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第壱章 嵐の前の静寂 一 逢瀬

 本当にお待たせしました! 今回は倭蜃国の現在の大まかな情勢も明らかとなるのでそこら辺も楽しんで読んでもらえたら嬉しいです。

 扶桑京(ふそうきょう)での争乱から早一か月……。

 

 北應州(おうしゅう)七ヵ国の王都・『秋羅国(しゅらのくに)黄泉(おうせん)の郊外。

 

 雪解けにはまだほど遠い如月(きさらぎ)の最中。


 白亜の雪原におおわれたなだらかな丘陵を、遥か雲ひとつない蒼穹から見下ろしながら、一頭の白馬が純白の翼をはためかせて翔ける。

 

 眼下の雪景色のごとく白い体躯と燃えるような赤い(たてがみ)という対象的な異相の天馬(ペガサス)には、二人の人間が騎乗している。

 

 ひとりは、天馬の手綱をにぎる赤みがかった黒い総髪と黄金の双眸を持つ若武者。


 羽織った毛皮の下に、水干(すいかん)に弓籠手を着け、行縢(むかばき)をはいた狩装束に身を包み、長弓を主とする倭蜃(わしん)では珍しい短弓と矢筒を携え。腰には黒鞘に収まった黄金の拵えをした湾曲刀(シャムシール)を佩いている。

 

 その後ろで若武者と相乗りしているのは、同じく毛皮と狩装束で身を固め、長い髪を横でひとまとめにした少女だ。


 青みがかった流麗な濡れ羽色の髪、少女相応の幼さと匂い立つような妖艶さが同居した奇跡的な美貌(かんばせ)、大きな黄金の瞳は黄水晶(シトリン)のように輝きを湛えている。こちらは白鞘に収まった白糸の柄と銀の鍔拵えの太刀を佩いている。

 

 若武者の名を鷹叢(たかむら)樰永(ゆきなが)という。この北應州七ヵ国の領主、鷹叢家の総領息子。今年で御年十七歳。


 少女はその実妹にして鷹叢の姫君、鷹叢(たかむら)(おぼろ)。今年で御年十六歳。


 兄妹を乗せて翔ける天馬の名を赤羅(せきら)という。幼年の頃からの樰永の愛馬(あいぼう)だ。

 


(おぼろ)、体調は大事ないか? 無理について来なくたってよかったんだぞ」


「もうあれから一月ですよ兄様。いくらなんでも心配性に過ぎます」


 樰永の気遣いに、朧は若干頬を膨らませながら憤然と答える。


「あれから私の中の天魔も大人しいものです。あれ以来うんともすんとも話しかけてきません」


「なら……いいんだが」


 樰永は安堵と憂慮がまじった声で呟くが、今度は朧が嘆息を返した。


「私としてはよくはありません。これで兄様の隣で戦える力を手に入れたと思ったのに……。肝心の使い方が見当もつかないなんて」


 すると、(はや)る朧の発言をたしなめたのは兄ではなく、その相棒だった。


『焦りは禁物なのです。あれは黄泉津大神(ヨモツオオカミ)の余波に当てられた結果、半覚醒へ至ったに過ぎません。無理に起こそうとすれば、今度こそ命取りになりかねないのです』


 その声は樰永が佩刀している湾曲刀から発せられている。


 これ(もしくは彼女)? こそが神の神格と権能が封じ込められた(うつわ)――刻鎧神威(グレイル)の一柱『アフリマン』である。

 

 一月前、西界(せいかい)より来航した商人ゼファードル・カルドゥーレからもたらされた物であり、紆余曲折あって樰永が主として選ばれたのだが。

 

 今、それこそが原因で樰永たちは苦境に立たされていた。

 


「って言っても……あれからなんだかんだ言って一月が経ったが、今に至るまで怖いくらい何もないな」


 兄の言葉に朧もうつむいて顔を憂いに染める。


「はい。最低でもアフリマンを返せという正式な通告くらいはしてくると思ったのに。この一か月まるで音沙汰すらないなんて……」


「最悪攻めこまれるのは雪解けを待ってからだと目算してたが、さすがに降伏勧告は愚か文句ひとつすら言ってこないのは不気味だな」


「もしくは、話し合う余地などはじめからないと見做されているのかも知れませんね。雪が解けた途端、問答無用で攻めてくるつもりなのかも……」


 朧の懸念に樰永も渋い面持ちでうなずく。


「だとすれば、俺たちはなおのこと強くならねばならんな。敵となるのは、おそらくあの男だ」

 


 アイアコス・フォン・アグリッパ――セフィロト専制帝国の騎士にして、刻鎧神威(グレイル)の寵愛を受けた神座王(アマデウス)のひとり。

 

 ――はじめて相まみえた時の隙が一分もない佇まいといい、邪神との戦における戦いぶりは言うに及ばず、冷静な状況分析と指揮能力といい。一個の武人としても、軍を率いる将としても百戦錬磨の戦功者(いくさこうしゃ)であることは疑いがない! 


 そんな男が、充分な兵力を得て攻め寄せてきたらどうなるか。想像するだけでもゾッとしない。


 まして、そこに刻鎧神威の力すら加味されるとなればなおのことだ。

 


「一難去ってまた一難……とはよく言ったものだな。ちくしょうめ。今の時点では俺たちに勝ちの目は九分九厘ない」


「ええ。一刻も早く"刻神(アインヘリヤル)"なる技を習得しなければなりません。何より、神座王(アマデウス)はアイアコスばかりではないのですから」


 その言葉で樰永はアイアコスの傍らにいた従者の少女を思い出した。


 ――そうだったな。アイアコスだけでも厄介なのに。神座王がもうひとりときてやがる。今までにない厳しい戦になる……!

 

『しかし、ユキナガはともかくとしても。先刻もいったように、オボロの場合はかなりの危険(リスク)が伴うのですよ。そも刻神(アインヘリヤル)の基本は、なんと言いましても神座王と刻鎧神威が心身と魂魄をひとつとすることなのです。即ち最低限の意思疎通(コミュニケーション)がとれていなければ、そもそもお話にならないのですよ。そして、その点で言えばオボロは――』


「問題外だと言いたいのでしょう……」


 朧はどこか拗ねたように吐き捨てた。アフリマンは当然だとばかりに嘆息を返す。


『あなたとてわかっているはずです。あのおぞましくも轟くような神気の波動を……。寝惚け眼同然の状態ですら、あの体たらくだったのですよ? これで完全な覚醒などしようものなら、どうなるかわたしでも見当がつきません』


 しかし、朧はそれでも諦めきれずに言い募る。


「けれど、時間も敵もは待ってくれません。それに、私はあの戦いで確かに感じたのです。天魔の力を自分のものにできた手応えを」


『それはスーリヤの助力あってものだと忘却してませんですか? しかも、お世辞にもとうてい刻神とは言いきれぬ中途半端な形なのです。分を弁えなさい』


「っ」


 ピシャリと現実を指摘され朧も口を閉ざさざるを得なかった。


 そんな妹を気遣いながらも樰永は今度は己自身についてアフリマンに訊ねた。


「では俺はどうなんだアフリマン? 俺だって、アイアコスの助けがあっても中途半端な形での刻神しか成し得なかった。ならば俺とて刻神に至るのは夢のまた夢ということか」


『ユキナガに関してはそれほど心配はしていないのです。なにせ、わたしとは()()()()()()()()()()()()と絆を育みつつあるのですから』


 第三者が聞いても二重三重に含みがありすぎる発言に、兄妹は色めき立った。


「おい! だから、誤解を招くような発言をするな!」


「あなたね! 私と兄様との仲を応援してくれていたんじゃないの!?」


『あたぼうなのですよ。なんといっても、わたしはユキナガたちの恋の仲人神(キューピッド)なのですから』


 ドヤっとのたまう悪神に、朧は微笑を浮かべながらも眉間にわずかな青筋を立てて問い詰める。


「だったら、なんでそんな波風を立てかねないようなことばかり言うのかしら?」


『古来、恋というものは障害が多ければ多いほど燃えるというです。なればこそ、わたし自ら心を鬼にして二人に艱難辛苦を与えているのですよ。どうぞ感謝なさい。この童貞におぼこ娘』


 鼻息が幻聴となって聞こえると思えるほど得意気にのたまう悪神へ、兄妹(ふたり)は揃って『誰がするか(しますか)!!』と馬上で吼える。


「第一、そうでなくても俺たちははじめから障害だらけなんだよ。これ以上増やされたら堪ったもんじゃねぇ!」


「まったくです! というよりも今はそんな話をしている場合ではないでしょう!」


 朧は話を本題へと戻すべく咳払いをして、再度アフリマンへと訊ねる。


「それで兄様は近い内に刻神を習得できるのですか?」


『ええ、ほぼ時間の問題と言ってよいでしょう。もっとも、あなたたちが言うようにそれまであの仮面野郎が待ってくれるのかという問題は残りますが……』


「結局はそこに行きつくわけか……」


 樰永は眉間に皺をよせ貌をしかめる。


 しかし、すぐに表情を不敵なものに変えあっけらかんな声で言い放つ。


「ならば、やはり実戦の中でつかむ以外に道はないな」


『我が主ながら行き当たりばったりなのです……。扶桑(ふそう)での抜け目のなさはどこへやら』


 半ば呆れる相棒の声に樰永はニヤリと笑う。


「頼もしいだろう」


「兄様は本当にもう……」


 朧も苦笑を浮かべざるを得なかった。


 ――だからこそ私も


「がんばらないと」


 思わず口に出して意気込む愛妹に、それを背に聞いた樰永も真顔で短弓に矢を番えるや遥か眼下の雪原を駆ける雄鹿(おじか)へと狙いを定めた。


「ああ、本当にな……。ここが正念場だ」


 ――そうとも。俺たちは、まだ疾走(はし)り出したばかりなんだ。こんなことで――こんなところで終わっていられるか!


 張り詰めた弦から放たれた矢は、標的を真っ直ぐ過たずに射貫いた。

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