22 神社のゆくえ
それからの日々は、慌ただしいようで、いたって平凡だった。あの日、ひとまず祠はそのままに、石だけを持ち帰った僕は、後日引き取りにくることにした。あの石は、祠にあってこそ力を発揮して、雨宮さんという存在を確かなものにすると思ったからだ。
次の日、幸弘と友喜に神社の顛末を話すのは少しだけ勇気を出した。約束の二十日、二人は夜でも構わずどうだったかとLINEで聞いてきて、もちろん僕もそれに応えようとした。だけど、布団に寝転がってタップしようとした手を止めて、しばし考え込んだ。
「二人には、ちゃんと向き合って話がしたい」
こんな、電子の波に乗せられて送る不確かな情報ではなくて。僕の口から、直接話がしたい。それが、どんな結末だったとしても。だから僕は、そのまま明日話すよ、とグループLINEに送った。
だからだろうか、二人は大学に来て僕の顔を見るなり、神妙な面持ちでずかずかと歩みより、肩を揺さぶって来た。
「どうなったんだ、神社は!」
「俺ら、少しは役に立てた?」
交互に言い出す二人をどうどう、と落ち着けると、僕はひとまず屋上に行こうと誘う。教室では落ち着いて話が出来ないだろうし。
二人は素直についてくると、屋上のベンチに僕を挟んで座った。そういえば、以前にもこんなことがあった。
「前もこんなことあったよな」
どうやら幸弘もそう思ったらしい。僕が頷くと、友喜が声をあげて手をぽん、と打った。
「時也が雨宮さんにもう来ないで~って言われて泣きわめいてた時もこんな感じだったね!」
「それ、少し盛ってない?」
「間違ってはいないだろ」
幸弘にばっさりと切り捨てられた僕は項垂れた。なんということだ、そんな風にみられていたとは。確かにあの日は泣いたし、雨宮さんに拒絶されたのがあまりにも響いていたけれど。
軽く冗談を言い合ったおかげで、僕らの間には随分と和らいだ空気が漂っていた。太陽の日差しが僕らを襲いくる中、汗一つかかない友喜に促されて、僕はぽつりと報告した。
「ダメだった」
たった一言。されど一言。二人は重く息を吐きだすと、そのまま俯いて、言葉を探していた。僕の事を気遣ってくれている二人には申し訳ない報告だった。あれだけ頑張ってくれて、それでも報われなかった結果。努力は必ず実る。そんな言葉が、疑いたくなるほどに酷く突き刺さるのが現実なのだ。
僕は無言で二人の顔を見やり、そして、重苦しい表情を取り払えるように、努めて明るく振舞った。
「でも、続きがあるんだ」
「続き?」
「そう。雨宮さんとの大事な場所は、もう今日から取り壊されちゃうけれど、雨宮さんとはこれからも会っていける」
「……まあ、そうだよな。前みたいに遠くに行くわけじゃないだろうし」
二人には雨宮さんの正体を話していないだけに、いまいち真実が伝わりにくい。さて、この続きをどう話そうか。結局、雨宮さんの核だと思い込んでいた神社は、彼女にとって、家だった。そんなことを話しても、訳が分からないだけだ。だったら、僕の気持ちを話せばいい。
「僕はさ、どうしてこれだけ必死になってたかって言うと、神社がなくなったら雨宮さんに会えなくなるって思ってたんだ。……もちろん、あの神社がどんな場所より大切だっていうこともあったんだけど」
だからこそ必死でやっていた。途中から雨宮さんの核となる石の存在を聞いても諦めなかったのは、天神社という存在が僕にとってあまりにも大きかったからだ。
「でも、会えるんだ?良かったじゃん」
「そう。僕は、これからも雨宮さんに会えるんだ。彼女は僕の身近に居てくれる。それに、天神社の管理人は、僕にご神体を譲ってくれるって」
「ご神体って、譲ってもらえるものなのか?」
「うん。……偽物の神社だからこそ、だと思う。神社っていう場所はなくなる。けどさ、神社の心臓は僕の手元にやって来てくれたんだ。だから、僕、決心した」
これは、雨宮さんにはまだ言っていない事だ。きっとこの先、言う機会はそうそう訪れない。もしかすると、内緒で事を進めてしまうかもしれない。でも、ずっと一人で抱え込んでいては、ヘタレな僕は崩れ落ちてしまうだろう。だから、親友二人に見守ってもらえるよう、今ここで宣言する。
「将来、僕が天神社を建てる。天城さんの土地を買い取るなり、別の場所に作るなり、方法はまだ決めてないけど。お金ためて、絶対にまた天神社を復活させる」
二人が息を呑んだのが分かって、僕は俯いた。
分かっている、この決心がどれだけ荒唐無稽な事なのかは。
子供のような考え方で、だけど大人になりそこなっている僕の考えは、きっとどんな人より性質の悪いことなんだろう。神社一つに、真剣になりすぎていると、他人は嗤うだろう。だけど、それでも僕は天神社を諦めない。粘着系男子の執念を見せてやる。いつか絶対に、天神社を復活させて、雨宮さんの家を作るのだと、決めたんだから。
むんっと顔を上げると、二人はやがておかしそうに笑いだした。気づけばお腹を抱えて転げまわっている二人を見て僕は戸惑い、妙な不安に襲われる。何か、変なこと言ったかな?
「幸弘?友喜?」
「は、ははは……、悪い、笑える」
「だね。相変わらず時也は面白いや」
目じりに涙を浮かべながら立ち上がった友喜は、そのまま僕の肩をぽん、と叩く。楽しいことがあったとき、人にやってしまう彼の癖だ。
「いいんじゃないの?何かすごく壮大っぽくて、だけど現実的な夢抱えてるの、笑える。でも、面白くて俺は好き。応援する」
「……ホントに?」
「ああ、俺も応援する。なんたって、神社が今日から取り壊されて落ち込んでるのかと思ってたのに、気づけば次のステージに立ってるんだからな。まあ、俺たちの努力も無駄じゃなかったってことで」
二人はそういうと、両サイドから僕の頭を軽く小突くと、そのまま歩き出す。慌てて僕も追いかけて、後ろに並んだ。そろそろ、講義の時間が迫っている。
「また泣くのかと思ったのに、意外だな」
「雨嫌いの草食系ヘタレ男子も、成長したもんだね~。雨宮さん効果絶大」
「ドヤッ」
「わざわざ口に出さなくたって、そのうざい顔見れば分かるよ」
「ちょっと、それどういうことだ」
「そのままの意味じゃないか?」
「幸弘まで!」
僕らは笑いながら、階段を下って、講義室に入る。ひんやりと冷房の効いたここで、今から授業を受けて、帰って、時々サークルに顔を出して。
あんなことがあっても、僕の日常は変わらない。ただ、信念は変わって、僕も変わっていく。
こうして、神社の取り壊しが始まった今日、僕の目標も決まった。
そんなこんなで、何もない平凡な日々は、季節とともに流れていく。天神社の取り壊しが始まって、一週間も経ってしまった頃、僕たちは立ち入り禁止の神社にこっそりと足を踏み入れて、夜空を見上げていた。
かつて階段だったあの場所も、手水舎も、拝殿も、賽銭箱も。全てが取っ払われ、木材がまき散らされていて、神社の形は既にない。かろうじて残っているのは、小さな赤の鳥居で、これもじきに消えてしまうのかと思うと、どうにも感傷に浸ってしまう。
雨宮さんと僕は積まれた木材に腰を下ろして、境内を見回す。外灯も何もない、真っ暗闇の中、それでも、神社の無残な姿はくっきりと脳裏に焼き付いていた。
「本当に良かったんですか?露店とか、見たいなら戻りますよ」
「いいえ。折角のお誘いですが、私は……。この場所を、いつまでも覚えていたいのです。長い歴史を私とともに歩んできたこの場所を、これからも忘れないように。付き合ってくれて、ありがとうございます」
「そんな。僕だってここの様子、見たかったんです。ほら、立ち入り禁止の場所で花火を見るなんて、スリリングで楽しいですよ」
そう、僕らは今日、近所でやっている夏祭りの花火を見るためにここにやってきた。以前約束していた時は、花火をここで見るというものだった。しかし、取り壊しが始まってしまった今ではその提案も無駄に終わったかのように思えたのだ。だから、当初は露店を回りつつ、祭りを堪能して花火を見ようという予定だったのだが、どういうわけか、僕らはお互いにこの場所で花火を見たいと言い出した。
以前約束していた花火は、消えゆく場所で見る。儚い夢のように、そのシチュエーションは僕らの心を捉えて離さなかった。思い出に残る景色を、最後にこの場所とともに。
いつもあったはずの屋根がなくて、心地よい風が髪を撫でた。野ざらしの景色にもすっかり目が慣れてきて、僕らは見つめ合う。
「赤瀬さん。私、貴方に改めてお礼がしたいです」
「……え?」
「こんなにも頑張って、私という存在を繋ぎ止めてくれて、しかも、神社を守るために動いてくれて。感謝しても、しきれないくらい。最近よく考えるんです。私は、赤瀬さんにもらってばかりで、私は貴方に何をあげられるんだろうって」
「そんな。僕は何もしてないです。むしろ、僕だって雨宮さんにもらってばかりですよ」
慌てて言い返すと、彼女は可笑しそうにくすくすと笑う。ほら、その笑顔だ。僕は、その顔を見るだけで幸せになれる。とてつもない衝動に突き動かされる。それだけで、充分だ。何度も思うけれど、僕は雨宮さんのおかげで二年前から随分変わった。
雨が好きになって、恋をして、人を失う辛さを知って、何かに踏み込む勇気を出せるようになった。
それだけのことを、僕は雨宮さんにもらっているのだ。むしろ、あれくらい動いて当然だろう。
「色々ありましたけど、僕は雨宮さんとこうして過ごせていることが何よりも嬉しいんです。それだけで、充分です」
「それでは、私の気が収まりません」
暗闇だというのにぷくーっと頬を膨らませた雨宮さんが見えて、今度は僕が笑った。可愛い反応に、自然と心が癒されていく。ああ、幸せだ。
ここ数週間、怒涛の日々だったけれど、それでも。最後にこうやって、雨宮さんと笑い合って、話が出来ているのなら、それでいいかと思う。
だから僕は不満げな雨宮さんの手を取って、しっかりと彼女の瞳を見つめた。もちろん、ない勇気を振り絞って、気を抜いたら震えてしまいそうな心で挑んだ。
「なら、僕とずっと一緒に居てください。それが、雨宮さんに望むことです」
汗をかかない真っ白な手。温かくて、だけど人間とはかけ離れた何かを感じる冷たさを孕んだ手。その手から、彼女の感情が波に乗って伝わってくる。
そんな時、上空でパァンッと大きな音がする。不意を突かれて二人一緒に見上げると、花火が次々と打ち上がっていた。ひゅるるる、と軽快な音を立てて、そして大輪を咲かせる火。
色とりどりのそれらを、二人肩を並べて見惚れていると、やがて雨宮さんは絞り出した声で言う。
「もちろんです。私は赤瀬さんとずっと、一緒に……共にいます」
手を強く握り返されて、僕はどぎまぎしながら雨宮さんの横顔を見た。
彼女は、真っ赤な花火に照らされて、泣きそうに笑っていた。
「雨宮さん……」
笑顔で感情を表現する彼女は、どうして笑っているのだろう。花火に感動して?それとも、万が一だけど僕の言葉に胸を打たれて?
それとも、神社の事を思って?
僕にその答えを知る機会は、きっと訪れない。僕は、ただ黙って雨宮さんの隣で色彩豊かな花々を見上げることしか出来ない。
それでも、僕はここに誓おう。
雨宮さんを必ず守ると。
埋められない距離はないとでもいうように僕らは無意識に身体をくっつけると、ただたた、夜空のショーを、壊れた神社で見つめ続けた。
雨の神様は、今度こそ涙を堪えていた。
さようなら、天神社。
ありがとう、天神社。
何処からか、雨の神様のそんな声が聞こえた気がした。




