第六章:黄金が蝕む白 05
血の雨が降っていた。ストラストを感覚したときに、何度も見た血が、降っていた。
嫌な光景だ。見たくもない光景だ。
少年が血だまりに崩れ落ちる。少年の眼前に立つ男が、刀を横に振る。赤が飛び散る。
少年の手が虚空を彷徨う。
「神よ……」
掠れてなお、心を震わす切実な声が、レセナの怒りを振り切らせた。
「これが、結末?」
フェリクスがレセナを一瞥する。修羅となった男は答えない。まだ”敵”が残っているからだ。
敵、そう、敵だ。まだゾルデがいる。国家に悪夢をもたらす敵がいる。警戒を解いてはならない。一時の感情で動いてはいけない。分かっている。
なのに、それでも問わずにはいられない。いまこの瞬間、レセナですら前提が覆ったのだ。
ここにいるはずのシスティーナがいない。真相究明が目的だったのに、敵を殺そうとしている。ここでレセナが問わねば、真実は再び闇の中だ。
「十年前、何があったの?」
すべては十年前に始まった。
「ストラスト研究所で、なにがあったの?」
フェリクスが無言のままゾルデへ近づいていく。ゾルデが後ずさりしていく。
「どうして、ツウェルベル連邦が関わっているの?」
誰も応えない。レセナの問いなど蚊帳の外。劇が勝手に動いている。
「査問法院は? 学術院は? なにがどうしてこんなことになったの!」
「レセナ様」
フェリクスの咎める声。
「その疑問は、こやつを捕らえてからで良いでしょう。だからどうか何卒、そこから動かぬよう……」
レセナは嘲笑った。
「捕らえて? 拷問して? すべて聞き出したら闇に葬る? それとも、政敵でも糾弾する?」
国のやり方は知っている。どれだけ悪辣か、よく知っている。
フェリクスの目が細くなる。
「我々の範疇ではございません」
心臓が狂いそうな憤りで、レセナはがりがりと頭をかいた。
「その無関心がこれを引き起こしたんじゃないの?」
フェリクスの刀が、一瞬だけ、ぴくりと動いた。
「誰もかれもが、自分たちの組織がって、真実を追い切れなかった結果が、この有様でしょ!」
吼えるたび、レセナの中で怒りが煮えたぎる。疑問ばかりあるはずなのに、この場の決着がついてしまえば、きっと答えはどこかへ行ってしまう。
「楽だよね。そうやって組織の論理に縛られたままなら、頭使わなくていいもんね。責任だって、ないもんね」
ゾルデが壁に追い立てられる。だが、フェリクスは動かない。
フェリクスに、カルラに、そしてここにはいないフィアラルに、レセナは思いっきり軽蔑を投げてやった。
「所詮、神天院も組織の犬なんだ」
「そこで止めておけ」
ロザリロンドの声が滑り込んだ。ふり向くと、傷だらけの炎の修道女が、困った顔で立っていた。
「その怒りは分かる。理解できる。だがその二人に言ってやるな。我らも、組織人としては末端だ。ろくに知りはしないんだ」
「だけど!」
「分かっている」
レセナの怒りをロザリロンドはただ受け止めた。ひとつ頷いてゾルデとフェリクスのもとへ歩き出す。
「我々の任務は猊下に仇なす敵の排除。ただ、私たちが命じられたのはゾルデの確保だ。殺すことではない。だからフェリクス、刀を下せ」
一度瞑目したフェリクスが、刀を鞘へ納めて下がった。
「カルラ、それをやめろ。今すぐにだ」
ロザリロンドが振り返りもせず言った。表情を消したカルラが腕を下す。
ロザリロンドがゾルデの前に立つ。
「ゾルデ・クーパー。すべてを白日の下に晒す」
ゾルデの身体がわななく。
「炎の修道女が……俺を殺さないだと?」
「殺さん。そもそもがそういう命令だ。お前を確保し、十年前の真相を解き明かす。それが目的だ」
ゾルデの表情には疑問。
「復讐はそれで良しとするんだ。もう、酷死天使の制御を解け。これが、私から提示できる妥協点だ」
抗えば死。言外の意味が理解できたのだろう。ゾルデが力なく膝から落ち、両手で顔を覆った。
「なら、エミールを治療するんだ。奴は今回の件の指揮官だ。俺よりも詳しいだろう」
「いいだろう。レセナ、頼む」
言われて、レセナはエミールに駆け寄った。血に濡れた彼には、まだ息があった。秘跡体系で治癒を開始する。
「すべてが、正当に裁かれるのか?」
炎の修道女が膝をつく。
「ローザンヌの名に賭けて誓おう。お前の十年は、無駄ではなかった」
十年前、復讐を誓った男がむせび泣く。
ようやく、酷死天使事件の幕が下りた。




