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元数学者、異世界を数字で書き換える  作者: godrenkon
第三章 帰還編 【A】

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元数学者、異世界を数字で書き換える 第64話

元数学者、異世界を数字で書き換える

【ルートA】第3章・帰還編


第64話「河川敷」



最初に戻ってきたのは、痛みだった。


後頭部。


割れるような、ではない。もっと鈍い、内側から膨れるような痛み。


次に、匂い。


草と、土と、水の匂い。


そして、音。


「――もっと右! 右だって!」


「わかってるよ!」


子供の声。


俺は、目を開けた。


空が見えた。


よく晴れた、昼下がりの空。


前世で、四十年見続けた空の色。


「……あ」


声が出なかった。


喉が、うまく動かない。


体を起こそうとして、できなかった。


後頭部から、何か温かいものが、首筋を伝っている。


――ああ、そうか。


俺は、理解した。


世界指定値は、書き換えられる。


だが、時間は書き換えていない。


俺が指定したのは「どの世界か」だけだ。「いつか」ではない。


だから、俺は――出発した瞬間に、戻ってきた。


縁石に頭を打った、その直後に。


死ぬ、五秒前に。



◇◇◇



視界が、狭くなり始めていた。


頭の中で、数字が勝手に走った。


――出血速度。頭部外傷。意識消失まで、およそ二十秒。


――脳挫傷の可能性、高い。


――救急車到着まで、この河川敷なら最短で八分。


――生存確率、二割を切る。


前世の俺なら、ここで終わっていた。


いや、実際に、終わっていた。


「……ふざけるな」


俺は、掠れた声で言った。


一年半、光を数えた。


四十一万本の縞を、数えた。


三・二キログラムの体重を、毎月測った。


それが全部、五秒後に死ぬためだったなんて話が、あってたまるか。


「――演算展開」


俺は、念じた。


反応が、あった。


頭の中に、あの見慣れた数値の羅列が、確かに浮かび上がった。


動く。


この世界でも、動く。


「……ははっ」


笑ってしまった。


世界指定値は書き換わった。だが、俺という数値の塊は、そのまま持ってきた。


演算展開は、俺の一部だ。だから、一緒に来た。


「――物体構築、応用」


俺は、自分の後頭部に、意識を集中させた。


ゼロの後ろ足を治した時と、同じことをやる。


骨は、単純だ。位置と角度と密度でできている。


難しいのは、その周りだ。血管の走り方、腱の張り、痛みの通り道。


だが、俺はあの時、骨だけを直して、あとは体に任せた。


今回も、同じでいい。


止めるべきは、出血だ。


破れた血管の、断面の位置。それを閉じる。


それだけでいい。あとは、体がやる。


「……ぐっ」


演算量は、大したことがなかった。


世界を跨ぐのに四億かかったのに比べれば、血管一本を閉じるのは、数百に過ぎない。


だが、俺の魔力は、ほとんど残っていなかった。


残量、九。


上限の、三パーセント。


「……足りるか」


俺は、目を閉じた。


血管の断面を、数値として捉える。


直径、およそ〇・八ミリ。


破れた長さ、三ミリ。


その三ミリを、閉じる。


――閉じろ。


温かいものが、首筋を伝うのが、止まった。


残量、二。


「……はぁ」


俺は、草の上に大の字になった。


空が、まだ青かった。



◇◇◇



「ねえ、おじさん、大丈夫!?」


顔の横に、影が落ちた。


小学生くらいの男の子が、二人。真っ青な顔をしていた。


片方の手に、赤いラジコンのコントローラー。


「……ああ」


俺は、答えた。


「大丈夫だ」


「ご、ごめんなさい! おれ、操作間違えて――」


「いいんだ」


俺は、ゆっくりと体を起こした。


まだ、くらくらした。だが、意識はあった。


「救急車、呼ぶ?」


「呼んでくれ」


俺は言った。


「一応な」


男の子が、慌ててスマートフォンを取り出した。


スマートフォン。


俺は、その板を、しばらく見つめていた。


二年ぶりに見る、前世の道具。


いや。


前世、ではない。


現世だ。


「……帰ってきたのか」


俺は、呟いた。


その時。


「クゥン」


草むらが、動いた。



◇◇◇



銀色の毛玉が、俺の膝に飛び乗ってきた。


「――ゼロ!」


男の子二人が、飛び上がった。


「うわっ、なにこれ!?」


「犬? キツネ?」


「キツネだ」


俺は、そいつを抱きしめた。


三・二キログラム。


二年間、毎月測ってきた重さ。


それが、確かに、腕の中にあった。


「クゥン、クゥン!」


ゼロは、必死に俺の顔を舐めていた。


血の匂いに、興奮しているらしい。


「……分かった、分かったから」


俺は、笑っていた。


声を出して、笑っていた。


「おじさん、そのキツネ、ペット?」


「そうだ」


俺は答えた。


「……なんか、変な色してる」


「珍しい種類なんだ」


「へえ!」


男の子は、あっさり納得した。


子供というのは、ありがたい。


大人だったら、この時点で警察を呼んでいる。



◇◇◇



救急車が来るまでの八分間、俺は草の上に座って、川を見ていた。


前世で――いや、この場所で、俺は毎週末、この道を歩いていた。


四十年、同じ景色を見てきた。


その景色が、今、まったく違って見えた。


「……ゼロ」


「クゥ?」


「ここが、俺の世界だ」


ゼロは、意味が分かっていない顔で、尻尾を振った。


「分かってないだろ」


「クゥン」


「分からなくていい」


俺は、そいつの頭を撫でた。


遠くで、サイレンが聞こえ始めた。


俺は、空を見上げた。


昼間の空には、星は見えない。


だが、この空の向こうのどこかに、あの塔が立っている世界がある。


十二桁のうち、四桁目まで同じで、五桁目から違う世界が。


レンが、まだ縞を数えている世界が。


「……あいつ、今頃、泣いてるかな」


俺は呟いた。


たぶん、泣いている。


そして、たぶん――泣きながら、第四部を書き始めている。



(第65話へ続く)


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