序 今の僕たち
一人暮らしっていうのは、存外寂しいものだ。もちろん、一人暮らしという名前からして分かるように、たった一人の力でほとんどの事をこなさなければならないし、誰を頼るわけにもいかないこの状況は、寂しさや辛さは経験していない人でも想像に難くないだろう。
それでも、どうしてか人々は一人暮らしに憧れ、羨ましがる。
高校生の頃から一人暮らしを続けている僕は、ずっとその羨望の眼差しを受けてきたし、それなりに経験も積んできたと思う。
だけど、だからといってその経験から寂しさが拭えるわけもなく。
僕はいつものように、クーラーが切れて蒸し暑い空気を肌でじりじりと感じながら唸り声に近いものをあげつつ瞼を開けた。
冬は毛布の温かさから布団から出られないものだけど、夏は暑さにやられて休んだはずの身体が全力で気怠いと訴えているから、結局出られない。
つまり布団は魔の境地。ブランケットを手繰り寄せた僕は、うっすらと開けた視界の中に、ジリリリリと鳴り続ける携帯を見つけると、アラームを止めた。
そして、隣からおはようございます、と声がする。僕もおぼろげながらにおはようございます……、と返し。
そして、飛び起きた。
「ッッ!」
いくら一人暮らしが寂しいと言ったって、いきなり共同生活を始めると戸惑うし、慣れるまではどうしても一人で色々事を進めてしまう。
だから、自然と返してしまったその自分の一言、そして早朝から聞けたその美しい声に僕は仰天して、ブランケットを放り投げてしまった。
あわあわと焦った様子を見て、挨拶をした儚い女性――雨宮さんはくすくす笑うと、しゃがんで僕と目線を合わせる。
「ふふ、そろそろ慣れてください」
「す、すみません……どうしても、一人の感覚で。あ、雨宮さんが居るの、とっても嬉しいんですけど」
「はい。私も、赤瀬さんと暮らせるのはとっても嬉しいです」
そう言ってにこりと、後ろから差し込んだ夏の日射しに負けないくらい輝いた笑顔を見せた雨宮さんは、いつ見ても可愛い。ああ、朝からいいものが見れた。
僕は手で軽く髪を整えると、布団の上で正座して改めて一礼。
雨宮さんも慌てて正座し、一礼。長い髪が床にさらりと流れて、天の川みたいに綺麗だ。
そう、僕たちは最近ずっとこんな感じ。
天神社の取り壊しが始まって、それから花火を見て、八月に入った今、雨宮さんの心臓であるあの石は、僕が持っている。
それはつまり、雨宮さんが僕の家に居るということだ。
詳しく言うのなら、僕は天神社の取り壊しが始まった後、天城さんからご神体を祀っていた小さな祠を引き取り、それをベランダの隅に、ご神体である石を元の状態にして一緒に置くことにした。
つまり、雨宮さんは天神社から僕の家へとお引越し。二人暮らしなのである!もっと言ってしまえば同棲だ。
そう思うとどうしても顔が火照って、どうしようもない恥ずかしさと共に嬉しさがこみ上げてくる。
天神社が取り壊されたのは未だに僕たちの心にわだかまって、引きずってしまう案件だけど、それでも二人一緒に暮らせるというのはなかなか刺激的で、まあ、いい、と思う。
いや、良いことすぎる。
「今日は、講義ですか?」
「はい。だけど午後からなので、ゆっくりできますよ。朝ごはん、作りましょうか」
僕はそう言うと、立ち上がって、素早く布団を片付ける。そして顔を洗い、すっかり気分を変えたところで、冷蔵庫からあるものを取り出す。
それは、小さなお饅頭だ。
珍しくせせらぎで買ってきたものではなくて、スーパーで買った物なのだけど、鶯まんじゅうと言って、抹茶の粉がまんべんなく振ってあるそれは、質素ながらにとても美味しそうに見えた。
それを持って、ベランダに出て、祠の前に備え付けたトレイに供える。一時間ほど経ったら雨宮さんが下げて食べてくれるので、それまではこのおまんじゅうはここで待っていてもらおう。
手を合わせて、今日も雨宮さんと元気に過ごせますように、と祈れば、ついに朝食の時間だ。
「赤瀬さん、今日もありがとうございます」
「いえいえ。好きでやっていることですから」
背後で見ていた雨宮さんはそう言って元気な証拠にくるりと回って見せた。真っ白なワンピースが楽しそうに踊る。
神様と暮らすというのは、つまりこういうことなのだと最近実感しつつある。想いの力で存在を明らかにする雨宮さんは、天神社がなくなろうと、存在が消えるわけではない。だけど、誰かが彼女を想う気持ちがなくなれば、当然雨宮さんは消えてしまうのだ。
だから、僕は神社でしていたことを毎朝家でやって、雨宮さんを繋ぎ止めている。
それで雨宮さんが生きていられるのなら、僕はいくらだって祈りを捧げ、お供えをするだろう。
だって、朝起きて、大好きな人の顔を一番に見られる。
そんな幸せが、僕のこんなしがない行動で実現できるのなら。
それはとても恵まれていることなんだろう。
だから僕は、変わらずに祠に手を合わせる。
大好きな雨宮さんを隣に感じながら、今日も、雨が降らないかとわくわくしながら。
これから話すことは、雨宮さんが僕の家で暮らすようになってからのあれやこれといった、なんでもない話だ。
なんでもないからこそ、一つ一つがかけがえのない幸せのピースだと気づける人は一体どれくらい居るんだろう。
僕も、そして雨宮さんも。
その幸せを噛み締めながら、一歩ずつ歩み寄れればいいと思う。




