第肆章 神座王集う 十三 三つ巴
「両者とも、そこまでになされよ。このようなところでする話でもあるまい」
再び、殺気を応酬する二人の間に尊昶が割って入った。
「尊昶殿、貴公は我らに協力をしてくれるのではなかったかな? それとも、是叡が失脚したことで破棄も同然だとでも」
「そうは言っておらぬ! ただ樰永殿の言い分も聞くべきではないか。そもそも話を聞いたかぎりでは、アフリマンが盗品であったことさえ知らぬ様子……」
「だが、今は知っている。そしてそれをわかった上でこの男は返さぬと言った。これは我が国への明瞭なる宣戦布告も同じだ」
アイアコスの声はあくまで冷淡だった。そんな彼に、犬耳をピコピコさせながら白銀の髪の幼女が裾を引っ張りおずおずと口を開いた。
「あ、あのお師匠さま……このひとたちのお話も」
と、意見を口にするが、途端にリュカに睨みつけられビクつく。アイアコスはそれを目線で制すると愛弟子の頭をポンと撫でながら首を横に振った。
「おまえの願いならできるだけ叶えてはやりたいが、そればかりは聞けないな。これは好悪の問題ではなく公事の問題だ。女帝陛下の命をまさか破棄するわけにはいくまい」
「だから、その女王と話をさせろと言っている!」
「戯言を抜かすな。貴様のような危険人物を我らが女王に会わせるなど論外だ」
アイアコスはにべもない。
「どこがだ? 俺は極めて真っ当な商談を提示しただけだぜ。あんたたちにも損はないはずだ」
樰永の言葉に冷笑を返したのはリュカだ。
「はっ、つくづくめでたいな。我が帝国と一地方領主が同盟だと? そんな与太話を、あの天上天下唯我独尊が衣を着たような女王様が相手にするとでも思っているのか?」
「リュカ様、不敬ですよ……!」
レイヴンが小声でたしなめる横で、シャリネも呆れまじりの嘆息をついて言った。
「ですが、リュカ殿の言う通りです。何れにしても一領主……それも家督すら継いでいない今のあなたにそのような権限はないでしょう」
「無論承知している。だからこそ俺がこの国を一統した暁にはと言った」
「それまで待てと?」
アイアコスは凍りつくような声で刺すが、樰永も些かも怯まない。
「先行投資って奴だ。大体カルドゥーレから聞いた話じゃ、おまえたちもこいつに散々手を焼いてたそうじゃねぇか。言い方は悪くなるが、厄介払いと思って俺に託してみないか? そっちが失った利益なんぞ利息をつけて返してやるよ」
その自信はいったいどこからくるのだと、アイアコスは呆れた視線を向ける。
割に合わぬ取引だと拒絶することは簡単だが、どんな言葉もこの男を引き下がらせることはできないと既にして悟っていた。ならばと。
「ならば――それを信ずるに足る器量を示してもらおうか」
「兄さん!?」
アイアコスが戦意を魔力に変えて放出しはじめたのを見て、シャリネは慌てる。
「面白れぇ……! 俺も西界の武士の力に興味があったところだ。そっちこそ俺を楽しませてくれるんだろうな?」
樰永も拳を鳴らしながら好戦的かつ獰猛な笑みを浮かべる。
「兄様っ!?」
朧も咎めるように声をあげる。
「朧、言うべきことは粗方言った。もうこれ以上言葉を交わしていても埒が明かねぇよ。なら、ここからは力づくで道を抉じ開けるのみだ」
樰永は腰のアフリマンを抜刀する。それを受けアイアコスも腰の簡素な大剣を抜き応ずる。
「そういうことだな。やれるものならやってみろ」
「カ、いえ伯爵っ!?」
レイヴンが諫めようと声をあげるが、それをリュカが手で制し押し止める。
「リュカ様、何を……!?」
「やめておけ。こいつがこうなったら俺でももう止められん。それより巻き込まれぬ内にとっとと離れるぞ」
「おやおや、剣呑剣呑……」
他人事のように呟くカルドゥーレに、朧は眉間に青筋を立てて怒声をあげる。
「そもそも、あなたが諸悪の根源なのですよ! どうにかこの場を収める手立てはないのですか!?」
「無理ですな」
商人の返答は無慈悲かつにべもなかった。
「あなたねえ……ッ!」
当然、朧は激昂するが、それをカルドゥーレは涼やかながらも冷たさすら感じる鋭い笑みを浮かべて諫める。
「元よりこれは、神々に愛されし王に選ばれた者の宿命ですよ。神の杯を呑み干した以上は、否が応でもこれから先このような難事は幾度も降りかかりましょう。むしろ、これは小波程度。それで倒れるならば、天下一統など叶う道理はありますまい」
「っ! それは……」
カルドゥーレに言われるまでもなく、朧もそれはあの日……兄がアフリマンと契約を交わした日から悟っていたことだ。
兄はきっとこれから先、全身が血だらけになりながら茨道を生涯歩き続けることになると。
「それに貴女もひとりの武人として興味がありませんか? 神座王同士の戦いというものに……」
「また、他人事だと思って……!」
しかし、次の瞬間軽口を叩く商人に、朧は憤然とした顔を作った。
「ではいざ――」
「参る!」
その掛け声と同時に、風と音すら置き去りにして二人は駆けた。樰永は中段で突きを放ち、アイアコスは上段から大剣を振りかぶる。
周囲が息を呑む中、一際高い甲高い金属音が響いた。
しかし、それは二人の刃が激突した故ではなかった。
「ッ! おまえ……!?」
「……これは何の真似かご説明願いたいな、尊昶殿」
「双方とも、いい加減になされよ……!」
尊昶が二人の間に入り右手の太刀で樰永のシャムシールを、左手の小太刀でアイアコスの大剣を、塞き止めていた。
「ここは恐れ多くも禁裏にござる。本来武具を帯刀することすら許されぬ場所で乱闘なぞ言語道断。せめて時と場所を選ばれよ」
尊昶が懸命に諭す傍らで、二人は彼の技量に舌を巻いていた。
――俺の突きを止めた!? それもアフリマンの器である刃を……!
――小太刀で受け止めれれるとはな。力を完全に受け流された。しかも、太刀に刻鎧神威の神気を一点に集束させることでアフリマンの刃をも受け止めるとは……! 刻鎧神威の扱いにも既にして慣れているようだ。わかっていたことだが、この男も並の技量ではないな……!
一方で、二人の刃を止めた尊昶もまた余裕がなかった。
――危うかった……!少しでも力加減を誤ればこちらの命がなかった! 二人とも凄まじい技量の冴えだ。それにしても、これがアフリマンの力か。成程な。これはセフィロトの武士たちも血眼になるわけだ。こうして辛うじて神気を一点に集束することでせき止めているが、気を抜けば今にも喰い破られそうだ……! これで刻神を使ったとしたらどれほどの――
「兄様の突きを止めた……!? それにあの男――」
朧は兄と西界の武士を止めた男を改めて直視して、それが昨日自分を助けてくれた少年だと気づいた。
一方、その横でカルドゥーレは興味深げな視線を尊昶にも注いだ。
「ほう? これは三竦みというやつですね。これはますます面白い」
「また、あなたはそんな……! いい加減に――」
朧は、またも混ぜっ返す商人に憤慨の言葉を吐き出そうとするが、それよりも前に――
――殺せ。
「え?」
空耳だと思った。
それは八年前の嵐以来聞くことはなかった声。
いや、それどころか幼心の恐怖が生み出した空耳だとすら思って忘却していた声だったのだから。
それが何故今更――そう考える暇すらなく次の瞬間、
―――――――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!
内裏を、否、この地を、この天をも鳴動するかのような轟音のごとき咆哮が産声をあげた。
それはさながら、総てを呪う慟哭の叫喚のようであった。
清聡や治禎たちが何事かと右往左往する中で、一触即発となっていた三人の神座王たちは――
「なっ!?」
「ぐっ!?」
「こ、これは!?」
突如として身体を大きく崩し片膝を突き、その双眸は十字架の聖印を発光させ全身の肌がチリチリと泡立っていた。
それは同じく神座王であるシャリネも同様で蹲りながら何かに耐え、カラコムが介抱している。
「な、なんだ!? この重苦しい気配は……! くそ! 耳鳴りまでしやがる! 今にも押し潰されそうだ……!!」
樰永は、発光を続ける目元を押さえながら身体をおもむろに起こす。
『ユキナガ……!!』
アフリマンが珍しく焦燥に駆られた声を脳内に響かせる。おそらくは、この気配の主のことであろうと樰永は相棒に問う。
「アフリマン……おまえ、この気配の主を知っているのか? まさか、これも刻鎧神威の」
しかし、返ってきた答えは否定だった。
『いいえ。確かにこれは神の気配なのです。ですが、これはありえない……』
「ありえない? どういう意味だ……」
主の呻くような声に対し、アフリマンはいつもの無感動な声音に畏怖さえ湛えて吐き出した。
『この時代……いいえ、この世界において神が肉を得て顕現するなど断じてありえざることなのです。ありえてはならぬことなのです……!!』
「ありえてはならない? そりゃ本当にどういう――――朧っ!?」
その言葉にさらなる追及を迫ろうとした樰永の視界で、誰よりも愛する妹が突如として倒れ伏し荒い息を吐き続け痙攣している姿が映った。そばでカルドゥーレが介抱しているが、それは視界には入らなかった。
瞬間、文字通り脱兎のごとく倒れ伏した妹の元に駆け寄り、カルドゥーレからひったくるようにして抱き起した。
その際に、その身体は火のように熱く多量の汗を流していることに気づき、樰永の焦燥を大きくさせる。
「朧! 朧っ! どうした!? しっかり――おまえっ!?」
必死の形相と声で懸命に呼びかける樰永だったが、愛妹の顔を――正確にはその双眸を直視して絶句していた。
熱で潤んでいた瞳には、今の自分と同じ十字架の文様が爛々と照り輝いていたのだから……。




