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生き方を忘れてきた私たちは  作者: 奈良ひさぎ
第弐章 霞んだ記憶を頼りに
17/23

拾漆、失われた記憶のために

「よく、分かりましたね。僕が記憶喪失だって」


 まるでトリックを明らかにされた犯人のような口ぶりで陸君が言った。そこは横浜国立大学の食堂、シェルシュ。大学の敷地に入ったことすらない真鈴さんが、そこで陸君と千裕さんの二人にもう一度会いたいと希望したのだ。お昼時は当然、二限終わりの学生で大混雑するので、経済学部の陸君と千裕さんが三限からの日を選んで会ってくれることになった。


「なんだか、五年以上連れ添っているにしては、ぎこちなさを感じたので」

「鋭いな、やっぱり悪意が肌で感じられる子は違う」

「どこからどこまで、覚えていないんですか? 私のことを覚えているということは、全部ってわけじゃないんですよね」

「……僕の記憶は、五年前で一度ストップしてる。ちょうど、星芒市を抜け出せた頃まで。それ以降の記憶は、たぶんない。直近一週間の記憶はあるけれど、日曜日の朝にリセットされる」


 つまり物心がついてから星芒市に連れ去られ、そこから抜け出すまでと、直近一週間の記憶しか陸君は持っていない。それだと千裕さんとの関係も危なくなりそうだが。


「ちーちゃんが幼馴染で、すごく仲が良かったことは昔の記憶で覚えてるから、リセットされるたびにちーちゃんとは付き合ってるんだって、インプットし直してるんだ。日曜日にリセットされるっていうのも、何回も記憶がなくなるのを繰り返して経験で学んだだけで。……でも、星芒市から脱出して、命からがらちーちゃんのもとにたどり着いて身を寄せられた日も、たぶん日曜日だったんだろうな」

「……それは、やっぱり実験の後遺症なんですか」

「そうじゃない?」

「PTSDの一種だって診断されたし、実験の後遺症だって考えるのが一番自然でしょ」


 俺は基本的に黙って話を聞き、時々カレーライスを口に運ぶ。横須賀が比較的近い横浜の地とあってか、時々海軍カレーコラボをやっているようで、今日がたまたまその日だった。そういえば家で最近カレーを作ってないな、と考えていると、俺の手はいつの間にかカレーライスに伸びていた。牛肉がゴロゴロ入っていて、タンパク質もよく摂れそうだ。

 しかし黙って聞いている中でも、違和感は確かにあった。真鈴さんは陸君を助けたい、記憶を取り戻してほしいと願っているが、肝心の陸君の方に記憶がなくて苦しんでいるとか、記憶を取り戻したいとか思っている様子がない。それどころか、現状に満足しているようにさえ見える。千裕さんもそうだ。今さえよければそれでいい、というのは言い方が悪いだろうか。


「私……お手伝いできることがあれば、なんでも」

「大丈夫。僕にはちーちゃんがいるし、ちーちゃんには僕がいる。真鈴ちゃんは優しいから、心配してくれるだろうし不安になるのも分かるけど、真鈴ちゃんはまず自分のことを大事に生きてほしいかな。せっかく、大事な人ができたんでしょ?」

「そうです。……そう、なんですけど」

「真鈴ちゃんの方こそ心配になるよ。まだあの街とは縁が切れてないだろうし、あの街で生まれ育った女性だから、また連れ戻されるかもしれない」

「私は……」


 大丈夫です、と言おうとして口ごもった。心配をかけさせまいとして出かかった言葉が、一番陸君を心配させてしまうと気づいたのだろう。逆にもし何かあればいつでも連絡待ってるよ、と陸君に言われ、真鈴さんが何も返せないまま時間切れになった。学生がわっと押し寄せて、男子四人組に席を譲ってほしいと声をかけられた俺たちは食堂から退散した。そのタイミングで、陸君と千裕さんとも別れることになった。


「……玲央さん」

「うん?」

「玲央さんは、陸さんが大丈夫に見えましたか」

「真鈴さんには、やはり大丈夫には見えなかったんですね」


 帰り道、真鈴さんが俺の言葉にそっとうなずく。


「本当に助けが必要な人は、助けてほしそうには見えない……私には、陸さんがそう見えるんです」

「……っ!」

「助けが必要なら、助けてほしいと声を上げるべき、というのは置いておくにしても、五年間の記憶がなくて千裕さんとこれから先も上手くやっていくなんて、私だったら自信がありません」


 ぎゅ、と真鈴さんが俺の袖を握る。俺が真鈴さんを守らなければと決めたのは、音になって聞こえそうなくらい、彼女から不安を感じたから。そして、真摯に相手のことを想える可憐さが、清々しいくらい真っすぐに伝わってきたから。助けてほしいという念を感じたから今の関係があるが、周りに助けを求めるのが上手い人ばかりとは限らない。もっと不器用で、本当は直接言葉にして伝えないといけないくらいの人だっているはずだ。


「お節介なのは、分かっています、でも」

「もし、今真鈴さんが陸君と同じ状況になったら、真鈴さんはどうしますか」

「迷わず、記憶を取り戻しにいきます。……私は、楽しいことも嬉しいことも、悲しいことだって、玲央さんと共有したいですから。月並みなのかもしれないですけど、楽しいことと嬉しいことは二倍に、悲しいことは半分にできます」


 俺は心のどこかで、二人がいいというならわざわざ介入する必要はないと思っていた。薄情なのではなく、これ以上二人の個人的な事情に介入するのはそれこそお節介だし、別に助けてほしいと思っていないだろう、と勝手に判断していた。しかしそれは、困っていると決めつけて人を助けるのと同じくらい勝手なことなのだ。


「……分かりました。協力します」

「ありがとうございます……!」

「でも、何か策はあるんですか? 記憶喪失って、強いショックとか心を揺さぶるような出来事がないと……」

「伝手は、あります」


 真鈴さんの言う「伝手」は、俺にも想像できるものだった。というより、真鈴さんと陸君をつなぐ共通部分として何があるかを考えた時に、その数は限られるから自ずと答えが出た。


「もしもし」



『……なるほど。君たちにはもう少し、情報を伝えなければならないのかもしれないな』

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