第肆章 神座王集う 八 陥没
「よし……!」
校書殿で書物漁りをしていた樰永は、ようやく目当ての物を見つけていた。
『やれやれ、ようやく書物地獄から解放なのですよ~~~』
心底ウンザリした声を脳内に響かせる相棒に、樰永も念話で毒づく。
(おまえは、ひとの頭で駄々捏ねてただけだろうが……! まあ、いい。これで口火を切る手札は手に入れた。後は朧と合流して――っ!?)
そう締め括ろうとした正にその瞬間、樰永の武人としての感性が警鐘を鳴らし、素早く身を隠した。
『ユキナガ……』
同じくアフリマンも異変を感じとり主に警戒を促した。
(ああ、俺も感じてる。誰かが――ナニカが入ってきた)
樰永は体内に収納していたアフリマンの器であるシャムシールを顕現させ、抜刀すると八相に構える。
そして、眼を閉じて静寂であった筈の書庫に流れる空気がいつの間にか変わっていることを、敏感に察し五感すべてを研ぎ澄ませ戦闘態勢へと移行させる。
それから間を置かずに頭上から、あっさりとした。されども鋭い風切り音が鳴り終わらぬ内に樰永は刃を過つことなく頭上へと移動させ、己が頭蓋を穿とうとした槍の穂先をせき止めていた。
「……!」
何者かの呻く声が漏れると、樰永は双眸を開けて呆れた声を出す。
「刺客にしてはあからさまだな」
その声で刺突を放った影は離れて距離を取った。
そして、改めて開いた視界に映るその姿は、妙なことにそこだけ靄がかかったようなものとなっている。
「幻術の類か……。まあ、何れにせよ捕らえてひん剥けばわかることだなッ!」
そう言うが早いか今度はこちらから突きを繰り出す。影は顔をわずかにそらすと先刻以上の速度による刺突を再び顔面目掛けて繰り出す。しかし――
「ッッ!?」
視認すら至難であったはずの穂先を、樰永はあろうことか歯で噛むことで止めた挙句に根っ子から砕いてしまった。
砕いた穂先をペッと吐き捨て、不敵な笑みを浮かべる。
「不味いな。おまけに倭妖鋼には遠く及ばん脆さだ」
影は穂先を失った槍を放り捨てると、二刀の小太刀を腰から抜き放ち踊りかかった。
その動きは俊敏で樰永の間合いをつかず離れずで、攻撃範囲が短い小太刀を適切な軌道で振るってくる。
しかし、樰永はそれを余裕の態勢で捌く。
影は腕や指に刃を奔らせようとするも、そんな見え透いた狙いを見抜けぬ樰永ではない。
最小限の動きで刃を弾き柄で叩き壊すと、影をそれとなく誘導した書庫の棚にまで追い詰め、首元に刃を当てた。
「さて、お前の大将の名を教えてもらおうか? 誰に命じられた。まあ、おおよその見当くらいはとっくについているがな」
『ぐっ……くッははっはははははっはっはは!!』
すると、信じ難いことに影は唐突にせせら笑いはじめた。
それを怪訝に思った樰永は、さらに問いを重ねる。
「何がおかしい?」
『何がおかしい? いやはや、ここまで思惑に乗ってくれたことがさ!!』
そう哄笑を上げた途端に、影をおおっていた靄が掻き消え、そこには――
「なっ!?」
「な、なにしますのん!?」
豪奢な十二単に身を包んだ十四ほどの少女が脅えた様子で狼狽していた。
それは当然のことではあろう。なにせ見ず知らずの男に刃を突きつけられているともなれば、ごく自然な反応だ。
しかし、ある意味で最も混乱の極みにあったのは樰永だった。
先刻までは凶悪な刺客であったはずの賊が、いつの間にやらか弱き姫へと姿を変えていたのだから。
だが、次に出た言葉によりそれ以上に狼狽することになる。
「わ、妾を誰と心得ますのや!? 妾は恐れ多くも、従一位太政大臣にして摂権たる一条宮是叡の娘! その妾に対するこの狼藉許しまへんえ!」
――是叡の娘だと!? しまった! これ自体が罠かッ!!
即座にすべてを悟るも後の祭りだった。
それを決定づけるかのように厭味ったらしい声が響き渡る。
「これは、これは、鷹叢の総領息子ではおじゃらんか」
「ッ!!」
見ると、是叡ら摂権家全当主をはじめとした公家たちに警護の武士たちが、校書殿の入り口に勢揃いしていた。まるで見計らったように……!
「おもうさん!」
是叡の娘は、父の姿を認めると一目散にその懐に飛び込んだ。
「おお、姫よ。さぞ怖かったであろうのう。もう大丈夫でおじゃる。さて、これはいかなることか説明してもらおうかのう? 鷹叢の」
娘をあやしながら嬲るがごとく睨めつける是叡に、樰永は歯軋りする。
――クソったれ! これじゃあ言い訳のしようもない!!
『ユキナガ。諫言いたしますですが、ここは一時退却が最適解かと存じますが?』
アフリマンからの助言に対し、樰永は否と首を横に振った。
(駄目だ! ここで退けば、それこそ収集がつかない)
『とっくにそうなってると思いますが?』
(だとしても、是叡ごときに背を向けて逃げるようでは天下などとても望めない!! それに、既に手札はあるし。こういう時のための備えも用意している!)
「まず無断で大内裏に侵入した非礼を詫びさせて欲しい。だが、これは故あってのことだ。そして、摂権殿下の姫君に刃を向けたることも決して俺の本意ではなかった」
狼狽した心を静かな水面の如く落ち着かせ努めて冷静な声で語り掛ける若武者の姿に、その場に同席していたアイアコスと尊昶は呆れるやら感嘆するやらで舌を巻いていた。
二人とも、樰永がアフリマンを顕現させた気配を察知し、この場所を突き止め是叡たちをここまで導いたのだが、当の下手人の意外に過ぎる対応に虚を衝かれたような恰好だった。
「――神妙に縄につくか諦め悪く逃亡するかの二択だと思ったのだがな。肝が据わっているのか、はたまた空気の読めぬ愚者なのか……」
アイアコスの言葉に、リュカは肩をすくめて「いや、どう考えても後者では?」と呆れて吐き捨てシャリネですら「右に同じく……」と嘆息を漏らす。
家令と妹弟子の無遠慮な酷評をよそに、アイアコスは油断なく樰永を見る。
――あれが、アフリマンに選ばれた新たなる神座王か。なるほど。武においても王気においても並ではないな。しかし、誰がどう見ても詰み以外ありえない窮地をどう切り抜ける?
「やはり、あの男が……」
尊昶は、眼前で摂権相手に堂々と語る神座王の気配をまとう若武者が、昨日市中で会った女子の兄であることを確認しつつも、その天井知らずの度胸と太々しさに度肝を抜かれていた。
――これほど致命的な状況下にあるにも拘らず、何という胆力なのか……! これが北應州の麒麟児か……! しかし、このような申し開きようもない状況ではもはや――。
一方で、樰永も己と同質の気配をまとった二人の視線に気づいていた。
――昨日の男……やはり武士であったか。それに、あの全身鎧の男と隣の白髪の女は西界人か? あの二人も神座王とはな。だが、なるほどな。何れも凄まじい武人だが、特に昨日の男と全身鎧の男は桁外れだ。こうして対峙するだけでも鬼気が刃となって突き刺さるようだ……! しかし、このような手狭な場所で神座王がこうして四人も集うことになるとはな。つくづく笑えない状況だぜ。
そう内心で苦笑しながらも、今は目の前のことに集中すべく、勝ち誇った笑みを張りつけた是叡を真っ直ぐに睨み据えて口を開く。
「そもそも俺がこのような挙に出たのは、聞き捨てならぬことを耳にしたが故だ」
「聞き捨てならぬこと? 芦藏を鎮守府将軍とする件のことでおじゃるか? ならば異なことよのう。聞き捨てならぬも何も元より應州は貴奴らが治めていた土地ぞ。その混乱と内乱を治めてもらうためにも相応の地位をと――」
「莫迦か、おまえは」
是叡の言葉を遮ったばかりか清々しい痛罵を吐く樰永。
「な、なんと無礼な! かような暴挙の挙句に摂権殿下に対し奉りなんたる――!!」
前嗣を筆頭に公家たちが気色ばむが、樰永は一切を無視して続ける。
「今、北應州は俺たち鷹叢と芦藏が勢力を二分している。そんな中でどちらかが鎮守府将軍となれば、お互いに黙ってはいない。平定どころか混乱はさらに加速する。さながら火種が燻ぶってるところに大量の油を流し込むようなものだろうが」
「……清聡よ。おまえがゆうとった鷹叢の小倅、図太いにもほどがあるんやないか?」
治禎が呆れまじりの小声でぼやくのを、清聡は真っ青な顔で冷や汗を流しながら渇いた笑いを漏らす他なかった。
「は、ははははは……」
――樰永君っ! なんちゅう無茶なことを!? この期に及んでも周りに耳を傾けさせてしまう強引ぶりはさすがやけど、こないな言い逃れのでけへん状況でどないするんや!?
一方で、そんな二人をよそに忠遠は興味がないとばかり巌のように口を閉じている。
そして、痛罵された当人はというと、意外にも涼しい顔と嬲るような声音のまま樰永を追い詰める。
「ふん。そちらこそ口が上手いのう? 麿が何も知らぬと思うてか? 知っておるぞ。うぬらの北應州にはいまだ芦藏を慕う国人どもがおる。ここへ乗り込んだは、その者らが芦藏の鎮守府将軍任官により反旗を翻すを恐れてのことでおじゃろう? まったくお為ごかしよのう……」
しかし、対する樰永も不敵な笑みを一切崩さなかった。
「そっちこそお為ごかしはもうよすんだな」
「なんじゃと?」
「おまえが本当に欲しいのは、鷹叢が押さえている黄金だろう。俺たちと芦藏が共倒れになったところを掠め取るなんて算段なんだろうが、生憎だったな。おまえの思う通りにはならん」
これに是叡は嘲るように鼻を鳴らした。
「ふん! 思い通りにならぬと? うぬこそ現実を見たらどうでおじゃる。かように話を逸らしてみたところで、うぬがこうして禁裏を侵犯し、我が娘に狼藉を働いたことは明々白々。もはや、うぬらが逆賊である事実は一切揺らぐことはない!」
――その通り。それはここにいる全員が目にしていることだ。その事実をどう覆すというのだ?
アイアコスは是叡の言葉にうなずく一方で、兜の下からどこか興味深げな視線を樰永に注ぐ。
だが、当人の答えは――
「娘御は、何者かに妖術の類で操られ刺客に仕立てられていた。むこうから仕掛けてきたが故に止む無く応戦した。それだけだ」
その返答はあっさりかつ平凡としたものだった。
「かような戯言を、麿らが信ずる道理があると思うでおじゃるか?」
厭らしさと小馬鹿にしたような蔑みすら含んだ眼で嘲る是叡に、樰永はこれまたあっさりと頭を横に振った。
「思わんさ。だが、事実は事実だ」
「たわけめ! 口ではどうとでも言えるでおじゃる! 万が一にでもそれが事実だとしてそれを証明するどんな手があるとゆうのでおじゃるか?」
前嗣もここぞとばかりに追及する。これを聞いていた尊昶も不本意ながらうなずかざるを得なかった。
――そう結局のところそれを証明する証など立てようはずもない。これ以上何ができるというのか!?
「さあ、もはやこれ以上の問答は無用! 尊昶殿、早うこの賊を拘束するでおじゃる。これでうぬら殯束家も安泰というもの。それに西界のご使者殿、存外に早う決着が着いたでおじゃるな。何より何より」
その言葉で、アイアコスは今更のようにハッとなって己のすべきことを思い出す。
――そうだ。あの男が然も当然のように作り出した雰囲気に呑まれてしまったが、己の為すべきことを見誤るな。我らの務めはアフリマンを奪還することなのだから。
その決意の元、静かにされど圧を放つ歩みをもって四面楚歌の中、弁を振るう若武者の元へと赴く。
樰永も、自らに歩み寄る甲冑武者を真っ直ぐな視線を湛えて見る。
そうして互いに視線を直視し合う形で対峙する。
「おまえは?」
樰永が問うと、アイアコスは冷たい殺気すら込めた声で自己紹介する。
「私は、セフィロト専制帝国の騎士、アイアコス・フォン・アグリッパと申す者。そういう貴公は?」
「北應州の太守、鷹叢悠永が嫡子、鷹叢樰永。いずれ倭蜃すべてを一統する武家の王となる男の名だ。覚えておくといいぞ」
対する樰永も獰猛な笑みで受け止め名乗り返す。
これが、後に互いを生涯最大最強にして最愛の真友と称する二人の出会いであったのだが、この時の彼らはまだ知る由もない。
そして、この出会いこそが、これから先数え切れぬほどに凌ぎを削り合う二人の最初の対決でもあった。




