表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徹夜続きのゲーム開発者、気づいたら自分が作ったはずの文明調律RPGに転移していました 第一部  作者: マスター


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/12

第9話 開発者だからこそ、許されない

第9話です。


第8話では、澪が「残響」をバグではなく、世界に残った記憶として受け止めました。


アオイたちが見た前回の世界線らしき記憶。


アビス・リヴァイアを討伐したあと、海がさらに黒くなった記憶。


届かなかった光剣。


間に合わなかった海底循環装置。


そして、調律核から聞こえた、澪自身に似た声。


今回は、澪が自分の立場と責任に向き合う回です。


彼女はこの世界を完全に作った存在なのか。


それとも、この世界の残響を受け取ってゲームを作ってしまっただけなのか。


まだ答えは出ません。


けれど、少なくとも澪は知っていました。


海が壊れる設定も。


六人が戦う構造も。


エターナルが世界を巻き戻す仕組みも。


知っていた者だからこそ、許されないことがあります。

――ごめん。


調律核の奥から聞こえた声は、澪自身の声に似ていた。


遠く、深い海底から届くような声。


ノイズに削られ、途切れ途切れになりながらも、その声だけは妙にはっきりと耳に残った。


――また、間に合わなかった。


澪は、中央桟橋の上で動けなくなっていた。


潮風が頬を打つ。

黒く濁った海水が、砕けた桟橋の隙間で揺れている。

遠くではアビス・リヴァイアが低く鳴き、港の人々は不安げに空と海を見上げている。


けれど澪の意識は、すべて胸元の調律核に奪われていた。


また。


その言葉が、頭の中で何度も反響する。


また、間に合わなかった。


一度目ではない。

初めてではない。

前にも同じことがあった。


そう言っている。


「ミオさん?」


アオイの声がした。


すぐ近くにいるはずなのに、遠くから聞こえた。


「顔色が悪いです」


「……聞こえた?」


澪はかすれた声で聞いた。


「何がですか」


アオイは首を傾げる。


フィリアも、ルシェリアも、同じように困惑している。


どうやら、あの声をはっきり聞いたのは澪だけらしい。


通信石板の向こうから、ミルカの声が届く。


「ミオ? 今、調律核の反応が変だった。そっちで何か出た?」


澪は調律核を見下ろした。


表示が乱れている。


《残響同期深度:上昇》

《世界記憶への接続を確認》

《前回主調律ログ断片を検出》

《音声照合中》

《照合対象:神代澪》

《一致率:87%》

《判定:不完全一致》


「不完全一致……」


澪は呟いた。


完全一致ではない。


けれど、近い。


自分の声に似た誰か。


あるいは、自分ではない自分。


「前回主調律ログって何?」


ライカの声が通信から響く。


いつもの明るさは抑えられていた。


「前の世界にも、ミオみたいな人がいたってこと?」


「わからない」


澪は答えた。


本当にわからなかった。


澪はこの世界に来たばかりのはずだ。


ゲーム会社ノア・スパイラルで、徹夜続きのままバグ修正をしていた。

エターナル出現条件の不具合を直そうとして、画面に見たことのないログが出て、白い光に包まれた。


そして、原初調律殿で目を覚ました。


それが澪の記憶だ。


前回の世界に自分がいたはずはない。


それなのに。


「私の声に似てた」


澪は言った。


「ごめん、また間に合わなかったって」


沈黙が落ちた。


セラフィナの声が、通信から静かに響く。


「それが事実なら、あなた自身にも残響がある可能性があります」


「私に?」


澪は思わず聞き返した。


「はい。私たちが前回の記憶を断片的に受け取っているように、あなたもまた何かを受け取っているのかもしれません」


「でも、私はこの世界の人間じゃない」


「それを証明できますか」


セラフィナの問いは、冷たくはなかった。


だが、鋭かった。


澪は答えられない。


自分は日本のゲーム開発者だ。


そう信じている。


けれど、この世界が本当にただの異世界なのか。

自分が作ったゲームに似ている理由は何なのか。

この世界が先にあり、澪のゲームがその残響を受け取って作られた可能性はないのか。


何も証明できない。


胸元の調律核が、また明滅する。


《海底主管根部:黒種固定化進行》

《Another Route Seed:成長率 49%》

《次回暴走予測:短》

《推奨:海底施設へ即時突入》


時間がない。


考えたいことは山ほどある。


だが、海底の黒い種は待ってくれない。


アビス・リヴァイアの喉部逆流圧は下げた。

けれど主管根部に根を張った黒い種を切り離さない限り、また暴走する。


澪は息を吸い、無理やり思考を現実へ戻した。


「海底施設へ行く」


そう言った瞬間、アオイが一歩前へ出た。


「私も行きます」


澪は即座に首を振った。


「だめ」


アオイの目が見開かれる。


「どうしてですか」


「過負荷が高すぎる。さっき無理やり《蒼盾環》を使った。今の状態で水没区画へ入ったら、危険すぎる」


「でも、防御役がいなければ」


「わかってる。でも、だからってアオイを使い潰すわけにはいかない」


使い潰す。


その言葉を口にした瞬間、澪自身が息を呑んだ。


ゲーム開発では、よくある言葉だった。


このキャラは序盤で使える。

このキャラは高難度で刺さる。

この編成は安定する。

このスキルは耐久で便利。


効率のために、キャラクターを使う。


当然の言い方だった。


だが、今の澪には、その言葉がひどく重かった。


アオイは、自分の腕を見た。


黒い痣は薄くなっているが、完全には消えていない。

盾を握る指も、まだ細かく震えている。


それでも彼女は言った。


「私は戦士です」


「知ってる」


「前に立つためにいます」


「それも知ってる」


「なら」


「だからこそ、行かせない」


澪は、アオイの言葉を遮った。


「私はあなたの役割を知っている。強さも、耐久も、ドレインも、前線維持力も知っている。だからこそ、ここで無理させたらどうなるかもわかる」


アオイは黙った。


澪は続ける。


「開発者だから、私は知ってる。どのキャラがどこで強いか。どの組み合わせが安定するか。どのタイミングで必殺を切ればいいか。どこまでなら耐えられるか」


声が震える。


「でも、それを理由に、あなたを便利な盾みたいに扱ったら駄目なんだ」


アオイの瞳が揺れた。


澪は、他の仲間たちへも向き直る。


フィリア。

ルシェリア。

通信の向こうのセラフィナ。

ミルカ。

ライカ。


「たぶん、私はずっとそれをしてきた」


言葉が、胸の奥からこぼれた。


「私のいた世界で、私はあなたたちをキャラクターとして作った。種族を決めて、職業を決めて、スキルを決めて、性格を決めて、過去を決めて、苦しみまで設定した」


フィリアが小さく息を呑む。


セラフィナの通信が、一瞬だけ沈黙した。


ミルカも、ライカも声を出さない。


ルシェリアだけが、静かに澪を見ていた。


澪は逃げずに続けた。


「アオイは、人間族の戦士。前線で耐えて、敵を倒すことで味方を回復するドレイン型。ルシェリアは魔族の魔法使い。広域制御と範囲攻撃。フィリアはエルフの精霊使い。回復と反射と自然の声。セラフィナは天使族の召喚士。光剣による防衛と攻撃。ミルカはドワーフの支援職。構造解析と支援ドレイン。ライカは獣人族の単体ブレイカー」


自分の声が、ひどく冷たく聞こえた。


「そういうふうに、私はあなたたちを作った。少なくとも、私の世界ではそうだった」


アオイが小さく尋ねる。


「私たちの痛みも、ですか」


澪は目を逸らさなかった。


「全部ではない。今起きていることは、私の仕様書よりずっと複雑で、知らないことも多い。でも……この世界の苦しみを、私は物語として扱った。海が壊れる設定を書いた。文明が循環を失う構造を作った。エターナルが世界を巻き戻す仕組みを考えた」


喉が詰まる。


「あなたたちが戦う理由を、私が用意した」


フィリアの目に涙が浮かぶ。


「私は……海の声が聞こえるのも、ミオさんが決めたんですか」


澪は唇を噛んだ。


「私の仕様では、そう」


「じゃあ、この痛みも」


「ごめん」


それ以外、言葉がなかった。


フィリアは胸元のネレイアを抱きしめる。


青い精霊は、静かに彼女の頬へ触れた。


ルシェリアが口を開いた。


「では、ミオ。あなたは私たちの創造者なのですか」


「わからない」


澪は正直に言った。


「私は、そう思っていた。自分が作ったゲームの世界に転移したんだと思っていた。でも今は、違うかもしれないと思ってる」


「違う?」


「この世界の方が先にあって、私のゲームがこの世界の残響を受け取っていた可能性もある。私が作ったと思っていた設定は、どこかから流れ込んできたものだったのかもしれない」


ミルカの声が通信から小さく響く。


「つまり、ミオも誰かに設計図を見せられてたかもしれないってこと?」


「そうかもしれない」


「じゃあ、ミオの責任じゃない可能性もあるんじゃない?」


その言葉に、澪は少しだけ笑った。


優しい逃げ道だった。


自分は本当の創造者ではない。

ただ受け取っただけ。

巻き込まれただけ。

だから責任はない。


そう思えたら、どれだけ楽だろう。


でも、澪は首を振った。


「それでも、許されないことはある」


アオイが問いかける。


「許されないこと?」


澪は頷いた。


「知っていたのに、知らないふりをすること」


風が止まった。


澪は、自分自身へ言い聞かせるように続ける。


「私は海が壊れる構造を知っている。文明が循環を失うとどうなるか知っている。エターナルが現れた時点で、その世界線が失敗することも知っている」


彼女は胸元の調律核を握った。


「だから、開発者だからこそ、許されない。知らなかったとは言えない。仕様だから仕方ないとも言えない。ゲームだから痛くないとも言えない」


声が震えた。


「あなたたちをキャラクターとして見ていた私が、一番それをやっちゃいけない」


沈黙が落ちた。


港の騒音も、遠くに感じられた。


やがて、セラフィナの声が通信から響いた。


「あなたの告白は、不快です」


澪は目を閉じた。


「うん」


「私たちを選択肢として見ていたこと。役割で分類していたこと。痛みを物語として扱っていたこと。それらを、すぐに許すことはできません」


「うん」


「ですが」


セラフィナは続けた。


「あなたは今、それを隠さずに言いました。逃げるためではなく、責任を負うために」


澪は顔を上げた。


「それでも、信頼とは別です」


「わかってる」


「ならば、行動で示してください。あなたが私たちを駒として扱わないというのなら、次の編成で示すべきです」


セラフィナの声は厳しかった。


だが、澪を突き放してはいなかった。


ミルカが言う。


「海底施設には、私は行く。これは譲らない。構造を現地で見ないと無理」


フィリアも言った。


「私も行きます。ネレイアが、下を見ています。海の声を聞く人が必要です」


セラフィナが続ける。


「私も前線に出ます。水没区画では、防壁と光源が必要になるでしょう。攻撃ではなく、守るために」


澪は、その三人の名前を胸の中で並べた。


フィリア。

ミルカ。

セラフィナ。


海の声。

構造解析。

防衛と光源。


海底施設へ向かうなら、理屈として正しい。


だが、アオイを外すことになる。

ルシェリアも外すことになる。

ライカも直接前線ではない。


「アオイ」


澪は彼女を見る。


「港をお願いできる?」


アオイは少しだけ悔しそうにした。


けれど、すぐに頷いた。


「はい。港側を守ります。次に波が来た時、ここに誰かがいなければなりませんから」


「ありがとう」


「でも」


アオイは澪をまっすぐ見た。


「私が行けないからといって、私の痛みを置いていかないでください」


澪は息を呑んだ。


「置いていかない」


「なら、大丈夫です」


ルシェリアも静かに言った。


「私は港側の黒霧制御を続けます。アオイだけでは、再発した虚無小体を抑えるには負担が大きいでしょう」


「ルシェリア」


「心配はいりません。私はここで、あなたたちの戻る場所を守ります」


ライカが通信で割り込む。


「私はいつでも飛び込めるように待機! でも水中はちょっと苦手だから、呼ぶ時はできれば陸か足場ありでお願い!」


「了解。無理に水中へは呼ばない」


「やった!」


その明るさに、澪は少し救われた。


だが、次の瞬間には調律核が急かすように光る。


《前線編成を確認》

《海底施設侵入メンバー:フィリア/ミルカ/セラフィナ》

《港湾防衛支援:アオイ/ルシェリア/ライカ》

《主調律者同行:神代澪》

《警告:防御前衛不足》

《警告:物理突破力不足》

《警告:未知条件下》


不安要素だらけだった。


それでも、澪は頷いた。


「行く」


***


海底施設への入口は、灯台の地下にあった。


港長の案内で、崩れかけた灯台の裏へ回る。


そこには、海へ突き出た古い石造りの台座があり、中央に六角形の扉が埋め込まれていた。


普段は倉庫として偽装されていたらしい。

錆びた道具箱や古い網の下に、古代文明の制御盤が隠れている。


港長は、痛む足を引きずりながら言った。


「この港の古い管理者だけが知る通路だ。だが、私も奥まで入ったことはない」


「なぜ隠していたんですか」


セラフィナが尋ねる。


港長は苦笑した。


「使えなかったからだ。開かぬ扉は、ただの伝承になる。だが、調律核があるなら話は別だ」


澪が制御盤に手をかざす。


調律核が光り、六角形の扉に青白い線が走った。


石の扉が、低い音を立てて開いていく。


中から、冷たい空気が流れ出した。


潮の匂い。

古い石の匂い。

金属の錆びた匂い。


そして、深い水の匂い。


フィリアの肩で、ネレイアが淡く光る。


「下から呼んでいます」


ミルカは目を輝かせていた。


恐怖と興奮が半分ずつ混ざった顔だった。


「すごい。古代水圧式の昇降路だ。しかもまだ生きてる。ちゃんと補助弁もある。いや、でもこの補修跡、雑すぎ。誰がこんな無理やりつないだの」


「それ、今言うこと?」


澪が突っ込むと、ミルカは真顔で答えた。


「今言わないと死ぬやつ。構造の雑さは命に関わる」


「説得力が強い」


セラフィナは光剣を一本だけ召喚し、灯りとして前に浮かべた。


「進みましょう。時間がありません」


澪は頷く。


そして、入口の外に残るアオイとルシェリアを見た。


「港をお願い」


アオイは盾を構えた。


「任せてください」


ルシェリアは静かに微笑む。


「あなたたちが戻るまで、ここは崩させません」


ライカの声が通信から響く。


「こっちも見てるよ! 危なくなったら呼んで!」


澪は深く息を吸った。


海底施設へ向かう。


自分の作ったゲームでは、後半に入るはずの場所。

まだ行く予定ではなかった場所。

そして、前回の世界で間に合わなかったかもしれない場所。


澪、フィリア、ミルカ、セラフィナは、地下へ続く階段を降りた。


扉が閉じる。


外の喧騒が、遠くなる。


***


海底施設は、眠っている巨大な生き物の体内のようだった。


壁には古代文字が走り、床の下では水が流れている。


透明な管の中を、黒く濁った水と、わずかに青い光を帯びた水が交互に流れていた。


天井からは太い送気管が伸び、奥へ奥へと続いている。


本来なら、ここは海を呼吸させるための施設だった。


深海へ空気を送り、冷たい水を動かし、汚れた水を浄化し、港と海底を結ぶ循環を保つ。


海そのものの肺。


澪は、その言葉を思いついて、胸が痛んだ。


肺が詰まれば、人は息ができない。

海も同じなのだ。


「ミオ、こっち」


ミルカが壁の制御盤を見つける。


「主管根部へ行くには、この昇降路を動かす必要がある。でも圧力が不安定。下手に開けたら、水が一気に入ってくる」


「調整できる?」


「できる。けど、現地の補助弁を三か所操作する必要がある」


「また三つ……」


澪は頭を抱えた。


この世界は、三という数字をやたら突きつけてくる。


三人しか前線に出られない。

三つの弁。

三つの接続点。

三つの選択肢。


だが、今は嘆いている場合ではない。


「役割を分けよう。ミルカは主制御。セラフィナは防壁。フィリアは水の声を見て、どの弁が苦しんでいるか教えて」


「弁が苦しんでいるって表現、変だけど合ってるかも」


ミルカが苦笑する。


フィリアは目を閉じ、ネレイアを水路へ近づけた。


青い精霊が、管の中を泳ぐように進む。


「右の水路が重いです。奥で詰まっています。でも左は、開きすぎると黒い水が逆流します」


「なるほど。じゃあ右を少し開けて、左を絞る。中央は?」


「中央は……怖がっています」


「弁が?」


フィリアは困ったように頷く。


「はい。開きたいけれど、開いたら黒いものが来ると知っているみたいです」


ミルカは目を丸くした。


「それ、たぶん自動安全弁だ。圧力を逃がしたいけど、虚無汚染が来るから開けないで固まってるんだ」


セラフィナが光剣を構える。


「虚無が来るなら、私が防ぎます」


「お願い」


澪が言った瞬間、調律核に表示が出た。


《海底施設:主管根部接近》

《前回主調律ログ断片:再生可能》

《再生しますか?》


澪の心臓が跳ねる。


再生しますか。


この状況で、聞くな。


そう思った。


けれど、前回何が起きたのかを知らなければ、同じ失敗をする可能性がある。


澪はアオイの言葉を思い出す。


残響を怖がらないでください。


痛みを見ないふりはしない。


でも、無理に掘り返しもしない。


これは、今必要な記憶だ。


澪は小さく頷いた。


「再生」


調律核が光った。


海底施設の壁に、ノイズ混じりの映像が浮かぶ。


そこに映っていたのは、今よりもさらに壊れた施設だった。


水路は黒く染まり、天井からは水が滴り、警告灯のような赤い光が点滅している。


そして、声が聞こえた。


――主管が閉じない。


やはり澪の声に似ていた。


けれど、少し違う。


疲れ切っていて、泣きそうで、それでも必死に指示を出している声。


――ミルカ、右補助弁を開けて。違う、そこじゃない。黒い種が主管に絡んでる。フィリア、声は? まだ聞こえる? アオイ、あと十秒だけ耐えて。お願い、あと十秒――


映像が乱れる。


黒い波。

砕ける光剣。

誰かの叫び。


――ライカ、戻って! そこはもう足場がない!


通信越しに、ライカが息を呑む音がした。


映像の中で、琥珀色の光が黒い海に落ちる。


今のライカが見た残響と同じ光景。


フィリアが両手で口を押さえた。


――セラフィナ、防壁を上へ。エターナルの輪が出始めてる。まだ、まだ早い。まだ終わってない。


白い光が、黒い空へ伸びる。


届かない。


――ルシェリア、黒霧を港から離して。お願い、せめて人だけでも。


赤紫の魔法陣が砕ける。


――アオイ、核を割らないで。違う、割っちゃだめ。さっきの討伐で主管が――


そこで、映像が大きく乱れた。


ノイズの向こうで、誰かが叫んでいる。


澪自身に似た声が、絶望に近い響きで言った。


――私が間違えた。


澪は息を止めた。


――討伐なら間に合うと思った。港を守るには、それしかないと思った。でも、違った。あれは敵じゃなかった。海の肺に絡まった痛みだった。


映像の中で、白い輪が空に浮かぶ。


エターナル。


世界の強制修復機構。


――ごめん。私は、みんなを使った。キャラクターみたいに。役割みたいに。勝利条件みたいに。


澪の胸が締めつけられる。


――開発者だから、知っていたのに。


ノイズが強くなる。


――知っていたからこそ、許されなかったのに。


映像が途切れた。


海底施設に、重い沈黙が落ちた。


澪は、立っていられなかった。


壁に手をつき、必死に呼吸する。


今の声は、誰だ。


澪なのか。

前回の主調律者なのか。

この世界が作った記録なのか。

未来の自分なのか。


わからない。


ただ、その声が言ったことは、澪の胸に突き刺さった。


私が間違えた。


みんなを使った。


開発者だから、知っていたのに。


「ミオさん」


フィリアが震える声で呼ぶ。


澪は、顔を上げられなかった。


「私、今の声……怖かったです」


「ごめん」


「でも、聞いてよかったと思います」


澪はようやく顔を上げた。


フィリアは泣きそうな顔で、それでも微笑んでいた。


「前の私たちは、きっと怖かったと思います。でも、今の私たちは聞けました。だから、同じにはならないと思います」


セラフィナが静かに言う。


「前回のあなたに似た者は、自分の誤りを記録しました。ならば、それは失敗だけではありません。次へ渡すための証言です」


ミルカは目元をこすりながら、制御盤へ向かった。


「泣くのはあと。今のログでわかったことがある」


「ミルカ?」


「主管根部の黒い種は、討伐で核を割った瞬間に主管へ逃げたんじゃない。最初から主管に絡んでて、アビス・リヴァイアを外側の器として使ってた」


彼女は制御盤を叩く。


古代文字が浮かび、構造図が現れる。


「だから切る順番が大事。アビス側の拘束を外して、喉の逆流を抜いて、最後に主管根部の黒い種を隔離する。順番を間違えると、黒い種が海底施設全体に逃げる」


澪は深く息を吸った。


まだ震えている。


でも、立たなければならない。


「隔離方法は?」


「本来の装置にはない。けど、応急でできるかも」


ミルカの目が鋭くなる。


「主管を切るんじゃなくて、黒い種だけを別の閉鎖水路へ誘導する。排水門でやったのと同じ。止めるんじゃなく、流れを逃がす」


「閉鎖水路は?」


「こっち」


ミルカが奥を指さす。


そこには、重い隔壁があった。


古代文字が刻まれている。


澪が読む。


《旧深層隔離槽》

《危険物質一時封入区画》

《使用不可》


「使用不可……」


「壊れてるんだと思う。でも、完全に壊れてるなら表示すら出ない。たぶん修理できる」


「どれくらい時間がかかる?」


「本当なら半日」


澪は顔をしかめた。


「今は?」


「三分でやる」


「それ、無茶じゃない?」


「無茶だよ」


ミルカは笑った。


「でも、私ドワーフだし。構造で見せ場がないと困る」


セラフィナが光剣を前へ出す。


「その三分、防衛します」


フィリアはネレイアを抱きしめる。


「私は、水の流れを見ます。黒い種がどこへ逃げようとしているか、伝えます」


澪は頷いた。


「私は全体を見る。ミルカ、必要な指示を言って。全部つなぐ」


「了解」


ミルカが制御盤に両手を置いた。


金色の調律核が輝く。


同時に、海底施設の奥から黒い霧が滲み出した。


虚無小体。


だが、地上で見たものとは形が違う。


細長い。

管のように壁を這う。

魚の骨と黒い根が混ざったような姿。


まるで黒い種の根が、小さな生き物になって動いているようだった。


「来ます」


セラフィナが光剣を展開する。


今回は前線にいる。


彼女の光剣は、遠隔支援の時とは比べものにならないほど鮮やかだった。


一本。

二本。

三本。

四本。


白銀の剣が、澪たちの周囲に円を描く。


「召喚光剣、防衛配置」


虚無小体が壁を這って襲いかかる。


光剣がそれを弾く。


攻撃ではない。

近づけさせないための防衛。


セラフィナの表情は真剣だった。


「ミオ」


「なに?」


「私を攻撃役として見ないでください」


澪は一瞬息を呑んだ。


セラフィナは前を見たまま続ける。


「私は召喚士です。光剣は敵を討つためにも使えます。ですが今は、守るために使います。あなたがそう判断したなら、私はその秩序を支えます」


澪の胸が熱くなる。


「わかった。セラフィナは防衛。絶対に無理に攻めない」


「了解しました」


フィリアが水路へ手をかざす。


「右から黒い流れが来ます。左へ逃げようとしています。でも、左は閉じた方がいいです。そこへ行くと、海へ漏れます」


「ミルカ!」


「わかってる! 左弁を閉鎖、右を半分、中央を少しだけ開ける!」


「少しってどれくらい!」


「感覚!」


「構造担当が感覚って言った!」


「うるさい! 古代装置が古すぎるの!」


澪は思わず笑いそうになった。


笑っている場合ではない。


だが、ミルカの声がいつもの調子を少し取り戻したことで、場の空気がわずかに軽くなる。


その瞬間、黒い根の虚無小体が天井から落ちてきた。


澪の頭上。


「ミオ!」


セラフィナの光剣が走る。


虚無小体を弾く。


だが、弾かれた黒い根が制御盤へ向かう。


「させません!」


フィリアのネレイアが青い水膜を張る。


黒い根が水膜に触れ、音を立てて溶ける。


「ネレイア、ありがとう」


フィリアが小さく言う。


青い精霊は、まるで返事をするように揺れた。


澪は、三人の動きを見た。


フィリア。

ミルカ。

セラフィナ。


ゲーム的には、かなり偏った編成だ。


タンク不在。

物理火力不足。

制圧力も低い。


だが今、この場所では正しい。


海の声を聞く者。

構造を直す者。

守る者。


強いか弱いかではない。


必要な理が、ここにある。


「ミルカ、進捗!」


「旧深層隔離槽、圧力調整中! でも主弁が固着してる!」


「セラフィナ、弁周辺の虚無を防いで!」


「了解」


「フィリア、弁は開きたがってる? 怖がってる?」


フィリアは目を閉じる。


「怖がっています。でも、開きたがっています。長い間、使われなかったみたいです」


「ミルカ、ゆっくり開けて。急に開けると壊れる」


「わかってる!」


ミルカが金色の構造線を弁へ伸ばす。


古い弁が、軋みながら回り始めた。


その瞬間、黒い種が反応した。


主管の奥から、赤黒い光が走る。


黒い根が水路を逆流し、澪たちの方へ向かってくる。


調律核に警告が浮かぶ。


《Another Route Seed:防衛反応》

《主管根部より虚無根群接近》

《隔離槽起動妨害》


「妨害してきた……!」


澪が叫ぶ。


「知性があるのですか」


セラフィナが言う。


「少なくとも、逃げ道を潰そうとしてる」


ミルカが歯を食いしばる。


「あと少し! 隔離槽が開けば、黒い種の流れをそっちへ誘導できる!」


「どう誘導する?」


「餌がいる!」


「餌?」


「黒い種が欲しがるもの! 残響に反応してたでしょ? なら、世界記憶を少しだけ流せば、そっちへ向かうかもしれない!」


澪の血の気が引いた。


世界記憶。


残響。


それはアオイたちの痛みだ。


「だめ」


澪は即答した。


「それは使わない」


「でも他に誘導材がない!」


「それでも!」


澪は叫んだ。


「残響を餌にはしない!」


ミルカが息を呑む。


フィリアも目を見開いた。


セラフィナは、澪を見た。


澪は震えながら言った。


「前回の私は、たぶんみんなを役割として使った。痛みを勝利条件のために使った。だから失敗した。ここでまた、残響を餌にしたら同じになる」


「では、何を使うのです」


セラフィナが問う。


澪は、自分の胸元の調律核を見た。


前回主調律ログ。

澪に似た声。

不完全一致。


もし黒い種が残響に反応するなら。


もし世界記憶に引き寄せられるなら。


澪自身の調律核に残った、前回主調律ログ断片を使えるかもしれない。


それは、アオイたちの痛みではない。


澪自身が受け止めるべきものだ。


「私のログを使う」


三人が同時に澪を見た。


「ミオさん?」


フィリアが不安げに声を上げる。


「前回主調律ログ断片。私の声に似た記憶。あれを隔離槽へ流す」


ミルカが叫ぶ。


「危ないよ! 主調律者の核に黒い種が逆流するかもしれない!」


「わかってる」


「わかってない! 下手したらミオが黒い種に引っ張られる!」


セラフィナも厳しい声で言う。


「許可できません。主調律者を失えば、全体の統制が崩れます」


「でも、アオイたちの残響は使えない」


澪は言った。


「私が開発者だから。知っていたから。痛みを設定として見ていたから。だから、ここで私が差し出すべきものは、私自身の責任だと思う」


フィリアが涙目で首を振る。


「そんなの、ミオさんだけが傷つく必要はありません」


「一人で背負うって意味じゃない」


澪は、できるだけ穏やかに言った。


「でも、逃げないって意味」


調律核が強く光る。


表示が浮かぶ。


《前回主調律ログ断片:転送可能》

《警告:主調律者精神負荷》

《警告:黒種逆流リスク》

《実行しますか?》


澪は、息を吸った。


怖い。


ものすごく怖い。


戦う力もない。

魔法もない。

盾もない。

自分にできるのは、見て、選んで、つなぐことだけ。


それなのに、今度は自分自身を黒い種の前に差し出そうとしている。


足が震える。


でも、澪は知っていた。


ここで逃げれば、また誰かを使うことになる。


開発者だからこそ、許されない。


その言葉が胸に残っている。


「実行」


調律核が、眩しいほどに光った。


澪の視界が白く染まる。


次の瞬間、彼女は海底に立っていた。


いや、実際に立っているわけではない。


これは記憶だ。


黒い水の中。

壊れた海底施設。

遠くでアビス・リヴァイアが沈んでいる。

空には白い輪。


エターナル。


そして、澪に似た誰かが膝をついている。


顔は見えない。


けれど、その人は泣いていた。


――ごめん。


声が響く。


――私は、知っていたのに。


黒い種が、その記憶に反応する。


赤黒い根が、澪の意識へ伸びてくる。


冷たい。


重い。


深い。


まるで海底へ引きずり込まれるような感覚。


澪は叫びそうになった。


その時、三つの光が彼女の周囲に現れた。


翠の光。


フィリアとネレイア。


金色の光。


ミルカの構造線。


白銀の光。


セラフィナの光剣。


「一人で行かせません」


フィリアの声が聞こえた。


「構造固定、こっちで持つ!」


ミルカの声。


「あなたは責任を負うと言いました。ならば、私たちはその責任が壊れないよう守ります」


セラフィナの声。


澪は、泣きそうになった。


一人で背負うのではない。


でも、逃げない。


その意味が、今少しだけわかった気がした。


澪は、前回主調律ログ断片を隔離槽へ向けて流す。


黒い種の根が、それに引き寄せられる。


赤黒い光が、主管から少しずつ剥がれ、旧深層隔離槽へ向かって流れ込む。


現実の海底施設で、ミルカが叫んだ。


「入った! 黒い種の一部、隔離槽へ入った!」


「閉じて!」


澪は叫ぶ。


「まだ全部じゃない!」


「全部待ったら逆流する!」


「閉じて!」


ミルカが歯を食いしばる。


「旧深層隔離槽、封鎖!」


重い音が響いた。


隔壁が閉じる。


赤黒い光の一部が、隔離槽の中に封じ込められた。


同時に、澪の意識へ伸びていた冷たい根が切れる。


澪は現実へ引き戻された。


膝が崩れる。


「ミオさん!」


フィリアが支える。


セラフィナの光剣が最後の虚無小体を弾き飛ばす。


ミルカは制御盤にしがみつきながら、肩で息をしていた。


「成功……半分だけ」


「半分?」


澪は息を切らしながら聞く。


「主管根部の黒い種、一部は隔離できた。でも根の芯が残ってる。アビス・リヴァイア側と、まだ細くつながってる」


調律核に表示が浮かぶ。


《旧深層隔離槽:起動》

《黒種根群:一部隔離成功》

《Another Route Seed:成長率 47% → 39%》

《主管根部拘束:低下》

《残存核芯:未分離》

《六理共鳴条件:未達》


六理共鳴。


その文字を見た瞬間、澪は理解した。


もう三人では足りない。


フィリア、ミルカ、セラフィナだけではない。

アオイ、ルシェリア、ライカも必要だ。


前線と後方。

港と海底。

海の声、構造、防衛、盾、黒霧制御、突破。


六つの理をつながなければ、最後の芯は切り離せない。


「ミオ!」


通信からアオイの声が響く。


「港側でアビス・リヴァイアの動きが変わりました!」


ルシェリアの声も続く。


「黒霧が引いています。しかし、中心に集まっています。次に来るのは、より集中した暴走です」


ライカが叫ぶ。


「海の上に、黒い柱みたいなのが出てる! あれ、まずいよ!」


セラフィナが顔を上げる。


「こちらも、これ以上は分断して対処できません」


フィリアがネレイアを抱く。


「アビス・リヴァイアが、最後の痛みを吐き出そうとしています。でも、黒い種の芯が邪魔をしています」


ミルカが制御盤を叩く。


「六つの接続がいる。港側三つ、海底側三つ。全部同時に合わせないと、芯が逃げる」


澪は立ち上がった。


足は震えている。

頭も痛い。

胸元の調律核は、さっきの負荷で熱を持っている。


それでも、今度は迷わなかった。


「全員をつなぐ」


澪は言った。


「三人しか前線に出られないなら、前線の意味を変える。港と海底を一つの戦場として扱う」


ミルカが目を丸くした。


「そんな使い方、できるの?」


「知らない」


澪は即答した。


「でも、仕様書外分岐に入ったんだから、仕様書通りに考えるのはやめる」


セラフィナが静かに微笑んだ。


「ようやく、開発者らしくない判断をするのですね」


「開発者だからこそだよ」


澪は苦笑した。


「仕様に縛られて壊れるなら、仕様を疑う。現場を見て、作り直す。それも開発者の仕事だから」


調律核が強く光る。


《六理共鳴条件照合中》

《摂理:未登録》

《調和:ルシェリア》

《循環:フィリア》

《構造:ミルカ》

《秩序:セラフィナ》

《流動:ライカ》

《発展:アオイ》

《主調律者:神代澪》

《共鳴条件:仮成立》

《次段階:六理共鳴》


海底施設が震えた。


遠く、沖合でアビス・リヴァイアが最後の咆哮を上げる。


港と海底。

人と海。

残響と現在。

開発者と世界。


すべてが、次の一瞬へ向かって集まり始めていた。


澪は通信石板を握りしめる。


「みんな、聞いて」


六人全員の声が、同時に返ってきた。


「はい」

「聞いています」

「聞こえています」

「準備できてる」

「いつでも!」

「命令を」


澪は、深く息を吸った。


「次で、終わらせるんじゃない」


彼女は言った。


「次で、つなぎ直す」


その瞬間、調律核が眩い光を放った。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


第9話では、澪が「開発者だからこそ、許されない」という責任に向き合いました。


澪は、自分の世界では六人をキャラクターとして設定し、種族、職業、能力、役割、物語上の痛みを設計していました。


けれど、この世界では彼女たちは生きています。


だから、澪は「仕様だから」「ゲームだから」「キャラクターだから」と言って逃げることはできません。


また、今回の海底施設では、前回主調律ログ断片が再生されました。


そこに残っていたのは、澪自身に似た声。


前回、討伐を選び、海底主管を壊し、間に合わなかった誰かの記録です。


澪はその記録を見たうえで、アオイたちの残響を餌として使うのではなく、自分自身の前回主調律ログを使い、黒い種の一部を旧深層隔離槽へ誘導しました。


その結果、《Another Route Seed》の成長率は下がりました。


しかし、黒い種の芯はまだ残っています。


そして最後に示されたのは、《六理共鳴》という次の段階。


アオイ、ルシェリア、フィリア、セラフィナ、ミルカ、ライカ。


六人全員の理をつなぎ、港と海底を一つの戦場として扱う必要があります。


次回、第10話「六理共鳴」。


第1部の結末へ向けて、澪たちの調律が本格的に始まります。


原案・構想:マスター

物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ