第十九話
夏真っ盛りとはいえ、さすがに七時近くにもなると夜の気配がひたひたと迫ってくる。山の向こうに暮れていく夕陽。そのシルエットは、影絵にも似ていた。
私は武と、帰り道を辿る。いつも通りに、他愛ない話をする。
「今日も練習お疲れなー」
「うん。武もお疲れ」
「俺はなんもしてないから」
「そう? 武がいるだけで場が明るくなるよ」
「やよちゃん素敵なこと言ってくれんなー。……にしてもさ、今日の佐藤は傑作だったよな」
「なにが?」
「むっちゃんと志乃ちゃんに、いっしょにさ、タッグでからかわれたときのあの顔。むっちゃんと私とどっちが好きー、とか言っちゃう志乃ちゃんも志乃ちゃんだけどさ、慌て具合が、半端なく面白い。傑作だなー」
「傑作、って。それ佐藤くんに失礼」
「やよちゃんは、やけに佐藤の肩をもつんだな」
「え、そんなことないよ?」
私は慌てて、武の顔色をうかがう。
少し、寂しそうな顔をしていた。紅色にその顔は染まっていて、あ、この哀愁はやばい、と私はとっさに思う――。
「今日もさ、佐藤になんか相談してただろ?」
「相談っていうか……世間話だよ」
「そうか?」
「うん」
「そうは見えなかった」
「……武、なにか怒ってる?」
「ううん。たぶん俺はな」
武は、んー、とわざとらしく伸びをした。
「ちょっと、焼きもち焼いてる!」
いつもの待ち合わせ場所である、電柱が見えてきた。私たちは毎朝電柱の前で出会い、毎夜電柱の前で別れる。つまり、今日の武との別れは、目前だということだ。
「私は」
声が、弁明めいてしまうのを抑えられない。
「私は、武のこと好きだよ」
「知ってるよ」
電柱のもとに辿り着き、私たちは立ち止まる。不安を込めて武を見上げる私に、武は軽く頭を掻く。
「あー、困ったな、やよちゃんいい子いい子」
そう言うと、頭をくしゃくしゃ、撫でてくる。
「……その撫でかたさ、私は犬じゃないんだから」
「やよちゃん、照れてる?」
「ん……」
夕陽が紅色でよかった、と思った。
この感情だけは、せめて誤魔化すことができるから――。
武は、私の頭からそっと手を離した。
「ごめんな、変なこと言っちゃって」
「ううん」
「俺も、やよちゃんのことが好きだよ」
「うん」
「破滅的に、好きだ」
それ、どういう意味――。
訊く前に武は、じゃあな、と言って手を上げた。
私もぎこちなく、手を上げる。
武が、そう言ってくれるならば。
それでいい。
それで、いいじゃないか――。
武の言うことなんか、なにも間違っていなくって。
だから、私は――。
殺人を犯しても、いいのだろうか。
遠くに、視線を向ける。太陽の残滓がぴかりと光ったかと思うと、すっと山の向こうに沈んでいく瞬間を、私は、そのとき見てしまった。