37.屋敷にて
夏だから暑い。そんなことに怒り狂うほど馬鹿じゃない。でも暑いからというだけ人を殴る人もいるし喧嘩も起こる。殺人まで。
一時はライゾン様に熱を上げていたお見合い相手が別の人と婚約が決まったと聞いてほっとしている。やはり釣り合いの取れた人というのがいる。家の付き合いもあるだろうし、食べ物ひとつとっても貴族と庶民では食材も行儀も異なる。
ライゾン様はいいとこの息子が殺してしまった事件の尻拭いをさせられていた。殺された相手が一般人かそれ以上だと面倒だから顔をぐちゃぐちゃにして身元を不明にする。
「きっとセオじゃないかな。そのあたりでいつも飲んだくれているから。喧嘩っ早い奴で、この間も…」
偽の証言者まで準備。そうやっていろんなことをうやむやにする。
悪い人なのだ。だからご令嬢と結婚するつもりはないらしい。しかし裏家業のために簡単に結婚しようとする考えにはなるかもしれない。体面を保つ、人を欺く、己さえ騙すために。
「最近じゃ、指紋で捜査をするらしい。人によって違うらしいぞ」
ごはんの最中にライゾン様がそう言うから私は自分の指に見入ってしまった。
「このぐるぐる?」
「触れたものに残るそうだ」
知らなかった。ライゾン様はいろんなことに詳しい。私は悪いことをしている彼に惹かれているわけではない。グラスに残った指紋を日に透かしてわかりやすくこの目に見せてくれる彼を偉大だと思っている。
「機械も発達しているしライゾン様のお仕事にも影響があるやもしれませんね」
車、写真、電話。科学や医学も進歩する。邪魔だ。正しさが私たちの生活に及ぼす影響を考えたくない。表の仕事だけでも生きてゆける? 裏の仕事はただの娯楽ですか? あなたのために私にできることはなんですか?
「ライゾン様、お食事中に申し訳ございません」
シャーロットさんが私たちに向かって一礼をする。
「ああ、時間だね。いってらっしゃい」
ライゾン様、私は何も聞いていませんよ。子どもは首をつっ込んじゃいけないことなのだろう。シャーロットさんはメイド兼私の教育係だから、関係が近すぎる。もしも悪い人だったら明日から私は彼女に近づけない。そういう厄介な性格をしているのだ。
スティーブさんも出かけている。みんな、それぞれに事情を抱えている。面倒な過去があるのが人間というものらしい。
だからライゾン様と皿洗い。
「こうしていると新婚みたいだな」
ライゾン様、そんなこと言って私に夢を見せないで。
「平民じゃあるまいし」
と笑うしかないじゃない。
「シャーロットは亡くなった夫の遺体を探しているんだ。病院で亡くなったらしいがその遺体が埋葬する前に忽然と消えた」
もう何年も前のことなのだろう。
「たまにシャーロットがいなくなるのはそういう理由だったのね」
「そろそろキリーナに話しておいてほしいと言われた」
いつまでも隠しておきたくないとシャーロットさんは思ってくれたのだろうか。
「ライゾン様はどう思いますの?」
「うーん」水で汚れを落とした皿をライゾン様が重ねる。私はそれを布で拭いた。「俺のような輩が、必要な死体に似ているから盗んだ」
そう平然と答えるあなたがやっぱり怖い。
「病院ぐるみだったらどこへ行ったのか探しようがないわね」
お医者さんでも悪い人がいる。職業や家名で人は信じない。医師が率先して悪いことをしている場合もある。薬を売るため、金持ちを生かすために貧しい人を殺す。
どうにもできなかったシャーロットさんが裏家業をしているライゾン様と出会えたのは縁か呪いか。
ライゾン様ったら、そんなにいろんな人の過去に囚われて疲れやしないのかしら。人を信じないことが自分を守る術なのだろう。この人を見ているとそう思う。私はね、そんなあなたを少し尊敬しています。
「お茶でも飲む?」
せめて私が癒してあげる。
「ああ」
使用人がいたらライゾン様は書斎で仕事をするのに私しかいないと目の届くリビングにいてくださる。私も部屋から本を持ってきてあなたの傍らでそれを読む。結ばれない恋愛小説なんて読みたくないのに、そんな本ばかりなのよ。シャーロットさんの趣味なのかしら。お姫様と王子様のおとぎ話よりはマシね。
ライゾン様が小さくため息をつく。あくびまで。こんなふうに同じ部屋であなたを眺めていられるの、あとどれくらい? 寿命がわからないようにそれも不明。しかしながら唐突に奪われることもある。どちらかが死んだりあなたが結婚してしまったら、私は自分の気持ちに蓋をするしかない。愛妾を持つことに不満のない妻だったら許しを請いたい。でもそれも、ライゾン様が首を縦に振らない。あなたにとって私はいつでも都合のいい駒だから。本の主人公の女の人は折角手に入れた愛に疑いを持つ。そんなことしなければいい。ライゾン様を好きなことが私の全てでいい。叶わぬ恋を諦める結末はきっと同じだろう。




