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捕らわれの身

 

 ──怖いのは嫌だ。痛いのも嫌だ。でも、それよりも恐ろしいと思えるものがあるからこそ、小さなアイラは強くなりたいと思った。


『いつか、リオン様のお役に立てるようになりたいです。頑張って、強くなります。だから、強くなったら、お傍にいてもいいですか』


 小さなアイラがまだ会ったばかりのリオンに誓った言葉だ。その返事をアイラは今でもはっきりと覚えている。


『それじゃあ、俺はアイラを守るって約束する。怖いことがあっても大丈夫なように、俺がアイラを守るよ。だから、怖いことがあったら、言うんだぞ? いつだって、助けに行くから』


 曇りない瞳で、真っすぐに告げられた言葉は胸の奥に残ったままだ。その言葉に縛られるように、自分はいつも前を見据えたまま進むことが出来た。


 大事だと思えるのは一つだけだ。

 心から守りたいと思えるのも、心を奪われる程に好きだと思えたのもたった一人。


 だから、強くなろう。リオンがこの先、王子として生きて行く上で、嫌な思いをしなくてもいいように。

 自分は剣と盾になるのだ。


 そんな小さい頃に抱いた感情を今となって思い出したのは何故だろうか。夢の中からまだ、自分は抜け切れていないのかもしれない。




「……うっ」


 鼻先にかすめたのは木材が湿ったような匂いだった。

 異臭という程までではないが、奇妙だと思える匂いを嗅いだアイラは次第に意識がはっきりと自分のものとして戻って来たことを自覚する。


「っ!」


 地面に伏せた場合と同じように、身体をばっと起こそうとしたが、何故か身体は動かない。いや、正確に言えば動きづらいと言った方が良いだろう。


 少しだけ浮かび上がったアイラの身体は、支えとなるものがなかったため、そのまま腐った板の上へと鈍い音を立てつつ戻されてしまう。


「痛っ……」


 起き上ろうとする勢いが良かった反動で、アイラの身体は床に強く打ち付けられたことで身体に痛みが走ってしまう。

 どうやら、身体が簡単に動けないようにと縛られているらしい。


 すると、すぐ傍から気配がしたため、アイラは警戒しつつもそちらへと視線を向けた。そこにいたのは、十歳にも満たない少年だった。


 だが、一人ではない。よく目を凝らしてみれば、少年の背後だけではなく、アイラの周囲には幼い子どもが暗い表情で佇んでいたのだ。


「お、お姉ちゃん……大丈夫?」


 アイラの顔を心配するように覗き込みつつ、少年は言葉を震わせながら訊ねて来る。


 しかし、アイラはその少年の身体に巻き付いている太い縄を見て、顔を顰めた。見渡しながら確認してみれば、他の少年少女も同様に縄で縛られている。


「……平気だよ。私は……アイラ。でも、どうしてあなた達は縄で縛られているの?」


 アイラは出来るだけ、子どもを怖がらせないように穏やかな声で訊ねた。


「えっと、僕はティオル。……皆、僕と同じように攫われてきた子なんだ」


「攫われた?」


 一体、どういうことだとアイラが眉を寄せるとティオルと名乗った少年は、自分達が詰め込まれている部屋の唯一の扉と思われる場所を気にしながら話してくれた。


「僕達も昨日の夜に、この場所に無理矢理に連れてこられたから、状況がよく分かっていないんだけれど……。ここに居る子ども達は皆が、孤児院に住んでいる子なんだ」


 ティオルの言葉に周囲にいた子ども達も同意するように頷いていた。どうやら、彼はここにいる子ども達の中で最年長らしい。


「あのね、私達ね、オスト村にいたの。村の孤児院にいたのに、怖い人達が私達をここに連れてきたの」


「でも、ここがどこか分からないの。いつの間にか、ここに居たの」


「ふぇっ……こわいよぉ……」


「おうちに帰りたいって言ったら、怖い人達が怒るんだ……」


 子ども達は小さな声で、アイラに現状を訴えて来る。か弱い子ども達を連れ去り、閉じ込めておくなんて、最低以外の何ものでもない。


 そして今、彼らには頼れる人物がいないということも分かっていた。

 だからだろう、この部屋に居る中で一番年長であるアイラを縋るような瞳で見つめて来ていた。


 すすり泣く少女につられるように、やがて他の子ども達も感情を抑えきれなくなったのか、涙をぽろぽろと溢し始めていた。


「うぅ……おうちに帰りたいよぉ」


「怖いよぉ……」


 共鳴するように泣き始める子ども達をどう宥めようかとアイラが焦っていると、次第にこの部屋に向けて荒々しい足音が近づいてくる。


 がちゃり、と金属が擦れ合う音が聞こえたが、恐らく鍵と鍵穴が接触した音だろう。次の瞬間、薄暗い部屋の中に淡い光が差し込んでくる。

 しかし、入ってきたのは灯りだけではなかった。


「うるせぇ! 静かにしろ!」


 そう言って、部屋に入ってくるなり声を荒げたのは、顰めた面をした男だった。


「それ以上、騒げば一発ずつ蹴りを入れるぞ!」


「ひゃっ……」


「ごめんなさいっ……」


 男に一喝された子ども達は身体を大きく震わせてから、それぞれ視線を背ける。

 その光景は、子ども達が男から何度も怒鳴られていることを表していた。


「子ども相手に……」


 ぼそりと呟くアイラの声が聞こえたのか、男が手に持っているランプをアイラの方へとかざしてくる。


「はっ……。何だ、起きたのか。もう少しくらい眠っておいてくれれば、移動する際に楽が出来たのによぉ」


 その声色に聞き覚えがあったアイラは目を凝らしながら、男の顔を真っすぐと見た。


「あっ……。あなたは……! さっきの旅商人の……!?」


 ランプの灯りの下に浮かんでいたのは、自分に先程、魔石を安く売ってくれた旅商人の男だった。

 予想外の登場にアイラは思わず、目を瞠る。


「よう、嬢ちゃん。こっちの姿で会うのは初めてだったなぁ?」


「……あなた、何者なんですか。……まさか、先ほど私を眠らせたのは……!」


 アイラが言った言葉に心当たりがあるのか、男は面白くてたまらないと言った様子で表情を歪めた。

 どうやら、アイラに向けて、「誘香玉」を投げたのは彼らしい。


「ははっ……。まぁ、正体が分かるわけないよなぁ」


 男はにやりと笑ってから、空いている手で口元を押える。


「エギリン村を襲った盗賊団の頭領だといえば、分かりやすいかもなぁ?」


「っ!?」


 つまり、彼らは先日、エギリン村を襲った盗賊団の取り逃がしだということだ。


 だが、彼らは魔具を中心に盗みに入っていたはず。どうして子ども達を攫うような真似をしているのだろうかとアイラは顔を強く顰めた。


「いやぁ、この町で最後に嬢ちゃんに会えたのは幸運だった。……何せ、あんたらのせいで、俺達の計画はめちゃくちゃになった上に、仲間まで牢屋に入れられちまったからなぁ。まぁ、捕まったのは自己責任だし、仕方がないと思っていたが……」


 そこで盗賊団の頭領である男はアイラの姿を上から下まで見下ろしていく。まるで品定めされているような状況に舌打ちしそうになっていた。


「……つまり、私を捕まえたのは、盗みに失敗した際の腹いせということでしょうか」


 出来るだけ冷静に捉えられるような声色でアイラは男へと訊ねる。


 気付けば、服のポケットに入れていたはずの魔石の指輪と財布、そして腰に下げていた短剣がなくなっていた。

 恐らく、身体を縛られる際に取り上げられたのだろう。


 ……武器がない上に、身体も身動きが取れないなんて……。


 魔法が扱えたならば、この男を風魔法で壁にでも叩きつけて気絶させるのだが、世の中は上手いようには出来ていないらしい。

 内心、焦っていることを覚られないようにとアイラは無表情を保ち続けた。


「まぁ、最初は仲間が捕まった腹いせにあんたを一発殴ろうかと思っていたんだが気が変わった。……嬢ちゃん、あんた……ラウリス国の姫だろう」


「……」


 この時、お腹に力を入れていたおかげで、表情が変わらずに済んだ。


 アイラが据わった瞳で男を静かに見つめていると、彼はにやりと笑ってから、腰に下げていた短剣をアイラの方へと見せてくる。

 それはアイラが愛用している短剣だった。勝手に触られていると思うと、なおさら気分が悪くなった。


「この短剣の刃の部分にラウリス国の王家の紋章が小さくだが刻まれている。あんた、装いは旅人だが、本当はラウリス国の第一王女じゃないのか?」


「推測だけで、よくそこまで喋れますね。第一王女となる者が供も傍に置かないまま、勝手に出歩くと思いますか?」


 その言葉はそのまま自分へと返ってくる気がしたが、今は牽制に使うしかないだろう。

 アイラの言葉に一理あると思ったのか、男は目を瞬かせてから、そして噴き出した。


「ははっ……。確かにそれもそうだな。……だが、王家の人間ではない奴が何故、この短剣を持っているんだ?」


「ラウリス国の人間ならば、王家の者から武器や物を下賜されることはよくありますよ。あの国は王家と民の距離が近いので。それに私、ラウリス国から来た、旅人ですから」


「ふーん?」


 まだ疑いを持っているのか、男はあまり納得していないような顔をしている。


「嬢ちゃんが隣国のお姫様だって言うなら、騎士団に捕まっている仲間を引き渡してもらう取引材料に使えそうだと思ったんだがなぁ」


「まぁ……。小娘一人にそんな価値があると思っているんですか?」


 自虐だと分かっていても、牽制するためには言葉は選べなかった。


「あるとも。まぁ、ラウリス国の姫がいなくなれば、今の王子の隣に立つ人間は仕方なく変わることになるだろう? そこに収まりたいと思う人間は山ほど居るはずだぜ」


「……」


 アイラは何も答えなかった。何故なら、男が言っていることが事実だと知っているからだ。


 現にアイラという正式な婚約者がいるにも関わらず、いまだにリオンのもとには国内の貴族令嬢だけでなく、周辺諸国の未婚の姫君からの婚約の申し入れなどが届いているらしい。


 もちろん、それらの申し入れはリオンだけでなく、リオンの母であるラミルが筆頭となり、婚約者がいるからの一点張りで突き返しているとのことだ。


 

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