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重なる想い

  

 旅姿から着替え終わった後、夕食を摂ってから湯浴みし、そしてあてがわれている部屋で休むことにした。


「ふぅ……」


 馬に乗ることも遠くへ行くことも慣れているが、それでも長旅だったので疲れは身体に溜まっているようだ。


 久しぶりの柔らかいベッドに身体を埋めながら、アイラが深く息を吐いていると、部屋の扉を叩く音が聞こえたため、すぐに身を起こした。


「はい、どなたでしょうか」


 イグリスは護衛だが、常に傍に居るわけではない。特に身体が疲れている今日は部屋を別にしてもらっていた。


「俺だ」


「っ! え、リオン様っ……?」


 アイラはベッドから飛び降りて、すぐに扉まで駆けて行く。扉を開けば、同じように夜着に着替えているリオンがいた。


「ど、どうなさったのですか……?」


 訪ねて来たリオンにアイラは少しだけ、驚いた表情で言葉を返してしまう。ちらりと廊下へ視線を向けたが、彼以外には誰もいないようだ。


「部屋に入ってもいいか? ……イグリスにはちゃんと入室許可は取ってある」


「へ? あ、はい。どうぞ……」


 扉を開けてから、アイラはリオンに部屋の中へ入るようにと促した。


 しかし、突然訪ねて来て、一体どうしたのだろうか。

 報告書を書く際に、意見が欲しいというのならば、快く相談に乗ろうではないかとアイラはベッドの前に椅子を引きずってから、そこに座るようにとリオンに勧めた。


 リオンが椅子に座ったことを確認してから、アイラはベッドの上へと腰かけた。


「それで、どうなさったのですか?」


「いや……。その、だな……」


 口ごもるリオンに対して、アイラが首を傾げていると彼は何かを決意したのか、強い視線を交えてきたのである。


「アイラ。お前にお礼を言いにきたんだ」


「お礼、ですか?」


 お礼を言われるようなことをしただろうかと、もう一度アイラは首を傾げる。

 リオンはアイラの視線を気恥ずかしく感じたようで、少し頬を赤らめてから、わざと咳払いをした。


「……俺はさ、七歳児の姿の自分が好きじゃなかったんだよ。魔法も上手く使えないし、歳はお前よりも下だし」


 決意というよりも、どこか諦め混じりにリオンは話し始めた。


「自分自身なのに、何もかもが違う気がして苛立っていたんだと思う。今思えば、魔法が使える自分に酔っていたのかもしれないな。魔法があれば、何でも出来るし、アイラだって……」


 そこでリオンは一度、言葉を切った。


「アイラのことだって、いつだって守れるってうぬぼれていたんだ」


 そう言って、リオンは自分を責めるような表情で苦笑していた。


 その顔があまりにも悲しく見えて、アイラは思わずリオンの両手を掴んでしまう。リオンは手を掴まれたことに驚いているようだったが、すぐに握り返してくれた。


「それでも、お前は俺を認めてくれた。王子としてでも、魔法使いとしてでもなく、たった一人のリオン・ディル・ハイドライルとして。……それがどうしようもなく嬉しかったんだ」


 リオンはアイラの手を縋るように握りしめながら、熱い視線を向けてくる。

 その瞳に込められている感情がいつものものとは違う気がして、アイラは身体中に熱が巡っていった気がした。


「俺はまだ、未熟な部分が多い王子だ。自分を見直しながら、改善出来るように努めていきたいと思う。だから……」


 数度、息を吐いて、リオンは言葉を紡いだ。


「これからも、アイラを守らせてくれないか」


「……」


 静かな部屋の中に響いたのは、誓いとも言うべき言葉だった。

 その言葉を耳に入れてしまえば、アイラの身体はリオンの視線に囚われたように動けなくなってしまっていた。


 縋るように見つめて来る瞳と、そして握られている手。


 アイラは一つ、小さく息を吐いてから心臓の音が落ち着くようにと整え直した。


「……リオン様はいつも私を守って下さいました」


「え?」


 アイラに触れているリオンの手が一瞬だけだが、びくりと震えた。


「盗賊団に捕まっていた時、私……心の中で、叫んだのです。リオン様って。そうしたら、本当にリオン様が助けに来てくれて……」


 アイラが腕を縛られて、男に剣を振り下ろされそうになった時、現れたのは淡くも眩しい光だった。


 例えるならば、希望の光と言うべき人物が自分の目の前に現れたのだから、嬉しくないわけがなかった。


「初めてお会いした日から、リオン様はずっと私の心を守って下さっていました。私が強くなって、リオン様を支えられるようになりたいと思ったのも、全てリオン様が居て下さったからです」


 どうか、届くように。

 自分の気持ちが真っすぐとリオンに届くように。


 そう願いながら、アイラは握りしめる手に力を込めた。


「今のお姿でも、小さいお姿でも、リオン様は何一つ変わってはいません。強くて、優しくて、頼もしくて……そして温かい方です」


 今も直接、手から伝わってくる温度はいつもと変わらず、触れていて安心するものだ。

 アイラが柔らかな笑みを浮かべてからリオンへと微笑むと彼は少しだけ背中を仰け反らせていた。


「リオン様が私に伸ばして下さった手は、どんな時でもとても大きく見えるんです。……その時、何度だって思うのです。やっぱり、リオン様はリオン様なんだなぁって。だから、私が大好きなリオン様は昔から何一つとして変わっていませんし、これからどんなリオン様になろうとも、あなたのことが大好きです」


 アイラが真面目にそう告げるとリオンは視線を逸らそうとする様子を何とか持ちこたえてから、言葉を溢した。


「……何だ、それ。……でも、ありがとうな。俺のことを……好きでいてくれて」


 恥ずかしさを感じたようで、口元が緩んで見えた。そして、彼にしては珍しい行動を次の瞬間、取ったのである。


 リオンの顔が近づいてきたかと思えば、軽やかな音が自らの額から響いて来る。

 どうやら、リオンに額へと口付けが落とされたらしく、アイラは驚きのあまり目を丸くしてしまっていた。


「リ、リオン様は……」


 口ごもりそうになるのを押し留めて、アイラは思い切って訊ねてみることにした。


「わ、私のことは……お好きですか」


「っ……」


 そのようなことを聞いてくるとは思っていなかったらしく、リオンの顔は一瞬にして真っ赤に染まっていた。


「どうなのですか」


「……す」


「え?」


「好きに決まっているだろうがっ!」


 何故、半分ほど怒っているような言い方なのだろうか。きっとこれは恐らく、照れ隠しなのだろう。

 アイラは離れて行こうとするリオンに顔をぐいっと近づけた。


「では、問題はありませんね」


「何の問題だ……」


 一生分の恥ずかしさが詰まっているような表情のまま、リオンは言葉を返してくる。


 アイラももちろん、身体中に熱が巡っていく感覚がしていたが、今はそれよりも大事なことがある。


「……お互いにもう一歩、先に進むのは駄目でしょうか」


 リオンを下から上へと見上げるように見つめてみれば、彼は喉の奥に何かが詰まったような表情で、顔を赤らめたまま顰めた。


「あのなぁ……。俺だって、色々と我慢しているんだよ」


「我慢ですか? でも、別に我慢するようなことは何も……」


「……大事にしたいんだよ、お前のこと」


 消え入りそうな声で呟き、リオンは自らの額をアイラのものと重ねて来る。


 リオンの表情は赤く染まっているが、それでも後戻りが出来ないことを察しているようにも見えていた。

 まるで苦しそうにもがき、切羽詰まっているようだ。


 だからこそ、アイラは穏やかに微笑んで見せた。目の前で少しだけ、不安の影をちらつかせているリオンを安心させるために。


「十分に、大事にされていますよ。……私の心は全てリオン様に捧げるって決めているんです。だから……」


 アイラは一つ呼吸を入れてから、秘密を溢すように告げた。


「お好きにして下って、構わないんですよ?」


 囁くように呟けば、目の前で見つめているリオンの瞳が少しだけ揺れながらも細められる。

 まるで狩りをする獣のように。


「その言葉、安易に言わない方がお前のためだぞ」


 そう言いつつも、リオンは右手をアイラの腰へと回し、逃さないと言わんばかりに身体を引き寄せて来る。

 どうやらリオンは覚悟を決めたらしい。くすりと笑ってから、アイラは答えた。


「私、リオン様に想いを告げてから後悔した言葉なんて、一つもありませんよ」


「……そうか」


 安堵らしき息が溢されるが、それさえも熱く感じてしまう。


 そして、何度か深い息を吐いてから、リオンはアイラと視線を交えつつ、一つの言葉を面と向かって告げて来る。


「アイラ。……好きだ」


 自分が今まで、待ち望んでいた一言がリオンから呟かれる。


 アイラが一方的に好意を告げることはあっても、リオンから気持ちを伝えられることは一度もなかった。

 だからこそ、嬉しさで目頭が熱くなってしまう。


 もう泣いてしまっているのかもしれない。リオンが少しだけ呆れた顔をして、それから左手の指先でアイラの目元を軽く拭ってくれた。


「アイラは相変わらず、泣き虫だな」


「そうですよ。……だから、泣かせたリオン様が責任を取ってください」


 頬を膨らませながらそう言えば、リオンは小さく苦笑してから頷いた。


「──なら、泣き止む魔法をかけてやるよ」


 どこか悪戯をする前の少年のような表情で、リオンはアイラの身体を更に引き寄せて、そして唇へと口付けを落としてきたのであった。


  

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