第肆章 神座王集う 六 絡まりゆく糸
夕刻
『ユ~キ~ナ~ガ~! いったい、いつまでこんな書物の山に引きこもっているつもりなのですか!?
わたしは得物としてすら実体化できず退屈でしょうがないのです~~! そのうちストレスで爆発するのです―――!!』
そんながなり声を念話として脳内に響かされるのを辟易しながら樰永は、内裏の施設である校書殿の西廂の南に置かれた、朝廷の歴代の書物を蔵書し保管した校書所で書物の物色に勤しんでいた。
(頼むから静かにしててくれ。こっちこそおまえの声が四六時中ガンガン鳴り響いて頭がいかれちまいそうだ……)
因みに内裏は帯刀は厳禁であり、必然的にアフリマンは器たるシャムシールごと樰永の体内に引っ込むより他なく、ここ数日は手持無沙汰を強いられていたのだった。
『まったく! 神たるわたしにかような不自由を強いるなど……! ユキナガは私に対する尊崇がまるでなっていないのです! 憤慨なのです! この代償は決して安くはすませないのです!』
(……わかった、わかった。黄泉に帰ったら應州名物をいくらでも食わせてやる。だから今は探し物に集中させてくれ)
げんなりした顔と投げやりな声で雑にあしらう主にいっそう不機嫌になりながらも、アフリマンは疑問をぶつけた。
『追っ手と監視を巻いてやっと敵陣へ潜入したかと思えば、早速この部屋で書物漁りなんぞして何を探してやがるのですか? わたしなりに諫言しますが、コレアキとかいう奴の売国の証拠などこんなところにあるとは……』
(ああ。ないだろうな)
あっさりと認める主に、アフリマンはますます解せぬとばかりに唸る。
(俺が探しているのは、都の徴収税記録だ)
『そんなもの探し出してどうなるのです? そもそも売国の証拠はどこに行きやがったのですか?』
もっともな疑問に、樰永は不敵に口角を上げた。
(考えてもみろ。唐国の宦官どもは、公家ども以上の業突く張りな金食い虫だ。そんな連中が無償で是叡なんぞの小間使いなどすると思うか?)
『ふむ。つまり、その徴収した税をネコババした挙句に宦官たちへと横流ししていると?』
アフリマンの答えに、樰永は首を縦に振った。
(元より民の血税を湯水のように扱っている連中の代表格だ。躊躇う道理なんぞ端からないだろうさ)
『しかし、そんなものこそ、こんなところにあるとは思えませんが……』
そんな彼の政敵にとってみれば恰好の攻撃材料も同然な書物を、こんなところに置いておくなど、それこそ自殺行為ではないか。
そんな至極当然の疑問に、樰永は手を動かしながらも嘆息をついて念話で答える。
(ここは公家どもの巣だからな。徴収した税を横領してるのが是叡だけとでも思うか? それを指摘した途端に芋づる式に自分たちの首も飛ぶ。要するにほとんど同じ穴の狢なのさ。第一、それはあくまでも税の記録であって明確に藍帝国と繋がっているという確証ではない。どうとでも言い繕えるさ)
『王も王家も既に亡いとは聞いてましたが、世紀末な宮廷にも程があるのです……』
呆れがまじった声であっぴろげに吐き捨てる相棒に心底同意しつつ、先の展望を伝える。
(故に先ずは、その記録を入手し公家どもに対する糾弾の口火に使い膿を炙り出す。具体的には鷹叢と懇意にしている扶桑の商人たちに公表させるんだ。これらが世間に表沙汰にもなれば、これまでのようになあなあにはできない。そうなればどうなる?)
『う~~ん。普通に考えて連中の間で責任の擦り付け合いがはじまると思いますが』
樰永は大正解とばかりに肩をすくめる。
(朝廷はその機能を一時的に麻痺させることになるだろう。そうなると是叡の奴が頼る先はひとつしかなくなる)
その答えを、アフリマンは感情の起伏がまるでない平淡な声音で鳴らした。
『藍帝国……というわけですね。そこを押さえる計画だと?』
(そういうことだ。わかったら静かにしててくれ)
『結局、本当に言いたいのはそれなのですね。ぶー! ぶー!』
途端に、相棒の不平不満が脳内に轟いた。対する樰永も念話で捲し立てる。
(仕方ねぇだろう!! おまえにその調子でがなり立てられたら集中できねぇんだよ!!)
『はん、童貞は本当に繊細なのですね。この悪神の王ともあろう者が情けなくて涙が出てくらぁなのですよ』
(なんだよ、それ! というよりどこで覚えたそんな言葉!?)
『トワなのですよ』
ドヤっと答える悪神に、樰永は頭痛を堪えるように頭を押さえ、悪ふざけがすぎる叔母に毒づいた。
――あの蟒蛇女、こいつに何吹き込んでくれてんだよ……!!
(と・に・か・く! これは倭蜃国の未来が懸かった戦なんだ! 頼むから集中させろ!!)
そうした脳内漫才を繰り広げながら若武者は、書物との格闘を続けるのだった……。
同時刻――。
「ほれ、急いでたもれ! 皆様方がお待ちかねであらしゃいます!」
女官長の叱咤で、女官たちが夕餉の膳を手にせわしなく歩き回る。
摂権が主催する宴のための膳だ。その中に女官にまぎれた朧もいた。
(そろそろ折を見て抜け出さねばなりませんね。それにしても宴とは何のための……?)
そう訝しむ朧の耳に、話好きらしい女官たちの声が響いた。
「見はりました、あん殿方?」
「へえ。色も白うて、お武家はんとは思えへん、しんなりした公やわぁ」
「桓東管領のご子息ゆうから、どんな荒くれモンかと恐々としたもんやけど、とんだ杞憂やったわあ。私らにも優しゅうしてくれはって……」
その声音はいつになく弾んでおり、火照ったような熱すら弾んでいる。
――なるほど。今宵の宴はそのための……。大方は私たちにしているような無理難題を通すための歓待というわけですか。浅ましいこと。
軽蔑と呆れがまじった嘆息をつくが、次に出た言葉に息を呑むのを堪えねばならなかった。
「まあ、一緒にいらっしゃった西界のご使者はん方の大将はんは、なんや恐ろしいおひとそうやけれど、隣のご家来はんは大層な美形はんや。殯束の若殿といい目の保養やわぁ。ホンマ」
――西界の!?
朧は大きく目を見開きながら心の臓が大きく跳ね上がった。しかし、それをすぐさま落ち着け平静を保ちながら思案に入る。
――應州にカルドゥーレ殿が来られたように、扶桑の朝廷にも西界からの客人が来るなんて……! これは何かの偶然? それとも――
「せやけど、西界の方々がこんな極東の国に何しに参らはったん?」
「その方々、セフィロトゆう国から来なはったそうやけど、何でも国宝を盗んで逐電した罪人を追いかけて来はったゆう話やで。しかも、その犯人って元は国のお抱え商人やったそうや」
「まあ、怖い」
そんな疑問も矢継ぎ早に続いた会話の内容で氷解した。
――カルドゥーレ殿……これはどういうことなのですかッ!?
あまりのことに朧は、脳内で必死に噛み殺した絶叫を轟かせる他に術がなかった。




