キラキラした女の子
管理局に来てからの生活は、怒涛だった。
気づいたら八罪管理局というよくわからない組織に連れてこられて、
検査だの説明だのが山ほどあって。
半魔としての能力の扱い方を教えられて。
途中の細かいことは、正直あまり覚えていない。
覚えているのは――。
「乙葉ちゃん、うまい!」
「すごい、こんなに食べて動けるんだ……!」
「筋いいね~」
みんなが笑ってくれたこと。
自分の食べるが、初めて肯定されたこと。
そして何より。
「よし、今日の訓練はここまで。乙葉ちゃん、晩ご飯一緒に食べよっか」
毎日のように、昴がそう言ってくれたこと。
食堂での食事は、いつも誰かと一緒だった。
昴と、他の局員たちと、たまにやってくる小さな女の子と。
笑い声のあるご飯は、本当に美味しくて。
乙葉は、毎日胸の中で何度も何度も「ありがとう」と繰り返した。
そのうち、乙葉は気づいた。
自分の目も、心も、ずっと昴を追いかけていることに。
訓練で昴の指導を受けるとき。褒められたとき。
さりげなくフォローされたとき。
嬉しくて、悔しくて、もっと見てほしくて。
絶対、釣り合ってないよね。なんて思ってしまう。
鏡を見るたび、現実に引き戻される。
ふわふわの頬。丸いお腹。むっちりした太腿。
乙葉が可愛いと思う女の子のイメージとは、ちょっとずれている。
隣に立つ昴は、どこからどう見ても絵になる女の子で。
ときどき同じ制服を着て訓練する日なんかは、ちゃんと女子高生って感じなのに、乙葉だけクラスの端っこにいるちょっとぽちゃっとした子感が出てしまう。
昴の笑顔を見ていると、そんなことどうでもよくなった。
自分なんか隣に立つ資格ない、って頭ではわかっているのに、心のどこかでは一緒にいたいと願ってしまう。
この矛盾が、乙葉の毎日を甘く苦く染めていた。
そんな乙葉の前に、もう一人の大事な存在が現れたのは、管理局に来て少し経った頃だった。
「……はじめまして」
真っ白な廊下の角を曲がったところで、小さな女の子が立っていた。
黒い髪。薄い表情。感情の読めない瞳。
背丈は乙葉の胸くらい。見た目年齢は乙葉と同じくらい――でも、どこか子どもっぽく見える。
「えっと、こんにちは」
「あなたが……乙葉?」
「う、うん。そうです。満服乙葉です」
「……ふーん」
値踏みするみたいな視線を向けられて、乙葉はちょっとだけ縮こまる。
そのとき。
「おー、珠洲ちゃんいたいた」
後ろから、聞き慣れた声がした。
「昴!」
さっきまで氷みたいに冷たかった空気が、一瞬で変わる。
小さな女の子――珠洲、と呼ばれた子は、ぱっと顔を明るくして昴に飛びついた。
「おかえり」
「ただいま」
昴が、いつもの優しい笑顔でその子を抱きしめる。
当たり前みたいな動作に、乙葉の胸がちくりと痛んだ。
「珠洲ちゃん、この子がさっき言ってた暴食の新人さん。満服乙葉ちゃん」
「……」
珠洲は、昴の腕の中からじっと乙葉を見る。
敵意、というほど強いものではない。
でも、どこか警戒している視線。
「よろしくね、珠洲ちゃん」
「……よろしく」
口ではそう言いながらも、珠洲は昴の袖をぎゅっと掴んだまま離さない。
それから、当たり前のように昴の腕に頬を擦り寄せる。
乙葉は、その仕草を見て理解した。
――あ、この子、昴のことが大好きなんだ。
それはもう、恋とかそういう言葉を使う前のレベルで。
呼吸するみたいに当然の、好き。
そこに気づいてしまったら、乙葉の中に生まれた感情は二つだった。
一つは、ちょっとした嫉妬。
自分にはあんなふうに甘えられない、という羨ましさ。
そしてもう一つは――うん、いい子だなぁ。
素直に、そう思った。
珠洲は、乙葉に意地悪をするわけでもなく。
昴の前で変な嫌味を言うわけでもなく。
ただただ、昴の隣にいる時間を必死に守っているだけだった。
訓練で乙葉と昴が二人きりになるときは、
つまらなそうに廊下で待っていることはあっても、邪魔をしてくることはない。
昴が乙葉を褒めると、珠洲はちょっとむっとする。
でも、その後こっそり「……がんばってるとは、思う」と小さく付け足してくれる。
どうしたって、嫌いになんてなれなかった。
そりゃあ、こんな子に好かれてたら、昴も嬉しいよね。
そう思うと、胸がじんと暖かくなって、それと同時に苦しくもなった。
自分は、どこまでいっても後から割り込んできた奴だ。
昴と過ごしてきた時間の長さでは、絶対に珠洲に勝てない。
それでも――
ご飯のテーブルで笑う昴を見ていると、
隣で眠そうに目をこする珠洲を見ていると、少しくらい欲張ってもいい、かな。
そんな、わがままな気持ちが、どうしても消えてくれなかった。
その日、昴は任務で出ていた。
夕食後の談話スペースは、いつもより少し静かだった。
ソファがいくつか置かれていて、自販機の光だけがぼんやり灯っている。
乙葉は、ホットココアを握りしめながら、ひとりでぼんやりしていた。
「……」
そこに、足音もなく誰かが近づいてくる。
「乙葉」
「わ、珠洲ちゃん」
振り向くと、パジャマ姿の珠洲が立っていた。
手には、小さなブランケットを抱えている。
「こんな時間まで起きてたら、昴に怒られない?」
「……今日は、昴いないから」
その言い方が、いつもより少しだけ不機嫌そうで、乙葉は苦笑した。
「眠れないの?」
「……」
珠洲は答えずに、乙葉の隣にすとんと座った。
ブランケットを膝に乗せて、ぎゅっと握りしめる。
横顔は、いつも通り無表情に近い。
でも、薄い唇がわずかに結ばれているのがわかった。
「ココア飲む?」
「……いらない。太る」
「う、うぐっ」
図星すぎて乙葉は胸を押さえた。
「でも、乙葉はそれでいい。可愛いから」
「え……」
さらっと言われて、乙葉は固まる。
珠洲は視線をココアの紙コップに落としたまま、小さく続ける。
「……昴もそう言ってた。ぽやぽやしてて、可愛いって」
「そ、そうなの?」
「うん」
心臓が、また大きく跳ねた。
昴の言葉を、珠洲経由で聞かされるのは、なんだか不思議な気分だ。
「珠洲ちゃんは……すごいよね」
「何が」
「昴と、ずっと一緒にいたんでしょ? 子どもの頃から」
「……うん」
そこで、珠洲の指がきゅっとブランケットを握りしめる。
「今も、一緒に寝てる」
「え?」
「昴の部屋で。四日間は、絶対一緒。残りの日は、ママに言われたから帰ってるだけ」
どこか、誇らしげな声音だった。
その気持ちは、わかってしまう。
自分だけが知っている距離。
自分だけが持っている時間。
それは、誰にも譲りたくない宝物だ。
「……すごいね。羨ましいなぁ」
正直な本音をこぼしたら、珠洲はちらりとこちらを見た。
「乙葉は?」
「え?」
「昴と、どういうふうに一緒にいたいの?」
突然の直球に、乙葉はココアを危うく吹き出しそうになる。
「ど、どうって……そ、そりゃあ、一緒にご飯食べたり、とか」
「それだけ?」
「い、一緒にお出かけしたり、映画見たり……えっと……」
段々声が小さくなっていく。
乙葉は、自分の耳まで熱くなっているのを自覚していた。
「手、繋いだり……抱きしめてもらったり……」
「キスは?」
「っ!?!?」
珠洲の無表情な顔で放たれた一言に、乙葉は椅子ごとひっくり返りそうになった。
「な、なんで急にそんなこと聞くの!?」
「だって、乙葉は昴が好き」
さらっと断言された。
「ずっと、見てた。食堂で、訓練場で、廊下で。乙葉は、昴を目で追ってる。昴も、たまに乙葉を見る」
「う、うぅ……」
指摘されると、逃げ場がない。
珠洲は、少しだけ目を細めた。
「……だから、嫌いになれない」
「え?」
「乙葉、いい子だから。昴が好きになるの、わかるから」
その言葉は、予想していたものとはまるで違って。
乙葉は一瞬、何も返せなくなった。
「嫌いになれたら、楽」
ぽつりとつぶやく珠洲の声は、珍しくかすかに震えているように聞こえた。
「本当は、嫌いになりたい。邪魔って、思いたい。でも……昴が笑う顔、見ちゃったから」
「……」
「乙葉がいるときの昴、楽しそう。それ見ると、胸がきゅってなるけど……でも、嬉しい」
言葉の端々が、痛いほど真っ直ぐだった。
この子も、きっとずっと孤独だったのだろう。
昴という光を見つけて、そこに全てを預けて生きてきたのだろう。
乙葉は、そっと息を吸い込んだ。
「……ごめんね」
「なんで謝るの?」
「珠洲ちゃんの大事な人、取ろうとしてるから、かな」
「取らせない」
即答だった。
乙葉は思わず笑ってしまう。
「だよねぇ」
「死んだっていいから、取られたくない」
その一言だけは、笑えなかった。
珠洲の横顔は、いつもと同じように無表情に見えるのに。
その瞳の奥に、底なしの色が渦を巻いている気がした。
怖い――と、一瞬思った。
でも、それ以上に。あ、同じだ、そう思った。
自分も、きっと同じくらいの熱量で昴を好きになってしまっているのだと理解して、苦笑した。
沈黙が、一瞬だけ二人のあいだを漂う。
やがて、珠洲が口を開いた。
「……乙葉」
「なに?」
「乙葉が……昴のこと、どれくらい知ってるのか、気になった」
「どれくらいって……」
好きな食べ物とか、甘いものが好きとか、仕事中はちゃんとしてるけど、部屋はたまに散らかしっぱなしとか、そういう断片ならいくつか出てくる。
「昴ってさ、すごい人でしょ」
「うん。すごい」
「強くて、優しくて、誰よりもみんなのこと考えてて。なのに、自分のことになると残念」
「ふふ、それは否定できないかも」
「でもね、昴と乙葉の生きる時間は違うんだよ」
珠洲は、ブランケットをぎゅっと握りしめたまま、ぽつりと言った。
「昴は老いないんだって」
「え?」
乙葉は、思わず姿勢を正す。
珠洲がこんなに喋るのは、珍しい。
しかも、昴の話となれば、聞き逃したくなかった。
「昴、今いくつに見える?」
「え、同い年でしょ? 16歳」
「見た目はね」
そこで、珠洲は一度唇を噛んだ。
ほんの一瞬だけ、迷うような色が浮かぶ。
「……でも、本当は違う」
「え?」
「昴は八罪管理局の局長。しかも、ずっとずっと珠洲達が生まれる前から」
乙葉は、言葉を失った。
「……え?」
「初代局長のときから、一緒にいた。みんな言ってる。99年とか、2000年とか、そのへん。よくわかんないけど。昴はずっとあのまま。老いてない」
頭が追いつかない。
今の年号と、珠洲の言葉と、昴の姿が、ばらばらに浮かんでは弾けていく。
「ちょ、ちょっと待って。だって、それじゃあ……」
「昴の体は老いないんだって。乙女の秘密って言ってるけど」
乙葉の手が、ココアの紙コップを強く握りしめる。
ぺこりと、変形する。
「でも珠洲は、昴と同じ時間を生きられる。深化を極めれば肉体の成長を止められる。どう? 羨ましい?」
乙葉の胸に、複雑な感情が渦を巻く。
だが言い終えた後、珠洲の肩がびくりと震えた。
「……あ」
ようやく、自分が何を口にしたのか理解したらしい。
顔から血の気が引いていくのが、見て取れた。
「……い、今の、なし」
「いや、なしにはできないよね?」
「忘れて」
「無理だよね?」
「昴に言ったら、殺される……」
珠洲はブランケットを頭からかぶって、ちいさく丸くなった。
「珠洲、今、昴の一番大事な秘密、絶対言うなって」
声がどんどん掠れていく。
いつもの落ち着いた珠洲の姿は、どこにもない。
乙葉は、そんな珠洲をしばらく見つめてから、そっと手を伸ばした。
ちいさな体を、ぎゅっと抱きしめる。
「……え?」
「大丈夫だよ」
乙葉は、できるだけ穏やかな声で言った。
「昴には、言わない。今のことも、秘密にしとく」
「……でも」
「それに――」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「羨ましくなんかないよ? 私は私なりの方法で同じ時間を生きられるようにすれば良いだけだから」
「……」
「昴が老いないでずっといるなら、私も昴と永遠にご飯食べたいもん。珠洲ちゃんも仲間に入れてあげようか?」
乙葉は、ニヤリと笑いながら珠洲の体を抱き寄せる腕に、少しだけ力を込めた。
「それに人を好きになるのに時間は必要ないんじゃない?」
「どう言うこと」
「昴が珠洲ちゃんじゃなくて、私を好きになるかもしれないでしょ?」
乙葉は昴が好き。それは揺るがない。
「もしかしたら2人とも好きになっちゃうかもね。私はそれでも良いよ珠洲ちゃん可愛いし」
珠洲は、しばらく黙っていた。
乙葉の胸に額を押しつけたまま、じっと何かを噛みしめているようだった。
やがて、小さな声が落ちてくる。
「……やっぱり、嫌いになれない」
「え?」
「乙葉、ずるい。優しいし、美味しいもの作るし、珠洲のことも見てくれる。嫌いになれたら、楽なのに」
「ふふ……ごめん?」
「謝らないで」
珠洲は、そう言って、乙葉のパジャマの裾をぎゅっと掴んだ。
「……私が先だから」
「うん」
「1番は、譲らないから」
「うん」
「でも……2番は、あげてもいい」
「順番で譲るんだ……」
思わず笑ってしまった。
それでも、その2番が、乙葉にはたまらなく愛おしかった。
でも――。
「ごめんね1番は私だから、2番をあげるね」
「……負けない。後昴には正直に話す。」
「分かった。珠洲ちゃんは良い子だから、嘘つけないもんね」
乙葉は、ベッドの上で眠りにつく直前微睡みながら考えていた。
人生を何周したって、自分は昴を好きになる。だから不老如きで嫌いになったりしない。
乙葉は、そう思いながら静かに目を閉じた。
それに、能力次第で同じ時を生きることができる可能性がある。
それがどうしようもなく、嬉しかった。
不老に進んでなりたいとか、素質ありすぎ




