序章 二 王命
『と、申されますと?』
アイアコスの問いに暁星の女帝はその麗しい口唇から衝撃的な報せを紡いだ。
「……アルビオン。そして、アルカディアの二国が近く倭蜃国と接触を持とうとしている」
『!?』
アイアコスたちに激震が奔る。
アルビオンとは、北西の海にアヴァロニア諸島とブリタンニア大陸を版図として統べる三千年を超える古豪の海洋帝国だ。皇帝直属の騎士団『円卓の騎士』を筆頭とする屈強な騎士団を有するばかりか、その海軍力は西界一とも謳われている強国だ。
それに対して、アルカディアはセフィロトの隣海の新大陸を拠点に大小の国を傘下に置く新興国だ。様々な人種や思想に兵種を受け入れた故か、建国して数年で急速に力を着けている。その国力と軍事力は未知数で決して侮れない。
何れもセフィロトと並ぶ大国だ。その二大国がこの時機に倭蜃国へ接近する。つまりは――
『ということは、彼の二国の目的もアフリマンであると?』
「そう考えるのが妥当だろう」
『しかし、アルビオンのモルドレッド女帝はまだしも、陛下の兄君――ルシフェル統一皇はどこか常人には量れぬお方……。果たして妥当の範疇に収まる存念でのことでしょうか?』
その懸念をミカエラは不機嫌そうに白皙の美貌をしかめてソッポを向いた。
「知らん。あんなクソ兄貴の存念なぞ……! 大方グリノアやルクネス辺りの進言であろうよ。貴奴らもあれほどの力を野放しにはできぬと算段したのだろう。まして、あのような事があった後であればなおのことであろうさ。そして、それは我が国とて無論同じことだ」
『つまり……鷹叢樰永の申し出は受けぬ。当初の予定通りカルドゥーレめを捕縛し、アフリマンを奪還せよとのことでしょうか』
「当然だ。邪神を退けようが、倭妖にとっては救国の英雄であろうが、私の王命に一切の変わりなどない」
にべもなく当然と言えば当然の答えに、アイアコスは自分でも説明できぬ葛藤を嘆息と一緒に噛み殺す。
だが、女帝はそんな感傷をも赦さぬとばかり峻厳な声でなおも続ける。
「さらに言えばだ。この件をあまりダラダラと長引かせて、この二国に加えて教皇庁の連中まで妙な横槍を入れてくるやも知れん。さような面倒なことになる前にカタを着けよ」
教皇庁とは――セフィロトをはじめとした西界の国々において絶大な信仰と勢力を誇る宗教『イェシュア教』の信徒を統括する宗教機関のことだ。また異端審問という名目で修道聖騎士団という大国にも比肩し得る独自の武力と軍事力を持っている。
起源は、友愛的な修道会であったが、現在は腐敗した聖職者たちの温床と化してしまっている。上記の信仰を盾にあらゆる私利私欲による無理難題を信徒たる各国に強いてきた。
その上、彼らが数千年に渡って各国の政治や経済に深い人脈を築いており、当のセフィロト自体が建国当初から多大な援助を受けているため無碍にはできぬ厄介な存在でもあるなど八方塞がりのありさまである。
――確かに、ただでさえこのキナ臭い情勢下……生臭坊主たちにまで付け入る隙は与えられんな。
アイアコス自身もそれは十二分に承知していることだった。
それ故に改めて意を決したがごとく口を開いた。致命的に後戻りできぬ言の葉を紡ぐために。
『なれば、紫雷竜騎士団をお返しください』
その嘆願に騒然となったのは諸侯だ。
「なにを言うかアイアコス卿! 貴奴らはヴァルトシュタインへの備えとして後詰めしている最中ぞ!」
「左様。それをたかだか一地方領主の征伐に使うなど、牛刀割鶏にもほどがあろうに……!」
しかし、当の女帝はそれらの声を無視し、むしろ面白いとばかりに声を弾ませる。
「ほう……? 貴様がそこまで言うとはな。その鷹叢樰永とはそこまでの男か。先刻聞いたかぎりでは、手にした刻鎧神威をまともに扱うことさえ覚束ぬのではなかったか?」
『然り。されど、それ故に未知数かつ予測がつかぬ男です。都での振る舞いといい、邪神討伐の折といい、良きにつけ悪しきにつけ、何をしでかすかわからぬ凄みを感じました」
その言に対し、ミカエラは首を傾げ頬を押さえつつ「ふむ」と気のない声で呟くや、あっけらかんと言い放った。
「よかろう。ヴァルトシュタインへはミーノスを行かせる。良きに計らうが良い」
「へ、陛下!?」
「姉様!?」
途端に左右からエレクトラとアリエスが抗議を含んだ声を出すも、真紅髪の女帝はにべもなく「もう決めた」と一切の反論を一蹴した。
「それに、その鷹叢樰永と言う奴は、仮にも我が祖父にして神祖ウリエル・アウグストゥスⅠ世陛下すら従わせること叶わなんだ悪食の荒神を従わせた初めての男……。アイアコスの評価も決して的外れというわけでもあるまい。確かに警戒してしすぎるということはなかろう」
気色ばむ臣下たちをそう諭した後、今一度鋭く目を細め、眼下のアイアコスたちを睥睨して命じる。
「アイアコス! 聞いた通りだ。この件は改めて貴様に一任する。カルドゥーレの奴は二の次で良い。去りたい者は去らせればよいのだ。だが、アフリマンはそうはいかん。二国が介入する前に何としてもアフリマンを回収せよ! 我が帝国最強の一角たるその力存分に振るうがいい!」
『謹んで承ります。ではこれにて』
だが、そこで真紅の女帝はさらに待ったをかけた。
「ただし、連れて行くのは紫雷竜騎士団だけではない。飛竜航空騎兵四十五万騎も連れて行くがいい」
「へっ、陛下っ!?」
「そ、それはいくらなんでもあまりに……!」
途端に群臣たちの狼狽と驚愕がまじった抗議がこだまする。だが無理もあるまい。当のアイアコスさえ仮面の下で目を剥かずにはいられなかった。
それはもはや大国が一地方領主へ向ける兵数ではない。正真正銘大国をひとつ落とさんばかりの大戦力ではないか……!!
そんな内心を見透かしたかのように女帝は冷厳かつ酷薄な声で続ける。
「そのつもりで臨めということだ。私とてこれでも貴様以上にアフリマンの件を重大視している。アレの前に生半可な戦力では怪我程度で済まぬ可能性が大きい。たかだか小国と侮ることはできん。それにだ」
瞬間、麗しい口唇が獰猛につり上がる。さながら獅子が獲物を前に舌なめずりするがごとくに。
「獅子は取るに足らぬ兎を狩る時も全霊をもって狩る。不届き者どもにそれを骨身に染みてわからせる必要があろうが」
焔のように猛々しく苛烈な覇気が場を支配する。それは投影魔法越しのアイアコスたちさえ射抜くほどのものだった。
それを受け、アイアコスは改めて頭を垂れ重い声で皇命を受諾する。
「御意……!」
そこで投影魔法は議場は群臣たちのざわめきのみが残った。
エレクトラは少し不安げな面持ちで主君に囁いた。
「本当によろしいのですか? 今、東も果ての国に兵力の多くをつぎ込むなど……」
「無論、ヴァルトシュタインへの備えを怠るわけではない。それともお前たちはミーノスでは不足と思うか?」
少し意地悪い笑みを浮かべるミカエラに、アリエスも嘆息をつきつつ答える。
「そういうわけじゃないけどね。ミーノスだって実力は確かよ。それに配下のケテル騎士団も我が国で随一の武勇を誇る猛者揃いだもの。けど、いくらなんでも一国ですらない一地方領主に対しての備えとしては些か過剰戦力だってきらいは拭えないわ。いかにあの『アフリマン』を込みにした備えだとしてもね」
「おまえたちの言うこともわかるが、これは何もアイアコスの言葉のみを鵜呑みにしたわけではない。何より他ならぬこの私がそうすべきだという直感に従ったまでのことだ」
ミカエラの言葉に、エレクトラは元来鋭い目をさらに細めた。
「と、言いますと?」
「わからぬか? 敵は、その鷹叢家のみとは限らぬであろう?」
その言葉でハッとしたように碧の双眸を細めたのはアリエスだ。
「まさか、扶桑の都の主権を新たに握った四条院と芦藏のことを言ってるの? 彼らもまたアフリマンを狙うと……」
「ありえぬ話ではなかろう。むしろ、現地にいた奴らこそがあの刻鎧神威の力を間近で思い知ったはずだ。先にも言ったが、警戒してしすぎることはない。それに――」
「それに?」
エレクトラがその先を促すように怪訝な視線を注ぐと、真紅髪の主君は口唇を不敵に歪めて微笑を形作った。
「興味はないか? アイアコスがあそこまで買っている男がどこまでやれるのか」
「アフリマンの契約者を試されるおつもりですか? てっきり興味はまるでないとばかり……」
「命を曲げるつもりはないと言ったが、興味がないなどと言った覚えはないぞ?」
半ば呆れ気味な声を出す参謀に、ミカエラは首を傾げてしれとした声で返す。
「それで……この戦で鷹叢樰永が御眼鏡に適う相手なら要望通り手を組むつもりなの、お姉様?」
だが、アリエスの言葉に対しては一笑に付す。
「それこそまさかだな。群臣どもも言ったが、たかだか一地方を治める領主と我が帝国では釣り合いなど取れぬ。まあ、少しは見込みがある相手ならば傘下に加え、アフリマンを任せることも一考しようさ」
そこで声の温度を一段と低くしてこう結んだ。
「だが、見込みがない。若しくはこちらの掌に収まりきらぬ相手であれば、今の内に潰すかも知れんな」
今まさに、武士の国へと大帝国が牙を剥こうとしていた……!




