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福音伝達者は神にならない  作者: ユーカリの木
二部:白き街の暗部
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第一章:一日目 01

 レセナ・グランジャは重症を負って緊急手術中である。そう告げたのは公安部の誰だったか、ヴォルト・ハーデルは覚えていない。彼も光と衝撃によって昏倒し、先ほど目が覚めたばかりで、頭の巡りが悪かった。


 もはや身体は問題ないとばかりに病室を抜け、ヴォルトはすぐさま手術室へ行き、外界を拒絶するように閉じられた扉を眺めて呆然と呟いた。


「どうして俺は生きている?」


 簡単な問いだった。レセナが施術で干渉結界を張り巡らし、爆発を封殺したのだ。だから死亡者はひとりも出ていないし、せいぜいがヴォルトのように昏倒したか、頭をぶつけたくらいの軽傷者だけ。


 ニーフィア物語が催される劇場で、主人公と同名のレセナが英雄になった。ばかげた冗談だ。笑い話にすらならない。


 怒りに震える右手で壁を叩く。じんと痺れる感覚が、己だけがまだ生きている理不尽を痛感させる。


 なぜ、どうして、と疑問が浮かぶ。なぜレセナは狙われた。彼女の“有用性”は、政府の中でもごく一部の限られた者たちしか知らないはずなのに。


 個人的な怨恨? ばかばかしい。そんなことで施術爆弾なんてものを使っていたら、この世はどこもかしこも毎日爆弾騒ぎだ。


 隣国、ツウェルベル連邦の刺客かと考えを変え、すぐさま首を振る。あり得ない。福音伝達者が住まう首都カルヴァリアは、偏執的なまでに境界を守護されている。ひとつでも不審点があれば誰であろうが追い払われる始末だ。


 ふっとヴォルトは息を吐いた。誰がなぜやったかなど気にする必要はない。


「……殺してやる」


 心に秘めた憎悪に火を付けた。ヴォルトが動く理由など、それだけで構わなかった。


「おやおや、随分と物騒な科白ですねえ。私でなかったら、あなた、逮捕されていますよ?」


 男の気持ちの悪い猫撫で声がヴォルトに注がれる。俯いていた顔を上げると、黒のスーツに身を包んだ男が立っていた。腰まで届く長い髪を整髪料で撫でつけた男が、口端をいやらしく上げて笑う。


「久しぶりですねえ、ヴォルトさん。今回のことは非常に残念ですよ、ええ」


「トゥクロー。なぜおまえがここにいる? 施術士特別査問法院は今回の件でも出張ってくるのか? 越権行為甚だしいぞ」


「いえいえ、私はただあなたがたの古い知人としてお見舞いに来ただけですよ。ですが、今回はクリーファを用いた施術爆弾が使用されたと聞いております。我々の出番も近いかと思うのですがね」


「クソったれのトゥクローが。施術が絡めばなんでもかんでも口出しやがって」


「それが我々の仕事です。法を犯す施術士は我々が捕まえる。今回も憲兵隊や公安では対処しきれないでしょう。事件発生の段階で、事件は既に公安の手から離れているも同然。あの無能どもは対処に失敗したか、そもそも知らなかったのでしょう。できれば、前者であることを祈りたいのですがねえ。一から情報収集する必要もなくなりますから」


「事件は俺が解決する」


 法の前でいつも冷徹なトゥクローの目が丸くなる。


「あなたが? なにを言っているのですか。王立騎士団が憲兵隊の真似事など、聞いたことありませんよ?」


「どうでもいい。犯人は俺が探す」


「まあ、我々の邪魔をしない範囲で好きにしてください」


 トゥクローがひらりと身をひるがえし、来た道を戻っていく。ヴォルトは早々に視界から彼の姿を剥がした。


 殺す。殺す。殺してやる。


 脳内が殺意に溢れる。レセナに施術爆弾なんて贈り物をした奴に、報いを贈ってやる。


 視界が怒りで赤く染まり始めたヴォルトに、声が投げられた。


「ヴォルト! 無事なのね」


 ヴォルトは慌てて感情を消した。俯いていた顔を上げると、走ってきたのか軽く顔を蒸気させた女性が立っていた。長い髪を横に結んで垂らした彼女が、騎士団の白い軍服を着たまま近づいてくる。沈んでいた灰の瞳が、彼の顔を見て安堵に揺れていた。


 アイリーン・ハイハール。聖堂学院時代の友人で、同じ騎士団に所属する同期でもあった。治療を主任務とした衛生兵として戦場を駆け、ときに、負傷者を守るために強化した肉体で敵を屠る高位施術士だった。


「アイリーンか」


 アイリーンがヴォルトの両肩に手を置いて、下から顔を覗きこむ。衛生兵らしい、容態を診る観察眼。


「一体なにがあったの?」


「開演前にレナに施術爆弾が渡された。爆発寸前でレナがそれを封殺した。だが……」


 アイリーンの顔が青くなる。飛んだ視線の先には手術室。それだけで、彼女は理解したようだった。


「分かった。あなた、どうせ無理して病室から出てきたんでしょう? とにかく休みなさい」


「衝撃で吹っ飛んだだけだ。別に怪我なんかしちゃいない。それよりいまどうなってる?」


「憲兵隊が動いているわ。正直、私も何が何だか……。カルヴァリアの駐屯地にいたら、劇場で爆発事件があったなんて聞いたのよ。今日あなたたちが行くって知ってたから慌てて向かったの。劇場は何事もなかったみたいで、とにかく現場にいたクレスにヴォルトの居場所を聞いて、ここに来たの」


 ヴォルトは、つとめて心を落ち着かせて思考を回す。


 すでに憲兵は動いた。査問法院も”施術爆弾”が使用されたという情報を掴んだ。公安も行動を開始している。ここから、憲兵隊と公安、査問法院の足の引っ張り合いが始まる。


 敵を追う。だが、方法がない。騎士団――つまり軍人風情のヴォルトに、事件の捜査方法など分からない。


「アイリーン。俺は休暇を伸ばす」


 アイリーンの返答は早い。


「ひとりで動く気?」


「妹が爆殺されかけた。いまも意識不明で手術中だ。あんな、縄張り争いに必死な連中に任せてられるか」


 眉を下げたアイリーンが二歩下がる。


「憎悪を込めて殺してやる」


 アイリーンの長息。


「分かった。私も手伝うわ。あの子をこんな目に合わせた奴は殴らないと気が済まない」


 彼女の表情には怒りがあった。いま、復讐という感情を共有していた。


 ヴォルトは小さく笑う。


「せっかくの休暇だ。せいぜい暴れよう」



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