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めっちゃ痛い

 珠洲ちゃんは、両親と寝る日だった。


 本人的には、まっっったく納得してなさそうだけど。


「珠洲、ほら。今日はこっちの部屋で寝る約束だったろ?」


 廊下の向こうから竜司さんの声が聞こえてきて、数秒後、私の部屋のドアがこんこんと叩かれた。


「……やだ」


 開いた隙間から顔だけ覗かせた珠洲ちゃんが、露骨に不機嫌そうな顔をしている。いつも通りの無表情なんだけど、長年の観察の結果、私はそういうのがわかるようになってしまった。目の端の角度とか、呼吸の深さとか、微妙な沈黙の長さとか。


(この子、ほんとにわかりやすいよね)


《お前が異常に観察しすぎなだけじゃねぇの》


(師匠業は観察から始まるんだよ、ポン吉くん)


 私はベッドの上に座って、手招きした。


「珠洲ちゃん、こっちおいで」


 珠洲ちゃんは、ちょっとだけ迷った後、すたすたと私のベッドまで来て、そのまま私に抱きついてきた。勢い、いつもより二割増しくらい。


 胸元にぐいっと顔を押し付けてくる。


「昴の部屋で寝る」


「今日はダメって言われてるでしょ?」


「……どうして」


 小さな声。強い感情を押し込めてるときのやつ。


 私は苦笑して、珠洲ちゃんの頭を撫でる。能力で作った腕でも、体温はちゃんとある。触覚もある。だから、こうして抱きしめることだってできる。


「ずっとこっちにいるとね、紅葉さんが寂しがるから」


「……ママ、平気」


「平気じゃないよ。今日廊下で会ったとき、めっちゃ娘成分足りてません顔してたもん」


 珠洲ちゃんが、私の服をぎゅっと掴む。


「珠洲は、足りてない」


「何が?」


「昴、成分」


(可愛いな、この生き物)


《デレデレすんな。推し負けてるぞ》


(してないしてない。いつもとおんなじだから)


 私は一度、珠洲ちゃんの肩を持って、顔を見た。


「じゃあさ」


「……?」


「明日は訓練、いつもより長めに付き合ってあげる。今日の分までぎゅーって抱きしめてあげる。だから今夜は、ちゃんとお父さんとお母さんのところに帰って」


 珠洲ちゃんの目が、じっと私を射抜く。あの、何考えてるか一見わからない瞳。中身はわりと恋愛脳なんだけど。


「……一緒に寝れば、全部解決」


「なにその暴論」


「ぜんぶ、解決」


 淡々と繰り返すな。可愛いな。いや、甘やかしちゃダメなんだってば。


 廊下から、竜司さんのため息が聞こえた。


「珠洲ー。局長困らせんなー。今日は父さんと母さんと一緒に寝る日だろ?」


「……約束、守らなくていい」


「さりげなく親との信頼関係ぶっ壊そうとするのやめよ?」


 私は笑いながら、珠洲ちゃんの頬を両手でむにっと挟んだ。指先にはちゃんと柔らかい感触がある。うん、幻肢でもこのくらいの精度は出せる。


「ね、珠洲ちゃん」


「……」


「私、ちゃんと帰ってきたでしょ?」


 その一言で、珠洲ちゃんの瞳が、わずかに揺れた。


 今日、あの子は本気で私のことを心配してた。部屋の温度を下げるほど、不安と憂鬱を垂れ流しにして。


 それを思い出したら、ちょっと胸が痛くなる。


「もういなくならない?」


「それは、ごめん。約束できない」


 私は正直に言う。


「だって、私の仕事ってそういうやつだから。危ないところに行って、危ない目に遭って、なんとかして帰ってくるやつ」


「……やだ」


「でも、帰ってくる。何があっても。私、しぶといからね」


(手足なくなっても帰ってくるくらいにはね)


《ドヤ顔するポイントそこか?》


 私は珠洲ちゃんの額に自分の額をこつんとくっつけた。


「だから珠洲ちゃんは、信じて待ってて」


「……」


「信じてくれなかったの? って、言いたくないからさ」


 その言葉に、珠洲ちゃんの喉が小さく鳴る。ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。


「……困る」


「でしょ」


「……信じる」


 やっと出てきた小さな声に、私は微笑む。


「よろしい」


 頭をぽんぽん叩いて、そっと腕を離した。


「じゃあ、ほら。今日は紅葉さんとこ行っておいで。私がちゃんと生きてるって、報告して」


「……」


 珠洲ちゃんはまだ不満そうで、名残惜しそうで、でもゆっくりと頷いた。


 そして、最後にもういっかいだけ、ぎゅーっと抱きついてくる。


「……昴」


「ん?」


「いつか、わからせる」


 小さすぎて、聞き逃してもおかしくないくらいの声。


 でも、耳の良さにはちょっと自信がある。


(……何を?)


 問い返そうとしたときには、珠洲ちゃんはもう私から離れていた。


 無表情を装って、でもちょっと耳を赤くしながらドアの方へ歩いていく。


「じゃあ、おやすみ」


「うん。おやすみ、珠洲ちゃん。また明日ね」


 私は手を振る。珠洲ちゃんは、振り返らない。けど、ドアのところで一瞬だけ足を止めた。


 その背中を、竜司さんが優しく押す。


「行くぞ」


「うん」


 小さな返事とともに、扉が閉まった。


 部屋に静寂が戻る。


 私は、ふうっと長く息を吐いた。


(……はぁ。可愛いな)


《はいはい。完全に親の顔でしたね今の》


(親じゃない。恋人候補)


《現状の立ち位置、どう見ても母親、良くて憧れのお姉ちゃんだろ》


(そこから巻き返すのが、恋愛ゲーム的醍醐味では?)


《珠洲をギャルゲーヒロインにすんな》


 私は苦笑しながら、ベッドにごろんと仰向けに倒れた。


 幻の手足は、そのまま。


 ――で、いるのもめっちゃしんどいんだけど。


「……はぁ」


 天井を見つめながら、私はひとつ決心する。


(ポン吉)


《ん》


(ちょっと切るね)


《おう》


 意識を集中させる。虚な複製品(ホロウレプリカ)で作り出している四肢への出力を、ゆっくり絞っていく。


 まず、足先から。


 つま先、足の甲、ふくらはぎ、膝、太もも――輪郭が薄れ、輪郭が光になり、やがてすっと消える。


 次に腕も。指先、手のひら、手首、肘、二の腕――同じように解けていく。


 視界の端で、自分の体が「欠けていく」のが見える。


 何度見ても、ちょっと胃がぞわっとする光景だ。


 しかし、その直後。


「っ、く」


 切断面から、じかに何かが噴き出すような痛みが襲ってきた。


 思わず息が詰まる。


 喉の奥に、声にならない悲鳴がせり上がってくる。


(いって、いっていっていっていって……!)


《深呼吸して、意識を別のことにそらしてみろ》


 肺が縮むみたいに苦しい。でも、私は言われた通りに何度か深呼吸した。


 吸って、吐いて。


 吸って、吐いて。


 痛みそのものは消えない。ただ、身体がそれに少しずつ慣れていく。


「……ってか」


 私は額に浮かんだ汗を、なんとか残っている肩でシーツに擦り付けながら言った。


(肩と脚やばい痛いんですけど。切られた痛み、新鮮そのものなんですけど)


《鮮度抜群。しかも長期保存可能。何て素晴らしいんでしょう》


(冷蔵庫か何かですか? 人体を冷蔵庫感覚で語るな)


《まあ冗談は置いといて》


(痛いのは冗談じゃないですー)


 本気で泣く五秒前だよ、これ。


 身体があるときより、ないときの方が痛みが鮮明ってどういう理屈? 痛覚の回路仕事しすぎじゃない?


 私はシーツを噛みしめながら、じわじわ続く痛みに耐えた。


 この痛みは、永遠に続く。時間と共に慣れていくだろうけど、 治ることはない。


 だって、そういう代償だから。


《……奴の言ってたこと、覚えてるか?》


 ポン吉が、少し真面目な声になった。


(なにが?)


《シナリオ崩れてるって話さ》


「ああ」


 あのピエロ仮面。シナリオ、シナリオとうるさかったやつ。


(あれね。半信半疑でやってきたけど……)


 私は天井の一点を見つめる。


(間違ってなかったって、証明できちゃったな)


 奴の言うシナリオとやら。


 奴が言うには、本来の流れから大きく外れているらしい。


 私から言わせれば――それはつまり、前の世界から外れているということだ。


《実際、この世界のお前は半魔にならず救えたしな》


(それな)


 私は、六歳の自分を思い出す。


 あのアパート。あの父さん。あの母さん。


 私が知っている生活は、そこにはなかった。


 父さんは生きていた。十歳の私は、ただの人間だった。半魔の気配なんて、どこにもない。


 あれはもう、決定的な証拠だ。


(タイムスリップは成功してる。過去は、ちゃんと変わった)


 変えた。


 私が。


 前の世界では救えなかったものを、一つずつ救っている。


 でもそれは、あの地獄の未来が訪れない証拠にはならない。


(ハッピーエンドの確定事項にはなり得ない)


《それはそうだけど、頑張ってきた意味はあっただろ?》


(まぁね。伊達に60年頑張って無いからね)


 私は苦笑した。


 《で、これからの方針は?》


 私は、痛みに慣れてきた頭で、ゆっくりと言葉を繋いだ。


(これからの方針は――みんなをもっと強くする。それと)


《乙葉を仲間に入れる》


(そう。それが最優先)


 口にした瞬間、胸の奥がきゅぅっと締め付けられる。


 乙葉ちゃん。


 前の世界で、私よりずっとヒーローだった子。


 私が守れなかった子。


(約60年モノの恋とか、気持ち悪いって言いたいんでしょ?)


《よくわかったな。ほんと気持ち悪いな》


(言った! こいつ素で言いやがった!)


《いやだってさ、60年前から、生まれてくる前から好きとか普通にホラーじゃね?》


(純愛ぞ?)


《純愛とストーカーは紙一重なんだよなぁ》


(うるさいなぁ。私は乙葉ちゃんにストーキングなんてしません。正々堂々、真正面から落としに行きます)


《表現がもうハンター》


 私はちょっと笑って、少しだけ目を閉じる。


 乙葉の顔を思い浮かべる。前の世界で、最後に見た姿。


 血だらけで、それでも私を責めなくて、私の言葉を信じた子。


(今度こそ、あの子を救う。そのためなら、手足なくなるくらい安い)


《いや、もうねぇし》


(まあ、そうなんだけど)


 めっちゃ痛いし。


《んで、本題戻るけどよ》


(うん)


《鍛えるっつってもさ、この調子で行けば前回と同じか、それ以上はもう確定してるだろ? 根倉も烈志も、いろはも誇も、依里も珠洲も。すでに戦力的にはかなりマシなはずだ》


(そうだね。でも同じじゃダメなんだよ)


 私は天井を指で――いや、肩で示すみたいな気持ちで見上げた。


(前回と同じくらいじゃ、タイムスリップの意味ないじゃん。目指すは圧倒的な勝利)


《また派手なやつを》


(もちろん、その先にあるのは)


 私はにやりと笑う。


(ハッピーエンドよ)


《軽いノリで言うなぁ》


(いいじゃん。どうせもう、バッドエンドの分は前の世界で払ってきたんだし)


 十分すぎるくらいに。


《……で、教育方針は? 具体的にどう鍛えるよ》


(そこ、ちゃんと考えてるのが私のえらいところでして)


《自分で言うか》


(そうだよ? 私偉いもん。んで根倉きゅんはね)


 私は指折り――のつもりで、空中に小さく数字を描いた。幻肢を出せば本当に指も出せるけど、今は出力を抑えたい。


(根倉きゅんはこのまま地力伸ばしてもらう。あの人はベースの頭の良さが異常だから、あんまり私が口出ししすぎない方がいい。ヒントだけ投げて、自分で組み立ててもらう)


《放っておいても勝手に強くなるタイプだな》


(そうそう。次、セクハラ野郎)


《正式名称:赤城烈志》


(はい。あいつはねー)


 思い浮かべるだけで、頭の中に「うおおおお!」って脳筋ボイスが響いてくる。


(まず、かすめ手に慣れてもらう。真正面から殴り合うのは得意だけど、罠を見分けるとか、フェイントとかが壊滅的に下手だから)


《あー、確かに。全部フルスイングだからな》


(そ、火力は十分以上あるんだけどね。当たらなければ意味ないから。それに、守るためならいくらでも自分削るから、その辺のバランス調整も必要なんだけど)


《本人絶対聞かねぇだろうな》


(知ってる)


 でも、言うのをやめる気もない。気づくまで殴ればいいのだ。


(灯ちゃんは)


《お、出た。暴走機関車》


(最高火力を、安定して出せるようにすること。彼女の火力は随一だけど、日によっては全然ダメな日もあって安定感がまるでないからね)


《出力と制御の両立ってやつか》


(うん。灯ちゃんの能力はマジで規格外だから、ちゃんと鍛えれば原罪魔群の一角を落とすくらいにはなれる)


《物騒な評価だな》


(褒めてる褒めてる)


 私は少しだけ体を横にずらした。手足がないからバランス取りづらい。シーツに沈む身体が、いつもより重く感じる。


(いろはさんは、例のモノマネをマスターしてもらう)


《あー。あれな》


(前の世界では、根倉さんの能力コピーしてたけど。今回もしてくれれば単純に根倉さん2人になってめっちゃ強いよね)


《しかも一緒に訓練することで、お互いの精神を安定し合えると言う》


(そうそう。いろはさん、素のスペック高いから頑張れば根倉さんに劣らないと思うんだよね)


《キューピット作戦だな》


(誇くんは)


 そこまで言って、一瞬だけ言葉が止まった。


 誇。依里の兄。前の世界で調子に乗って喰われた人。


(誇くんは、もっと自分の力の使い方覚えてもらって)


《自分の限界も見極めてもろて》


(そう。あの人敵との力量も計れず死ぬタイプだから。ってか死んだし? 限界知って超えてもらわんと)


《妹関連になるとポンコツになるのも何とかしねぇとな》


(それは別にいいや。勝手に乳繰り合えばいいよ)


《危ねぇ思想だな》


(依里ちゃんは……もっともっと誇くんに依存してもらって)


《ほら出た!》


(だって、依里ちゃんの能力の源は誇くんなわけだからさ。もっともっと依存して昇化なり深化なり身につけて貰えばいいんじゃね?)


《それ、結果的に兄妹共依存を推奨してない?》


(してますが何か? まぁ、手を出すのは高校くらいになってからにしてほしいけどさ)


《生々しすぎる!》


 私は少し笑ってから、最後の名前を思い浮かべた。


(で、珠洲ちゃんは)


《これは、親バカなパターン》


(今のままで最強無敵に可愛いからなぁ)


《はい出ましたー》


 ポン吉の呆れ声が脳内に響く。


《おかしな評価だなぁ。戦闘評価の中に可愛いなんてあったか?》


(重要なパラメータでしょ?)


《戦力表に可愛いの列作るな》


(珠洲ちゃんはね、強さ的にもほんともう最強クラスなんだよ。あとは精神面で変な方向に曲がらなきゃ大丈夫)


《折れかけてたけどな、さっき》


(あれはしゃーない)


 私は天井を見つめながら、ぽつりと呟いた。


(折れかけたら、抱きしめて、撫でて、話を聞いて、それでもダメなら。私に溺れさせてあげる)


《お前、たまにガチで怖いこと言うよな》


(褒め言葉として受け取っとく)


《で、さ。珠洲に関してはやっぱ親バカ過ぎねぇ?》


(親じゃない!)


 即答だ。


(恋人になるんだもん!)


《無理だろ。どう見てもお母さんだいすきの距離感だぞ》


(だよねー。圧倒的ママみが顔を出してしまう罪な女)


 そうとしか捉えられないんだよね、残念なことに。


《そこは認めるんだな》

 

(ここから巻き返しは?)


《ないね》


(ポンえもーーーん、そんなこと言わずに何とかしてよー)


《ないね》


(冷たっ!)


 私はシーツに顔を擦り付けて、布団を噛みそうになるのをぐっとこらえた。


 こんな体勢で暴れたら、切断面がまた変に擦れて余計痛い。


(……にしてもさ)


《ん?》


(早く乙葉に会いたいね)


《ほんとそればっかだなお前》

 


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