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生き方を忘れてきた私たちは  作者: 奈良ひさぎ
第一章 降りしきる悪意の中で
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八、彼女のゆくえ

 悪い予感はしていた。


 きっちり二か月間の任務を終えて、スマホを見ると真鈴さんからメッセージが来ていた。三日前くらいのことだ。


『クローゼットが玲央さんの服で圧迫されているので、片付けお願いしますね』


 例の三白眼のウサギがぷんぷん怒っているスタンプもついていた。その時はそんなに圧迫するほど服なんて買ってたか、と不思議に思う程度だった。家に帰り、壁掛けカレンダーで真鈴さんの出勤日を確認する。マルがついていて、今日は出勤日だということが分かった。


「……っ」


 その時、何か明確な根拠があったわけではない。なぜか、真鈴さんの働いているコンビニに顔を出そうと思ったのだ。そして現地では、克矢の両親が慌てており、俺の姿を認めるとこちらに駆け寄ってきた。


「何か、あったんですか」

「柏さんが出勤してないんだ」


 勤務態度的にも、性格的にもあり得ないはずなのに、突然真鈴さんが無断欠勤をした。一度そうするだけで周りが対応に慌てるほど、彼女は真面目なのだ。そして冷や汗が背中を伝ったのは、俺も同じだった。守りたい、守らなければならないと決めた人が、俺のもとを離れてしまったのだから。


 真鈴さんが頼りにできる人は、俺たち以外に誰かいるだろうか。考えてみたが、思い当たらない。お母さんに生活費を援助してもらっているという話はちらっと聞いたことがあるが、それだけだ。突然一人でふらっと出かけたにしても、その場所の想像がまるでできないのだ。結婚する前から旅行も一緒に行きたい、と言うほどだった。


「クローゼット……」


 そうだ。わざわざ真鈴さんは俺に、クローゼットを片付けろと言っていた。なんとか彼女に連絡する手段はないかと考えた末に、ふとそのことを思い出した。急いで家に戻り、クローゼットを開ける。俺の厚手のコートの右ポケットが不自然に膨らんでいた。中身は便箋だった。



――


この手紙に気づいてくれてありがとうございます。

玲央さんがこれを読んでいる時点で、私は(さら)われています。自分からいなくなっているわけではありませんので、どうか私のことを探してください。よろしくお願いします。


誰に攫われたのか、その可能性がある人は一人しかいないので、その話をします。


私には、二人の母親がいます。私を産んだお母さんと、育てられた母親です。産んでくれたお母さんは、星芒市の外にいて、私にこっそりと金銭的な援助をしてくれています。いつか、近いうちに玲央さんを紹介したいと思っています。玲央さんのもとに、無事に帰ってこれたなら、必ず。


育ての母は、今も星芒市に住んでいて、実質的な私の管理者に指定されています。私は実験失敗で混乱している隙を狙って、母のもとから逃げ出してきました。警備の厳しい『レベル1』の施設を突破してここまで来たので、私が通ったその瞬間から決死の捜索がされていたはずです。ここまで何ヶ月も見つからずに、あなたと一緒にいられたことが奇跡なんです。


『レベル1』施設の出入りは、一人ひとり厳格に記録されています。たとえ星芒市最深部の関係者でも、何重にも組まれた許可申請が下りなければ不法通行とみなされます。私の連れ戻しを命じられた母が、そんな煩雑な許可申請をしてから出てくるとは思えません。母もまた実験台にされた一人であって、星芒市の管理下にあります。私の捕獲に失敗すれば命はないからです。逆に私を連れ帰ることさえできれば、許可申請を意図的に怠ったことは見逃してもらえると、母なら考えるでしょう。


私が母に追われていたのと同じように、母もまた『レベル1』施設の職員に追われています。もし玲央さんのご帰還が間に合えば、私はそう遠くには連れ去られていないはずです。どうか、よろしくお願いします。


――



 彼女は俺との生活に嫌気が差してしまって、一人どこか遠い所へ行ってしまったわけではない。それが分かっただけでも、幾分か救われた。が、問題が解決したわけではない。真鈴さんが細かく人の悪意を感じ取れるのだとすれば、自分を連れ戻しにやってきた育ての母の悪意は精神を追い詰めるものとして迫ってきたはずだ。何かしらの手段を使って一人で逃げたとしても、捕まるのは時間の問題と考えてこの手紙を残したのだ。


「どうする……どうすればいい?」


 星芒市まで行くか?明確には分かっていないとはいえ、つくば市の近くにあるということは聞いている。しかし、俺が単身で動いたとして、何か解決できるとは思えなかった。俺は平均よりもガタイのいい自衛官だが、自衛官が頼りになるのは、マンパワーあってこそだ。星芒市にたどり着けたとしても、土地勘がなければただ迷っているうちに捕まり、強制送還されるのがオチ。


「せめて、星芒市の関係者に知り合いがいれば」


 内情の分かる味方が一人いるだけでも、手がかりのつかみやすさはだいぶ違うだろう。そう独り()ちてから、一つのつてを思い出した。俺は真鈴さんからの手紙を握りしめたまま、電話をかけつつ外に出る。相手は、克矢だ。


「頼みがある。……お前、星芒市の関係者なんだろ。真鈴さんがどこに行ったか、手がかりを一緒に探してくれないか」


 しばし、沈黙があった。それは克矢が正体を打ち明けるまでに逡巡した間だったのだろうと俺は思ったが、違った。


「……そこに首突っ込むなら、それなりに覚悟が要るぞ。いいんだな」

「それくらいの覚悟がなきゃ、妻一人すら守れない」

「……そうだったな」


 克矢は一度ため息をついてから、話を続けた。


「言っておくが、俺は星芒市と直接関係があるわけじゃない。信じてないかもしれないが、俺は何の関係もない普通の県庁職員だ。関係あるのは、俺の伯母さん。伯母さんが星芒市についていろいろ知ってる。その理由も俺は知らない。俺が提供できる情報は、これだけだ」

「なら、その伯母さんに会わせてくれ」

「それはたぶん、無理だ。伯母さんは病気で、入院してかなり経つ。治らない病気だとかなんとか、聞いたことがあるんだ。お前みたいなできた人間は嫌いじゃないだろうし、快く取り合ってはくれるだろうけど」

「連絡先は」

「待て、俺から連絡する。一応、確認しとかないと」


 克矢の行動は早く、その日じゅうに連絡を入れてくれた。克矢の伯母さん本人から、電話でよければいつでもいいと連絡が来たのは、その日の夜のことだった。

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