五、レベル1
彼女が持っていたあの夜空色のカードは、やはり大事なものだったのだ。そしてどうやってあの居酒屋に俺たちがいると突き止めたのかは分からないが、克矢の話は合っていたのだろう。彼女は俺たちの知らない、公になっていない街の出身で、そこでは超能力に関する何らかの実験が行われている。彼女も何かしらの形で、その実験に関わっているのかもしれない。
「だとしたら……おかしい」
一方で引っかかることがあった。取り乱してあんな勢いで奪い返し、逃げ出さないといけないようなものを、どうしてポーチの見つかりやすい場所にしまっていたのか。あのカードは克矢に見せられて初めて見たものではない。彼女とお茶をした時、すでに一度見ている。気づいていたかどうかは分からないが、俺の頭の隅には記憶として残っていた。どこかの店のポイントカードにしては無機質すぎるし、ホテルや会員制のお店のカードキーにしては華美すぎる。怪しい実験都市における身分証明書だというなら、それが一番しっくりくる気がしなくもない。
「あえて、見せていた……?」
この子には何かあると、気づいてほしかったのかもしれない。そして時が来たら、自分から言うつもりだった。克矢があのカードに気づいて、しかも星芒市のことを知っていたために想定外のことが起こったのだとしたら。克矢や親父さんには言いたくなくて、俺には言うつもりだったのか。俺と克矢の何が違うのかは、分からなかった。
「……とにかく、謝らないと」
克矢が勝手にやったことであるにせよ、思わぬ形で彼女がまだ隠していたかったことが明るみに出てしまったのに違いはない。悩んでいるうちにすっかり時間が遅くなってしまったので、翌朝家事が一通り片付いたところで隣の部屋のインターホンを鳴らした。
「はい……」
俺の部屋と同じものなら、誰かがインターホンを鳴らした時点でカメラに誰が来たか映るようになっている。相手が俺だということが分かった状態で、彼女が出てくる。
「あの、昨日は」
「この後、っ! ……お時間は、ありますか……?」
俺の声を遮って、絞り出すような声で。覚悟を決めたように、足の細さを活かしたストレートパンツをはいた彼女は俺を二度目のお茶に誘ってきた。
「お、今日はベイクドチーズケーキ、ありますね」
「えっ? あ、……そ、そうですね」
「じゃあ俺はこれにしようかな」
「私は、以前下市さんが頼んでた、レアチーズケーキの方にしようかな……」
消え入りそうな声でしゃべる彼女。少しでも重い空気にしたくなくて、あの話題に意識的に触れないようにしていたが、それが伝わっているかどうか。しかし席に着くと、例の話からはお互い逃れられずに、少しの間沈黙を作ってしまった。
「……俺は」
「私は、……私は、自分のこと、知ってほしくて」
俺が何か言わないと始まらないと決心し、口を開いた。全く同じタイミングで彼女が啖呵を切った。気まずくなってもう一度沈黙を作った後、今度は彼女から再度言葉があった。
「自分で、言いたかったんです。言い出すきっかけが欲しくて、気付いてほしかったのはそう、なんですけど」
「あのカードのことですか?」
初めて一緒にケーキを食べた時とは違って、彼女は自分から例のカードを取り出して、俺に見せてきた。相変わらず綺麗な、田舎で見るような星がいくつも散りばめられた夜空をかたどったカードだった。
「荘原さんは、どこまでご存知でしたか」
俺は克矢から聞いた話をそのまま伝える。星芒市という公式にはないはずの街があること。そこでは人体実験をしているらしいということ。そして、禁止になったはずの超能力の研究が、秘密裏に行われているらしいということ。すると、確かに彼女が小さな声で「……レベル1、ですね」とつぶやいた。
「『レベル1』?」
「まず、……私が、星芒市の出身だというのは事実です。公には存在しないはずの街だということも。そして、私はそこから逃げ出してきたんです。街の外にいたお母さんから援助を受けて、今一人暮らしをしています」
「じゃあ克矢が言ってたのは、ほぼ事実なのか」
「はい。……星芒市は、同心円状の、いわば中世ヨーロッパの、城塞都市のようになっていて。その一番外側を守っている職員のみなさんが知っている情報を、『レベル1』と呼んでいます」
「つまり、もっと外には知られてはいけない情報があって、それも柏さんは知っていると」
「……私は、実験を受けていた、張本人なので」
実験をしていた方ではなくて、安心する自分がいた。心優しさを体現したような彼女が、悪事に直接関わっていないと言ってくれた。それだけで、もっと力になりたいと思えるのだから。
「だから、荘原さんがどうして『レベル1』の情報を知っているのか……」
「結局、聞けなかったんです」
「親族の方が『レベル1』職員か、あるいは荘原さんご本人が」
克矢は県庁勤務だ。だが県庁で具体的にどんな仕事をしているかまでは、詳しく聞いたことがない。克矢の方こそ、実験に関わっていない証拠を出すことは、俺にはできないのだ。
「いずれ、聞いておかなきゃいけませんね。克矢が何者なのか」
「怖く、ないですか? ……玲央、さんは」
「……怖いか怖くないかで言うなら、怖いですよ」
突然名前呼びしてきたことに驚きつつ、少しの間で冷静さを取り戻してから言葉を返す。
「でも、真鈴さんのような人を生み出してしまった街があって、それに加担しているのだとしたら、たとえ友達であっても糾弾しないといけないと思ってるので」
「……っ!」
自分からやったくせに、こちらが名前呼びをし返すと彼女は目を丸くしてこちらを見つめてきた。真鈴さん、と呼ぶのは不思議としっくりくる。最初からそう呼べばよかったと思うほどに。
「私の言ったこと、……信じてくださるのですね」
「逆に、信じない理由がありますか?」
「あ、……気分を害されたのなら、すみません」
すぐさま真鈴さんが謝ってくる。不自然なくらい、二手三手先取りした行動を疑問に思っていると、そのまま彼女が続けた。
「いや……違う」
「怒ってないし、責める気もないですよ。素直に、真鈴さんの言うことなら信じられるなって思っただけなので」
「はい。……玲央さんにそういうつもりが全くないことは、私にも分かるので」
「……?」
「私は実験を受けた副作用で、人の悪意がどのくらいのものか、数値化されて見えるんです。……玲央さんは私が知っている人の中で、一番、悪意を感じなくて。だから、……不思議と、玲央さんへの興味が尽きないんです」
この子は自分が何を言っているか、分かっているのだろうか。俺は内心どぎまぎしながら、その後の世間話も嬉々として話す真鈴さんに対面していた。




