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生き方を忘れてきた私たちは  作者: 奈良ひさぎ
第弐章 霞んだ記憶を頼りに
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拾伍、八景島シーパラダイス

「ありがとうございます。よかった、お休みが同じになって……」

「あんまりイメージなかったです、こういうところに行きたいだなんて」


 真鈴さんの生みの母である真綾さんに会い、星芒市の抱える秘密がまた一つ明らかになってから、次に迎えた二人の休日。俺たちは八景島シーパラダイスに来ていた。俺の提案ではなく、真鈴さんが一度行ってみたいと強く希望した結果であり、彼女のことを水族館よりも本物の海に行きたい派だと思っていた俺は驚いた。


「本物の海の方が行きたそうって……それって、私の水着姿を見たいだけなんじゃないですか?」

「そうとも言います」

「やっぱり……玲央さんって、そこに異様な執着がありますよね」

「執着ってほどでもないと思いますよ? 真鈴さんは何を着ても似合うってだけで」

「うーん……まだそんなにアブノーマルな癖じゃなかっただけ、よかったと言うべきなのか……」

「そんなにですか?」


 日焼けしたくないとか、肌の露出を嫌うとか、そういう理由ではなさそうなだけになぜ嫌がるのかが分からない。単純に恥ずかしいからだとしても、ちょっと嫌がりすぎな気もする。とはいえ、無理やり着させるのはよくないので水着の話はそれくらいにしておく。


「で、どうして水族館に?」

「海にはそれほど惹かれないのですが……水の底に一度、沈んでみたいって気持ちがあるんです」

「……カウンセラーを紹介しましょうか」

「そ、それって私が死にたがってるみたいじゃないですか!」

「違うんですか」

「違いますっ! その……水の底に沈んでみたら、心が洗われて、私ももう少し純粋で素直な人間になれるんじゃないかって、考える時があるんです」

「真鈴さんは今でも、十分すぎるくらい素直ですよ」

「……悪意が見えすぎるのって、ちょっと疲れるんです。明確な悪意を向けられているんだとしたら、その人と付き合うべきではないと分かってしまうので。最初から人とのかかわりの範囲が狭まってしまうのは、やっぱり、悪いことをしている気がして。その人も、何か私に悪意を向けざるを得ない理由とか、事情があるんじゃないかって、思ってしまうんです」

「だとしたら、真鈴さんはすごく優しいですよ」

「え?」


 だって、どんな悪意にでも理由があると考えてしまうのは、生まれ持った優しさがそうさせるはずなのだから。


「何一つ、悪いことはありません。真鈴さんは水族館が好きな優しい女性なんだなと、分かっただけです」

「また、そういうことを淡々と……!」

「言ってほしかったんじゃないんですか?」

「……っ」


 最近そういう言葉をかけてほしくて、あえて言っているんじゃないかと思うようになってきた。別に普段から言い慣れているわけでは全くないのだが、真鈴さんの前だと不思議とすらすらそんな言葉が出てくる。


「というか真鈴さん、大丈夫なんですか、こんなに外出ばかりして。一応、星芒市から逃げ出している身なんですよね?」

「しっ」


 どこで誰が聞いているか分かりませんよ、と真鈴さんが俺にささやく。温かい吐息が耳にかかってくすぐったい。大きな声で星芒市なんて言わないで、と上目遣いで訴えてくる割には、変装など正体がバレないようにする工夫は一切していない。

 柏菖蒲の一件で、星芒市の職員が監視を強めていると蓬さんは言っていた。同時に対象である真鈴さんの隣に、俺という自衛隊員がいることも把握されている。うかつには手を出せないのだろうが、逆に言えば俺や真鈴さんがトイレに行くなどして一人になるのを狙われて、攫われてしまう可能性はあるということだ。何をするにも手をつないで二人ずっと一緒、というのも非現実的なので、やはり外出時はなるべく警戒するくらいしか対策がない。と、心配する俺とは正反対に、連れ去られた張本人の真鈴さんは楽観的だった。


「攫われるまでは、数ヶ月無事でいられたので。それに、隣に玲央さんがいますし」

「24時間365日、一緒ってわけにはいきませんからね」

「玲央さんは心配しすぎです」

「一回攫われておいて、なんでそんなにお気楽なんですか……あの時は本当に心配したんですからね」

「悪意のない人と一緒にいられるというのは、そういうことです。綿菓子のように、私の気持ちも軽くなるんです」


 水族館の規模は桁違いだ。博物館はどうにも息苦しくなってしまうから苦手な俺だが、水族館は自然の脅威を感じさせるほどの規模であっても平気だった。それは空気に囲まれて呼吸して、当たり前のように生きている俺たちが、例えば水の中に棲めるようになったらどうなるのだろうとつい考えて、夢中になってしまうからなのかもしれない。水の中は息苦しいなんて概念があるのだろうか。俺もたまたま星芒市なんて関係ないところで生きてきただけで、何か間違えば実験をする側になっていたのかもしれない。そうすれば、閉じ込められて感じる息苦しさが、もう少し深く理解できたのだろうか。


「玲央さん、玲央さん。このモチモチイルカくじ、やってもいいですか」

「一回だけですよ? もう真鈴さんのベッド、ぬいぐるみでいっぱいですよね」


 アクアミュージアムからほど近い、ジンベエSHOPという売店にやってきていきなり、真鈴さんが少女のように目を輝かせておねだりしてきた。真鈴さんはとにかくたくさんのぬいぐるみに囲まれて寝るのが好きらしく、最近とうとう俺の領域にまでぬいぐるみが侵入してきた。が、別に悪い気はしないので特に悪意を乗せずに言うだけ言うようにしている。ぬいぐるみの並びを見る限り、ほとんどが一番小さなサイズをもらえるくじのようだったが、見事に二番目に大きなサイズを引き当てて戻ってきた。


「こういう引きの強さはさすがですね……」

「……あ、あっ!」


 かと思うと、真鈴さんは驚きの声を上げて、その大きなイルカのぬいぐるみを俺に押しつけ走り出してしまった。彼女はふれあいラグーンの方へ歩いていくカップルの前で止まって彼らを呼び止め、何やら話し始めた。どうやらカップルの男性の方に用事があるらしい。


「誰だ……?」


 真鈴さんのコミュニティに心当たりはなかった。俺の知らない男性と、いつの間にか仲良くなっていたのだとしたら。そう考えて、どうやら俺が嫉妬しているらしいということに気づく。彼女がぱたぱたと足音を立てて戻ってくるまで、俺は頭の中でもやもや考え事をしてしまっていた。

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