近習にして守役の大岐(おおき)啓益(よします)といい。女武者の方は、樰永と朧の叔母である鷹叢(たかむら)永久(とわ)だ。


「叔母上、啓益。わざわざ出迎えにきてくれたのか」


 樰永が目を丸くすると、啓益は緊迫した面持ちと声で用件を口にする。


「若君、大殿がお呼びにござる。至急大広間へと出向かれますよう」


「父上が?」


 怪訝な声を出す樰永に、続けて永久が補足した。


「カルドゥーレの野郎がやっとこさ戻ってきやがったんだよ。それでおまえらも交えて改めて話がしたいとさ。どうも思ってた以上にやばいことになった」


『ッ!?』


 樰永と朧は揃って息を呑んだ。

 








「セフィロトばかりか、アルカディアとアルビオンもだと!?」


 カルドゥーレから聞かされた話は、樰永たちが想像していた以上の危機だった。


「ええ。おそらく、かの二国も先日の邪神騒動で泡を食ったのでしょうな。東も果ての国だと思って、放置はできぬと……」


「くそったれ!」


 カルドゥーレの言葉に、樰永は悪態を禁じ得なかった。


 ――ただでさえ、セフィロトとも事を構える寸前という情勢(タイミング)でコレか!


「落ち着け、樰永」


 悠永(はるなが)は激昂する息子を厳粛な声でたしなめた後、視線をカルドゥーレへと向ける。


「それでおまえの見解はどうだ、カルドゥーレ。その二国も、セフィロト同様今すぐに攻めこんでくると思うか?」


「おそらく、今すぐということはないかと。二国ともまずは様子見に徹するでしょうな。アルカディアにしてもアルビオンにしても、この国は善きにつけ悪しきにつけ未知ですから。ひとまずは、隠密部隊を密かに潜り込ませる程度でしょう。無論確証はございません」


 事もなげに答えるカルドゥーレだが、次には目を細めてこう続ける。


「何事も状況次第としか申し上げられませぬ。それよりも目下の問題はやはりセフィロト。延いてはアイアコス卿でしょう。なにせ、あの紫雷竜騎士団トニトゥルス・ドラグーンを動かすのです。まず和議はないものとお覚悟なさるべきかと」


「なんだ、それは?」


 聞いたこともない単語に首を傾げる樰永。


「アイアコス卿が治められる第八都市『ホド』は、飛竜とともに生きる遊牧の民が暮らす土地柄でして。彼らは生まれた時から飛竜に騎乗し、一心同体と言い切れるほどの騎乗技術と騎射技術を持つ空の戦士なのです。紫雷竜騎士団トニトゥルス・ドラグーンは、その中でも選りすぐりの一軍と言える存在。はっきり申し上げて、端から城や国を落とすためにあるような部隊ですね、あれは」


 他人事のように並べ立てられる情報に家中は色めき立つ。


「そのような恐ろしい部隊が、この国に……!」


 朧は息を呑みながらも据わった目で唇を噛み締めた。その横で樰永も覚悟を決めた視線を商人に注いで口を開く。


「それで、その数は? 加えていかなる兵種だ?」


 すると、商人は悠然とした微笑すら浮かべて、然も何でもないというような声音で流れるように謡うように答える。


「紫雷竜騎士団本隊の総数としましては、飛竜の上位種・嵐神竜(グルニカ)二頭が牽引する竜戦車九百台。それに加え今回は、女帝陛下直々の勅命もあって通常の飛竜航空騎兵四十五万が後に続きます」


 氷のように場が固まり、痛々しいほどの沈黙が流れた。そんな空気に止めを刺すがごとくカルドゥーレはさらに付け加えた。


「申し上げた通り、嵐神竜は飛竜の上位種にあたる竜でして。通常の飛竜よりも二回りほど大きい上、速度や力、鱗の硬度も比べ物になりません。その上、雷と風を操りその戦闘力は一頭に付き一万の兵に相当しましょう」


「つまり敵は千八百四十五万相当というわけか。こちらのおおよそ百倍……いや千倍以上もの戦力差というわけだ」


 樰永は、酷薄かつ残酷なまでの計算(げんじつ)を引きつった笑みで述べ、静まり返っていた家臣たちを改めて震撼させた。


「一地方領主を征するには、あまりにも大人げない軍勢だな。もはや倭蜃国そのものを切り取らんばかりの勢いじゃねぇか。おまけに、制空権ははじめから連中に取られたも同然。はっ! はっきり言って堪らんなぁ……!」


「若君! そのようなことを言ってる場合では……」


 さらに止めとばかりの駄目押しを皮肉気に吐き捨てる若殿を啓益がたしなめるが、当の樰永はさばさばした声で言いきる。


「敵の兵力と戦力を正確に把握せねば、勝てる戦も勝てん。俺たちがすべきは、これらを知った上で、いかに戦い、いかに勝つか。ただそれだけだ」


 その言葉に浮足立っていた家中が落ち着きを取り戻し、消沈していた皆の面に活力と覚悟が(みなぎ)りはじめた。


「樰永の言う通りだ。来るものは来る。数に劣ろうが、避けて通れぬ戦である以上は是非もない。最後まで人事を尽くさずして何とする」


 悠永も峻厳な面持ちで息子の言葉にうなずき、家臣たちを叱咤する。


「う、うむ。その通りだ。戦う前から諦めては元も子もない」


「おお! やらいでか! 西界(せいかい)の武者どもに應州(おうしゅう)武士の意地を見せん!」


「それに、大樹(たいじゅ)義圀(よしくに)殿は必ずや我らの味方に参じてくれましょう!」


「殿! なんなりと御下知(おげち)を!」


 家中の士気が盛り上がる中で悠永は手を上げて静かに制した。


「意気軒昂は結構。だが、それのみで覆せる盤面では当然ない。まずは足元を見よ。今動かせる兵、確保できる兵糧の把握を急がせろ。そして、直ちに磐斯(いわし)静寂(しじま)をはじめとした北應州への入り口に柵を築け。黄泉(おうせん)更深(さらみ)の港も封鎖せよ。また智永(ともなが)に敵襲に備えよと伝えい。義圀にも早馬を飛ばせ。援軍を請うとな」


 絶望的な状況下にあっても冷静と理性を失わず、的確な判断と指示を流れるように飛ばす父を敬愛の視線で見る樰永と朧だったが、次に悠永の口から紡がれた言葉に改めて身を引き締めた。


「軍資金に糸目はつけぬ。後のことは捨て置け。守り勝つことだけを考えろ。これは我が鷹叢家や應州だけではない。倭蜃国そのものの興亡が懸かっていると心得よ!!」


 ――そうだ。賽はとっくの昔に投げられた後なんだ。艱難辛苦なぞ“この世総ての悪業(アフリマン)”を受け入れた時から覚悟している。否! 天下を――朧を望んだ時からだ! 悔やむのはすべてが終わった後でいい。


 ――今は駆けられるところまで駆けるだけのこと。たとえ大国が相手だろうと退きはしない。黄泉にも倭蜃国にも指一本触れさせはしないわ! この程度で私と兄様が望む未来を断ち切らせはしない!


 兄妹(ふたり)も戦意を静かに滾らせていく。


 だが、その一方で――


「しかし、大樹家が援軍に加わるとしても兵力差は然程埋まるわけではない。確実にどこかで手が足らなくなるぞ」


「うむ。南の芦藏(あしくら)は問題外としても他に援軍を頼める武家はないものか……」


 という慎重かつ冷静な意見も飛ぶ中でカルドゥーレが挙手をしながら口を開いた。


「それにつきましては、吉報をひとつ申し上げたく存じます」


「吉報だぁ? (ラン)の宦官どもと話が付いたってアレか」


 永久が胡散臭いとばかりに貌をしかめるが、カルドゥーレは首を横に振って答える



「北桓東(かんとう)殯束(もがりづか)家が我らと盟を結び、この国難をともに乗り越えたいとの申し出がありましてございます」



 一挙にドヨっと場が波打つように騒めいた。


「あ、あの桓東管領(かんとうかんれい)の名門が、我らのような俘囚者(ふしゅうもの)と!?」


「確か、都での変事では殯束の若殿が若君や姫とともに(くつわ)を並べたという話であったが?」


 この不可解に過ぎる吉報に、家臣たちは何れも喜色より困惑が勝っている様子だ。



 それは実際に都で尊昶(たかあきら)と共闘した樰永と朧でさえもそうだった。


 もっとも、悠永と月華は既にカルドゥーレから話を聞かされていたのか、何とも言えない面持ちで沈黙を守っている。


 しかし、カルドゥーレはそんな周囲に流れる空気をまるで気に留めぬとばかりに話を続ける。


「そして、その証として殯束家嫡男・尊昶殿と当家の姫・朧様との婚儀を申し込みたいとの由にございます」


 何のことはないようにぶち込まれた言葉に、樰永と朧の体躯に流れる血が一気に止まり、心の臓が凍りついた。


 束の間の静寂(へいおん)は今終焉(おわり)を告げた。


 否応なくすべてを巻き込み踏み荒らす嵐が迫ろうとしていた。

二人の誓いを無情に引き裂く吉報……。カルドゥーレの真意は何処に!?


何はともあれ第壱章 完!


次週より波乱も波乱の第弐章 婚約編がスタート! さらに樰永のみならず朧にも恋敵が出現する! 須らく刮目すべし!!

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