第70話
俺は寄り道せず魔王国を出た。
感情に任せて仮面を投げ捨てようとしたものの、結局は顔から外してバッグに押し込んだ。大勢殺したあげくにポイ捨ての罪を重ねることは憚られた。
黙々と土の地面を踏みしめる。
疲れてはそこら辺に腰を下ろして、飲み食いしたらまた歩く。
どこに向かうとか、そんな考えは一切ない。魔王国という罪の象徴みたいな場所から一刻も早く遠ざかりたい。
あるいは、俺の罪業を直視させられるからこうして逃げているのか。
だって俺はリティアに謝らなかった。
どんな顔をして真実を伝えればいいのか俺には分からなかった。あのあどけなさを残した顔がどんな表情を浮かべるのか、想像しただけで胸が苦しくなった。
だから歩いた。足が悲鳴を上げても昼夜問わず足を前に出し続けた。
やがてリュックに詰めた飲食物がなくなった。
いまだ拠点となる場所にはたどり着いていない。
野垂れ死ぬならそれでもよかった。虐殺の片棒を担いでおいて、自分一人だけがのうのうと生きるなんて許されない。ここで死ぬならそれも運命だ。
そう思っていたのに、俺は死に物ぐるいで水を探している。
喉が貼りついたような感覚をどうにかしたい。そんな思考も生存本能に塗り潰されて彼方に消えた。
水、水、水!
どこにある、何でないんだ!
あるはずだろどこかに泉や湖が! 意地悪して隠すんじゃない!
鉛のように重くなった足を全力稼働させる。
転びそうになりながら手足を振っているとポチャンと希望が聞こえた。
口角を跳ね上げて走った先には湖があった。
すぐに駆け寄って両手を突っ込んだ。手の平で皿を作って水をすくい上げる。
こぼれる⁉ 命の液体がこぼれ落ちていく!
すぐに口をつけた。一滴でも多く吸うべく必死になって吸い上げる。
うるおった。
体の隅々まで、とどこおりなく。
安堵と満足の息をついてぼーっとする。
頭が冷えてから変な笑いが出た。
あれだけ死ぬべきだと確信していたのに、気づけば俺は生にしがみついている。自分がこっけいで仕方ない。
浅ましい。
恥ずかしい。
誰か俺を消してくれ。自分じゃ消えられないんだ。どうしても生きることをあきらめられないんだ。
頼む、頼むよ。一人うつむいて天に祈る。
ひたすらに祈っていると場の空気が変わった。
誰かが俺を見ている。一人、いや複数か。
どうでもいいや。俺を終わらせてくれるなら人間魔族、獣だろうが何でもいい。
目を閉じてその時を待つ。
いつまで経っても仕掛けてこない。警戒されているのか。
だったらこれはどうだ。
「よっと」
体を後ろに倒して大の字に寝た。
これで隙だらけだ。さあやれよ。
……やってくれよ。
足音が迫る。
俺はそっとまぶたを開けた。
「おい人間、そこで何をしている」
金髪の人型が立っている。
数は五人ほどか。緑をベースにした衣装を身にまとっているけど普通の人間じゃない。とがった耳を見るにエルフか何かか。
子供の頃に魔法を教えてくれた先生を思い出す。
あの人は今どうしているんだろうか。
俺が知る必要はないな。
「見ての通りです。寝そべっています」
「ここは我らエルフの土地だ。それを知っての狼藉か」
俺は体を起こしてエルフたちに向き直る。
「それは知りませんでした。謝ります」
「謝ってすむ問題ではないぞ人間。本来なら警告なしに頭を射抜かれていてもおかしくない所業だ。分かっているのか?」
だったらさっさと射抜いてくれればよかったんだ。何でチャンスなんかくれるんだよ。
そんなことされたら、俺はまた生きることを選んでしまうじゃないか。
「ねえ、もしかしてカムル君?」
一人のエルフが前に出る。
女性だ。外見年齢は近しいものがあるけど相手はエルフ。俺の数倍は生きていても不思議はない。
若々しいその姿が記憶と重なって目を見開く。
「レイシア、先生」
見間違いようもない。ニーゲライテ領にいた頃の恩師がそこにいた。




