9.学園への潜入3
「誰だろうな、君は。おかしいな。僕が知らない女の子はいないはずだし、僕を知らない女の子もここにはいないのに」
女の子のようにもじもじと話す小太りのおじさんは白衣を着ていた。私は手足を拘束され、横になって口もタオルで抑えられている。
「僕のこと知ってる?」
どちらが正解なのだろう。頷くべきか、知らないと真実を述べるべきか。返答に困っているとぺろりと私の頬を舐めた。
「おいしい味がする。ミッシェルみたいだ」
そこでいなくなった女の子の名前が出てきたことにぞっとした。
「マーク先生はいいよね。かわいい子に好かれて。僕もそうしてほしくてみんなに催眠術をかけた。ミッシェルだけには効果がなくて。君はどうかな?」
微かに耳の奥で音がする。一定のノイズ。洗脳という言葉を聞いたことがある。抗わずに頭の中でひたすらライゾン様のことを考えた。
今叫んでも、そんなに届かないだろう。口に巻かれたタオルのせいでウーとしか発せないだろう。頭突きしか反抗できそうにないが、彼のほうが頭は硬そう。ハゲかかっているせいでおでこが広い。
「僕のこと好きになった?」
なるわけない。恐怖で失禁寸前。しちゃったほうが嫌ってくれるかもしれない。もっとひどいことをされそうになったらやってやろうと私は腹をくくった。
「心配しなくていいよ。君はずっと僕とここにいるんだ。ミッシェルはだめだったから」
脂ぎった頬を擦り付けて頭を撫でないで。そんなこと、私にしていいのはライゾン様だけよ。
こんな一方的に愛を向けられても恐怖でしかない。白衣を着ているということは科学や物理の先生なのか、学校の医師の役割なのか。どちらにしてもここが彼の部屋であるなら助けは来ない。思い出せ。ライゾン様と見たこの建物の構造を。教室と寮は別なのだ。私は今、どちらにいるのだろう。確か先生たちの中には寄宿舎の中に住んでいる人もいると聞いていた。薬品の匂いがかすかにする。医務室のようなところかもしれない。
「好きになったら殺さないよ」
ってことは、好きにならなかったら殺すということだ。まいったな。侵入者の私には友達もルームメイトもいない。つまるところ、私は学校内に存在しないのだからいなくなったとて、誰にも気づかれない。この潜入は失敗だ。
嘘をつくことは容易い。好きじゃなくても好きだと言えばいい。頭ではわかっているのに言葉にならない。
「失礼します」
ドアが開いて誰かが入って来た。
「誰?」
振り向きざま、白衣の男は吹っ飛ばされた。
「キリーナ?」
ライゾン様の声だ。
「んんー」
私はようやく声を発した。
「すまない」
拘束されている紐をほどいてくれる。
「ライゾン様」
子どもでよかった。こんなふうに抱き締めてもらえるから。
「遅くなった」
「大丈夫」
洗脳されなかったのはあなたのおかげ。
「すぐに警察が来る。ずらかろう」
ライゾン様が私の手を取る。
「でも私が証言しないと」
ミッションの死体がこの校内にあるのかもしれない。
「それは君とランチを食べていたあの子が代わりにしてくれるさ」
怖かった。学校から遠ざかってもまだ手が震えている。
馬車の中でもライゾン様にずっと引っ付いていたから、家に帰って気づく。私の髪はライゾン様の匂い。




