終章:いつもの場所で
前回からどれだけ経っただろうか。待ちわびた日は、いつだって心を揺らす。総合菓子店セーテムで、レセナはヴォルトと共に卓を囲んでいた。
当然、机の上には珠玉の宝石たち。甘いものを食べねば頭は働かない。だから、高かろうが自分がここに来ることは必然なのだ。とりあえず、そう思うことにした。
まずは一口、とフォークを口に運ぼうとしたところで、ヴォルトが呆れ声を出した。
「なあ、これ全部食べるのか? ひとりで?」
無視した。いまは、高いとか太るとか太るとかはどうでもいいのだ。ただ一口、それを味わいたい。レセナは己の欲求にただ忠実だった。
口内に広がるは、程よい酸味と甘みが効いた幸せの味。これこそが生きるに値する幸福なのだと、冗談抜きで信じたくなる。
「ヴォルトも食べる?」
「いらん」
「だよねー、だから全部わたしが食べる!」
「ああ、もう。好きにしろ」
コーヒーカップを手にしたヴォルトを尻目に、レセナはただ幸福の海に飛び込んだ。いつものケーキもいい。でも、新作も頬が落ちそうでたまらない。
たぶん、頬が野生のリスのようだったのだと思う。
いつの間にやら、微妙そうなヴォルトの表情がレセナに突き刺さっていた。一度額に手を当てたヴォルトが、首を振ってため息した。
「それで、結局事件はどうなったんだ?」
ああ、とレセナはフォークを皿に置いた。
「結局事件が終わってすぐにヴォルトは騎士団に戻っちゃったもんね。あーわたしすごく大変だったんだー」
「恨みがましく言うな。仕方ないだろ。軍人なんてそんなもんなんだから」
「はいはい、分かってます。そうだね、ひとまず色々決まったみたい」
紅茶を一口飲んで、現実を思い返す。
「学術院の法院長は本当に飛ばされたみたい。フィアラル法院長が掛け持ちするんだって」
「へぇー……は? 掛け持ち? 超人かあの人」
「頭おかしいよねー。やっぱ一代で法院長まで駆け上がった人って、頭の作りが違うのかな」
自然とフォークに手が伸びる。が、それをヴォルトに見咎められ、おずおずとカップへと方向転換する。
「査問法院は……さすがに無理だったね。あそこは歴史長いし後ろ盾もあるから。とりあえずは当時の関係者が更迭された程度」
「ならトゥクローは元気になさっているわけか。そりゃ残念」
トゥクローからすれば、事件現場でさんざん引っ搔き回され、組織内では粛清の嵐だ。たまったものではないだろう。もちろん、そんなことで同情するほどレセナは大人ではない。
「公安がもっと査問法院を潰せって結構うるさかったらしいけどね。あそこは仲悪いし、いまもやり合ってるんじゃない?」
「物騒なことだ」
「潰れるといいなあー」
「お前が物騒だよ……」
「やだなー、本心に決まってるでしょ」
もういいよ、とヴォルトがコーヒーを飲み下した。
「で、ゾルデたちはどうなった?」
「裁判があるからまだ分からないけれど。ゾルデは司法取引で終身刑。エミールは死刑。双子……ジーネとニーナは医療措置かな」
「あのロザリロンドが双子を捕まえられたことが恐ろしいよ」
「ああ、そのことならこの前ロザリロンドに聞いたんだよね。そこそこ強かった、らしいよ?」
ヴォルトが口をあんぐりと開く。
「あいつら高位施術士だぞ。しかも接近戦に特化してる施術士殺しみたいなもんだ。それを? そこそこ?」
「化物だよねー」
「化物だな」
ふたりしてうんうんとロザリロンドの規格外っぷりを思い出す。
ふいに、嫌な予感がした。
「いい度胸だな……。私を化物呼ばわりとは」
慌ててレセナが振り返る。
菱形状の乱れ髪に、背に伸びる二房の尾。猫を連想させる鋭い瞳。世界の中心軸を体現するように真っ直ぐに伸びた背筋。
「な、な、な、なんでここにいるの?」
驚きすぎて言葉がつまる。そんなレセナにあきれ顔を向けたロザリロンドが、空いていた椅子に座った。
「私用だ。私もたまに来る」
「休暇か?」とヴォルトの疑問。
「なんだかんだで法院長様の手足にされてな。ようやく解放された」
「そりゃお気の毒。せっかくだ、そこのケーキ食べてけよ」
「いいのか? というより、なんだこの量は……」
ようやく気付いたか、机を占拠するケーキの数を見て、ロザリロンドが若干うめく。思わずレセナはケーキ達を腕で囲った。
「あげないよ!」
時が止まった。きっと、このうえなく自分は馬鹿に見えているのだと、レセナは思った。
「ヴォルト、お前の妹は……その、なんだ。ときどき阿呆になるのか?」
本格的にヴォルトが頭を両手で抱えた。
「言ってやるな。こいつ、基本頭いいんだけど、頭使わないと馬鹿なんだ。だからいまこいつの頭の中はケーキしかないんだ。つまり馬鹿だ」
ロザリロンドの表情が微妙になった。笑えばいいのか、嘆けばいいのか、たぶん、本当に分からないのだろう。十秒ほど悩んで決めたか、妙に生暖かい視線を向けてぽん、と肩を叩いた。
「妙なことに巻き込んだことはすまなかったと思っている。だがレセナ、お前は賢い子だ。現実に返ってこい」
「あーもう、あーもう! 今日折角いいこと教えようと思ったのに! ふたりしてひどいんだ!」
まったく失礼な奴らだ。ぷんすかとレセナが腹を立てる。そんな姿を見て微笑むロザリロンドが、机に肘をついて顎を乗せた。
「平和だな。これがあるべきここの姿なのだろう」
「いまわたし怒ってるんだけど?」
言わんとしたことは分かっていても、レセナとしては正直もう引けない。認めたらただの食いしん坊だからだ。そんな心など透かしているのだろう、ロザリロンドが珍しく声をあげて笑った。目じりに涙まで浮かべている。涙をぬぐった修道女が遠くを眺める。
「それが平和の証だ。お前が悩み、行動した結果がそれだ」
事件が脳裏をめぐる。全部が必死だった。どうにもならない状況に追い込まれて、自身を定義し、解決とは言えずとも、決着はついた。
こんなことを、この平和の影で誰かがやっている。だからきっと、いまこの瞬間は確かに平和なのだ。
急に恥ずかしくなって、レセナはおずおずとケーキを差し出した。ロザリロンドが礼を言ってフォークを掴む。
「で、いいことってなんだ? 恋人でもできたか?」
ヴォルトが話題を変える。こうなれば、レセナはもう口に出さざるを得ない。
こほん、とわざとらしく咳をする。ついでに、反応が怖くて目をつぶる。
「わたし、教師になります」
返答はない。ちらり、と片目を開けると、ロザリロンドがケーキを口にしていた。
「いいのではないか? すくなくとも悪い方針ではないだろう」
絶句。ロザリロンドなら神殿に入る以外はありえないと斬り捨てるかと思ったのだ。
「え? わたし、あれだよ? あれだけど? いいの?」
「その指示語をどうにかしろ」
落差が激しい奴だな、と修道女が呆れ声を出す。
「別に、あれだけがすべてではない。かつて言ったろう。人は皆、神より与えられた使命があると。きっと、それがレセナの使命なのだろう。お前の本懐にも合っているはずだ」
「つまり?」
「別に反対する必要はないだろう。それに、私はお前の保護者じゃない」
あとは任せるとばかりに、ロザリロンドはケーキに視線を戻した。
ヴォルトを見る。彼は呆然としていた。なにやらもにょもにょと口を動かし、どうにかして絞り出した言葉がこれだった。
「お前、教員免許持ってるのか?」
レセナは快活に笑った。まさかそんなことを気にしているとは思わなかったのだ。
「大丈夫大丈夫、すぐ取るよ。わたし天才だからね」
ああ、とヴォルトが頭を落とした。
「こいつ、そういえばこんな性格だったな……。今回の件で元気になったと思ったら、馬鹿になりやがった……」
「失礼な! わたしは頭いいの!」
「分かった分かった」
ヴォルトが苦笑いを浮かべる。そんな二人を見て、ロザリロンドが店長のクイナを呼んだ。
「土産を頼む」
「はいは~い、リロリロの分ねエ」
クイナの天然ぶりは健在だった。あの炎の修道女が「リロリロ」呼ばわりされているのを見て、レセナは思わず吹き出しそうになった。
そんな他愛のない光景を眺めながら、レセナは思った。
重い現実は変わらない。国の汚い部分も、組織の矛盾も、きっと明日も続いている。
それでも、こうして笑い合える瞬間があるなら。ヴォルトと小さな喧嘩をして、ロザリロンドが変なあだ名で呼ばれているのを見て、クイナの天然ぶりに呆れて。
そんな他愛のない日常があるなら、それで十分なのかもしれない。
道は定まった。この平和を、この日常を守るために。
了




