折れない心
「ああ……。でも、あんたを持ち帰って、うちの国の姫様を王子の隣に据えさせる恩を売るのもいいかもしれないなぁ」
「……私は姫君じゃないと言っているのに、その気なのですね」
アイラは瞬間、床に着けていた足に力を入れて、左足で身体を支えながら、右足で男の足元を掬うように回し蹴りを入れる。
「うおっ!?」
運よく、身体を縛っているのは上半身だけだ。下半身は自由に動けるため、蹴りを入れることくらいは簡単に出来る。
しかし、距離が足りなかったようで、アイラの右足は男の足元を少し掠めただけに終わった。
「私は姫君ではありません。剣士で、そして狩人です」
剣を奪われても、心に宿している剣は絶対に折ってはならない。折ってしまった時こそ、それは自分の負けを意味している。
武器がないならば、その手を剣の代わりに獲物の息の根を仕留めろ。
生きるために命を奪うという環境で生きて来た自分はそう教わってきた。
「それにこんな乱暴な姫君がいるというならば、ぜひ私もお会いしてみたいですね」
心の中では、自分は何と愚かで無責任だったのだろうと自責していた。自分には剣術と体術の心得があるからと自負し過ぎた結果がこれだ。
……普通の姫君なら、護衛を一人くらいは連れ添って歩くもの。
だが、自分はそれを好んではいない。だからこそ、イグリスもアイラの自由行動には目を瞑っていた。
本当は守られて欲しいと思っていたのかもしれない。
……私の身勝手な行動が、大きな迷惑をかけてしまっているんだ。
そのことを初めて自覚したアイラは頭領の男に覚られないように唇を噛んでいた。
「まぁ、嬢ちゃんをどう扱うかは、移動してから決めるとするさ」
「移動するって、一体どこへ……。それよりも、この子ども達を攫って、何をする気で──」
瞬間、男の右足が動いたのを察知したアイラはその動きに合わせるように身体を動かした。男が足でアイラを蹴ろうとしてきた動きに合わせたことで、その痛みは半減される。
「がっ……」
それでも手加減なく、左肩を蹴られたため、痛いものは痛かった。だが、衝撃がしっかりと男に伝わっているため、アイラが意識的に身体をずらしたことは覚られていないようだ。
しかし、アイラが蹴られた瞬間を見てしまった子ども達の間からは悲鳴に近いものが上がる。
アイラが冷めた瞳で見上げれば、そこには勝ち誇った表情をした男がいた。
恐らく、この場にいる子ども達の心の中に生まれていた小さな希望を圧し折るために、わざとアイラを蹴り飛ばしたのだろう。
……ただの旅商人だと思っていたけれど、演技が上手いとはいえ騙されるなんて、私もまだまだ修行が足りないな。
自分のように、単純な人間の方が少ないのだろう。
きっと、周囲は色々と難しいことを考えながら、相手の顔を見て、そして裏を読むように生きているのだ。
「知っているか? 魔力持ちの子どもは、高く売れるんだ。それこそ、魔石の何倍といった値段でな」
「なっ……」
そこで初めてアイラの表情が歪んだ。
「人身売買は禁止されているはずですよ!? それはどの国でも同じです!」
「ふはっ……。嬢ちゃんは中々の腕利きのようだが、裏の世界について、無知過ぎるぜ」
アイラを馬鹿にするように男は低い声で笑った。怯えた声が端々から漏れ聞こえるが、泣かないようにと耐えているのだろう。
「魔力持ちの子どもは色々と使えるんだよ。それこそ、魔法使いに仕立てて暗殺術を仕込ませたり、もしくは魔力を使った実験を行わせたりな」
「……最低」
アイラの呟きが聞こえたらしく、頭領の男は歯を見せながら笑っていた。まるで、悪いことなどやっていないと言わんばかりに。
「それでは、どうして魔具を盗んで回っていたんですか。おかげで、魔具の相場は大荒れです」
「もちろん、そっちも売り払うために決まっているだろう? 金は多いに越したことはないし。だが、魔具よりも魔力持ちの子どもの方が高く売れるからな。それでもいつだって、収穫があるわけじゃないし、保険と隠れ蓑みたいなものさ、盗賊をやっているのは」
ふつりと沸き起こる感情は怒りだと自覚していた。だが、ここで不用意に動いても勝算があるわけではないと分かっている。
こちらは利き腕を縛られている上に、向こうは話を聞く限りでは仲間がいるようだ。
……この男を倒しても、子ども達全員を守り切って、逃げるのは難しい。
もしかすると、逆に危険に晒してしまう可能性もあるかもしれない。そう思うと、いつものように無鉄砲に行動することは出来なかった。
「せいぜい、夜になるまで大人しくしているんだな」
「……夜?」
「移動するんだよ、ここから」
「どこに連れて行くつもりですか。それにこんなに大勢を連れて、誰にも見つからないとお思いですか?」
「場所は秘密だ。……そうだなぁ。騒ぎを立てる者が一人でもいれば、連帯責任で鞭でも打とうか? 嬢ちゃんなら口を塞いで、身体を縛っていても、勝手な真似をしそうだからな」
「……」
つい感情的になり過ぎて、余計なことを伝えてしまったかもしれないとアイラは少しだけ後悔した。
「……これだけの子どもを攫ったんです。今頃、大騒ぎになっていますよ」
アイラが皮肉めいたように呟くと男はまたもや鼻で笑っていた。
「さぁ、それはどうだろうなぁ?」
何故か、余裕ありげに答える男に違和感を覚えたが、彼が答えを告げることはなかった。
「それじゃあ、時間になるまで大人しくしていろよ。少しでも騒ぎ立てた奴から、鞭打ち五十回だからな」
「っ……」
拷問とも言うべき、容赦ない回数にアイラは奥歯を噛んでいた。
子ども相手にいとも簡単に非道な行動が出来るこの男のことだ、アイラの知らないところで他にも犯罪に手を染めているに違いない。
男は愉快げな声でからからと笑いつつ、ランプを持ったまま部屋から出て行き、そして再び扉に鍵をかけていた。
その場に静寂と暗闇が広がっていく。心の中に生まれたこの感情は怒りか焦りか、それとも恐怖と言うべきものか。
……冷静に、ならなきゃ。
だが、どうすればいいのか思いつかなかった。何せ、このような事態に陥るのは初めてだからだ。
力技でどうにかなる状況ではない。懸かっているのは自分一人の命だけではないのだから。
「お、お姉ちゃん……。さっきの……大丈夫?」
すると、それまで息をひそめるように見守っていたティオルが身体を縛られた状態のまま、アイラの方へと近寄ってくる。
先程、頭領の男から入れられた蹴りのことを心配しているのだろう。顔色を窺ってくるティオルに対して、アイラは出来るだけ明るく答えてみせた。
「平気だったから、安心して。猪に突撃された時に比べたら、生温いくらいだよ」
「い、猪……」
予想外の答えだったらしく、ティオルは瞳を瞬かせていた。そして、強張りが解けたように、初めてアイラの前でふっと笑ったのである。
きっと閉じ込められたままで、どうすることも出来ずに、今まで怯えていたのかもしれない。
「……大丈夫だよ」
アイラはいつの間にか、そう呟いていた。それは子ども達だけではなく、自分に向けている言葉でもあった。
「きっと、助けが来てくれるよ」
「……どうして、そう思うの?」
ティオルは不思議なものを見るような瞳でアイラを見上げて来る。他の子ども達も、瞳に涙を溜めたまま、呆けた表情でアイラを見ていた。
アイラは彼らに不安を与えないように、小さく笑って見せる。
「私が大好きな人はね……。いつも、私が泣いている時に、助けに来てくれるの。だから……きっと、大丈夫だよ」
何故か、そう言い切れることを不思議だとは思わなかった。
リオンが助けに来てくれる──。
そんな図々しい上に迷惑をかけるようなことを望んでいるなんて、婚約者としては失格だろう。
でも、分かるのだ。彼はきっと、自分を助けに来てくれると。だからこそ、アイラの心は折れないまま、笑っていられた。
……リオン様の顔をもう一度見るまで、絶対に負けるものですか。
子ども達を安心させるために笑みを浮かべつつも、アイラは心の中で意思が揺るがないようにと、腹に力を入れ直していた。




