23.偽りのマリア5
手立てがないまま夜が更けてゆく。メイド長の部屋に明かりがつく。そこにいたとしてもマリアは薬で眠らされているかもしれない。子どもの私ではいくら女性でも大人の彼女を抱えて逃げることはできない。物理的な力も必要だわ。
好きな人を監禁したとしてひどいことをするかしら? 私だったらライゾン様を眺めるだけだわ。ということは、きっと彼女も大丈夫。
次の朝になると幾人かのメイドが腹痛から復帰した。しかし、私に配膳の役目が来る。一度しているからだろう。メイド長の部屋に数人分のごはんを運ぶなんておかしい。
器に蓋をされ、マリアがどれに手を付けるかはわからないから睡眠薬も入れられない。トレーの裏に手紙を忍ばせてもきっとメイド長に悟られる。
どうしようかしら。
「トントントン」
昨日と同じようにノックをする。
「朝食はそこに置いて立ち去りなさい」
昨日と同じだわ。
「はい」
トレーを置きながら昨晩の私が配膳したものは誰が下膳したのだろうと疑問が湧く。他にも協力者がいるのだろうか。
そろそろ日が昇る。もう祈るしかない。
迎えの馬車の足音がする。遅かったようね。ライゾン様、どうにもできなかったのかしら。もしくはここを出てから馬車を襲うつもりかもしれない。
屋敷で朝食の用意をしているとマリアがちゃんと自分で歩き、席の前に立った。
「奥様?」
メイドが頭を下げ、椅子を引く。
「具合が悪くて籠っていたの。みんなにも迷惑をかけたわね」
とマリアは微笑んで椅子に腰かけた。背後にへばりついているのはメイド長ね。
「そこの者は?」
と新入りの私に気づく。
「新しく入りましたメイドのエマです」
「あとで私の部屋に挨拶に来るように」
メイド長は厳しい目つきで私に命令する。
「はい」
それまでにとんずらしますけど。マリアさんが私に気づき、ふっと笑った。
生きていてよかった。
旦那様の姿が見えない。きっと馬車は旦那様の迎えだったのね。まるで私が来る前と変わらないいつもの朝の風景なのだろう。
マリアが朝食を取っている間に私は仕事そっちぬけで逃げるのみ。執事さんに親の具合が悪くなったと泣きついて屋敷を出た。私がいないほうがマリアのため。
しばらく歩くとライゾン様が馬で迎えに来てくれた。馬車よりも静かだからだろうか。彼の前に乗せてもらう。振動が結構激しい。
「疲れた。しかもあまり役に立たなくてごめんなさい」
と私は謝罪した。不甲斐ない。
「そんなことはない。腑に落ちないのだが、なぜか弟が正気に戻ったようだ。なにもできないからマリアだけは助けようと思って聞き耳を立てていてよかった。理由はわからないがこれで一件落着。子爵にもマリアから知らせがゆくだろう」
「朝、ひとつだけ具も何もないパンがひとつだけあったんです」
他のはクルミやオレンジピールが紛れていた。本物のマリアさんはそれを好むとあった。偽物のマリアがそれを忘れて自分の好きな物を選ぶリスクはあったが、彼女を信じた。小さなメモに義弟が幼いときにマリアさんを慕っていたことを匂わせた。
「それで彼女は言ったんだな。『仕方のないことですわ。結婚は家同士が決めること。あの湖であなたと話したことは全部胸の奥に』って」
義弟にはその言葉だけで充分だったようだ。私は言葉では足りない。愛の深さが違うのだろうか。
「私は彼女の夫が自分の弟に甘いことのほうが納得いかない。普通、弟より妻が大事でしょう?」
「弟の気持ちをずっと知っていたのかもな。結婚相手は弟の好きな人で、弟は家も継げない。哀れんで当然さ」
ライゾン様も確か家を継げなかったと聞いた。
「だからせめて彼の好きなようにって? これ、犯罪よ」
「みんな同情していたんだろう。そうでなかったらメイド長も味方にならんよ」
屋敷から遠ざかるとライゾン様がやっと大あくびをする。徹夜で動き回っていたのだろうか。
好きな人と結婚をして幸せになるとは限らない。本物のマリアさんがそうだった。偽物のマリアは偽りでない愛を手に入れたはずなのに、あとは夫次第かしら。若旦那様には弟よりも妻を信じてほしいが、その妻が偽物だとは気づかないでほしい。
馬の振動で体が揺れる。ねえライゾン様、私が子どもでなければこうして抱き締めてはくれないの?
好きじゃない人と結婚をして幸せな人もいる。私は、好きな人と結婚をしてその人を幸せにしてあげたいと思う。それが今、私の背中にいるあなたならいい。美しい朝焼けに向かって祈ることくらい許して。




