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8.校外学習。関根、開花。

この回は長いです

 校外学習は現地集合だった。五月末の土曜日の浅草駅は、外国人観光客と年配の方でごった返していた。人混みを抜けて浅草寺へ向かう。何度か道を曲がりながら歩くとようやく寺が見つかる。敷地内に入ると級友たちが塊になって話している。その中にミネタがいるので右手を揚げて合図する。そうして僕も輪の中に入る。人が多いねだとか、あの店が美味そうだとか、そんな話をしている。僕は積極的に加わることなく、愛想笑いを浮かべる。


 集合時間が近づくに連れ、生徒の数も増える。それでもまだ関根と橋本は来ない。ついには担任の松井が出欠を取り始める。そのときようやく二人が到着する。二人が最後の生徒で、松井は少し声を大きくして注意する。橋本は「すいませんっ」と高い声で言い、関根は真顔で頭を下げる。


 全員が来ているのを確認すると、松井は各班が出発するのを見送る。僕らの班が最後になる。出発前にありがたいお小言を頂く。


 大した内容はないので、了承した素振りを見せてさっさとずらかってしまう。ここからは昼に点呼を取るまで自由時間だ。正直なところ、当日するべきことなどほとんどなかったから、班の課題だけ済ませて帰ってしまうか、もっと娯楽施設の多い場所へ遊びに行くかしたかった。しかしそうするとまた松井に絡まれて面倒くさいので、近辺を散策して時間をつぶそうと思っていた。


 人口過密の仲見世通りを四人でまとまって歩くのは困難を極めたので、しばらくは別々で歩くことになった。

 とは言うものの、ミネタの行動はあざとい。怪我したら大変だからという建前の元に、橋本の華奢な肩に手を置いている。橋本の肩まで届きかけの艶っぽい黒髪がミネタの手を掠めくすぐったそうだ。嫉妬、というより何か羨ましく感じてしまうのはなぜだろう。


 一方の僕と関根はと言えば、本当に離れて歩いている。関根はぐんぐんと歩を進め、気づいたら見えないところまで行ってしまう。もちろん性格の違いはあるだろうが、せっかくだからもう少し一緒に歩いて話でもしたかった。その気持ちを伝えるべきなのだろうか。僕にはよくわからなかった。


 人を人で洗うような通りを抜けると、鮮血のような色の雷門があった。写真で見るより大きく感じたが、それだけだった。無感動だったので、まとめも無難なものにするしかない。巨大で派手な門が建立されたことで物珍しさに人々が集まり、寺と門をつなぐ通りを中心に商業が栄えているのを肌で感じました。なんと月並みな感想だろう。


 所在なげに門の前に立っていると、今度はいつの間にかミネタと橋本がいなくなっていた。同じく立っているだけの関根に聞くと、人混みを指さして「消えた」と言った。


 時間をこの周辺でつぶすためには、ミネタの存在が必要不可欠だった。放っておいても話し始める奴の存在は、こういうときに最大の輝きを見せる。しかし、あろうことかそのリーサルウェポンであり唯一の活路である存在を失ったことで、僕の前途は暗い闇に閉ざされてしまった。


 これからどうしようか、賑やかな人混みで会話もままならない二人が数時間を共に過ごすのはまさに苦行の二文字ではないか。だとすれば、このまま点呼など放棄して帰ってしまえばいいのではないか。どうせ進路のことでそのうち召集がかかるのだから、結局面倒くさいことが起こるのに変わりはない。


 勇敢なる提案を試みる。

「帰らない?」

「そうだね」またもや凛とした「そ」である。


 少し安堵して空を見て深呼吸をする。そしてまた関根を見ると、彼女は浅草駅から逆方向へ歩き始めていた。

 呆気に取られたのち呼び止めるものの、彼女は歩き続ける。そろそろ追わないと姿を見失ってしまうというところまできて僕は駆けだした。


 最悪の場合でも、浅草駅を使わなくても帰途につくことはできるのだった。僕ら生徒は基本的に西武池袋駅から山手線に乗り換え上野駅経由で浅草に来ていたから、雷門から浅草駅の反対方向へ歩けばゆくゆくは上野へ戻れるはずだった。

 しかし電車で五分の距離と言えども、何倍もの時間をかけて歩くのはなんだか無意味な気がした。人がまばらになるにつれ、なんとか彼女に追いついた。


 僕の気配を察すると彼女は立ち止まり、黒のロングヘア―を翻して振り向いた。そして唇を開いた。


「聞いてほしいことがあるの」

 すぐに頷いてしまった。彼女と一緒にいるとすぐにペースを握られていけない。



 人気のない住宅街にさしかかり彼女は話し始めた。その間も足の動きは止めなかった。彼女は今までが嘘のように饒舌になった。


「私が普段あまり話さないのには、理由があるの。それはね……人を信じていないからよ」


「信じてないの? どれくらい?」


「敬虔なキリスト教徒が地動説を信じなかったくらい」


「それは信じていないんじゃなくて、正確には信じたくないんじゃないのかな」


「とにかく、私は人を信じていないの。もちろんこんなことは誰にでも話す訳じゃないのよ。もちろんエリにだって」エリというのは橋本のことだ。


「じゃあなんで僕には話すの?」


「なんとなく同じ雰囲気を感じたのよ」


「どうして? どこに?」


「あなたは自分から何か言おうとしないじゃない。気に食わないというか、別に大して面白くないことにも文句を言わずにいるじゃない。私もそういう風に生きられたらいいなって思うのよ」


 そんな風に思われているなんて思いもしなかった。自分の意気地のなさ、自己主張のないことを、この上ない――この下ない――汚点だと考えていたから、心がこそばゆさを感じていた。

「俺はさ、別にそんなんじゃないよ。誰かに自分の主張を押し付けて、仮にそれが通ったとしても、その裏ではずっと相手を否定したことを悔やんでいて、相手に恨まれているんじゃないかってことを恐れている。そんな状況に陥るのが怖いんだよ。ただの臆病なナメクジみたいなやつさ」


 住宅街の中に縮こまった小学校があり、児童の走りながら叫ぶ声が聞こえる。ただエネルギーを発散すればよかった時期を尻目に見ながら歩き去る。


 再び関根が口を開く。

「なんとなくわかるよ。逆に言えばなんとなくしかわからないけど」


「なんとなくしかわからないってその気持ち、すごくわかる気がするな」

 そう僕が言うと、隣で歩いていた関根が、ありがとう、と言った。そしてこちらを見つめた。


 僕は足を止めてしまった。


 関根が笑っていたのだ。

 時が止まる、というのは正にこの感覚かもしれないと直感。しかし涼風が髪を漆黒のベールのように自由自在に変化させている。時間は流れ続けていた。俺は生きていた。


 彼女の凛とした声が再び時を等倍速に戻す。


「最後に一つだけ言うね――――」

 僕は息をのんだ。


『今までの話、ぜんぶうそ(・・)だからああぁぁ!』


 彼女は駆けだしていた。訳がわからなかった。

 え? 嘘? 何それ? 可視化された疑問符が僕から大量に流れ出ているようだった。しかしその間にも彼女はスピードを上げていた。


 彼女は一度振り向いてまた叫ぶ。

『ついてこいナメクジやろぉぉぉ!』

 ついてこい、の声に従順にも走りだした僕は、ナメクジと言うより犬かもしれなかった。しかし、不思議と嫌な気はしなかった。走り出したい気持ちの謎の方が、彼女のことより謎だった。



 一度走り出すと止まるのが億劫で、大通りに出るとき以外はペースを落とさなかった。車は少なく、僕らはあっという間に上野駅に着いた。それでも駅に入ることなく、信号を渡って上野恩賜公園へと入った。

 ジョッグに移行して心拍を整えながら、彼女は僕の顔を見て笑った。笑みが最大限発揮されるときに現れるえくぼに、僕は吸い込まれてしまいそうだった。


 公園内を歩いて木陰のベンチを確保する。緑の日差しと透明に近いブルーの風が、僕らを想像上の海に誘う。


 汗がこの世の海に流されていくのを感じた。かいた汗がこの世に溶けきれなくなることはなく、そこには生を求め続けさせる永久機関のようなものの存在が感じられた。僕はその機械の前で両手を広げ、顎が外れるくらいの大口を空けていればよかった。


「よくわからないでしょ。私」

 関根は目を細めてまだ笑っている。


「全然わからない。火星に生命が存在しているかわからないくらいにわからない」僕も笑っていた。


「自分でもよくわからないの」彼女は笑いを落ち着けながら、ハイでもローでもない声で言う。「自分がどうあるべきかわからないの。だって、今ならまだ何にでもなれそうな気がするから」


僕は首肯する。今はそれだけでよいのだ。


「でも、だからって色んなキャラを乱立させてたら多分みんな困惑するじゃない? だから我慢してたの。それでも我慢には限界がくるでしょ。私、待ってたのよ。自分の可能性を発揮できる人を。もし小出君がかまわないなら、その相手になってほしいの」


「それくらい、別に構わないよ」

それだけを言うのに何分要したかわからなかった。変に緊張してしまって、時の流れが歪んでいた。言い終えた後で、関根の方を見た。


 彼女は寝ていた。思わず「は?」と悪態をついた。


 無理に起こすわけにはいかないので、三十分ほど寝かしておいた。そして彼女は両手を反らしながら精一杯伸ばし目を覚ました。僕は帰ろうか、と言った。

 公園を出るとき、彼女は「実は寝たふりをしてただけだよ」と言い、ほくそ笑んだ。僕は、またかと言いながら頭がクラクラするのを感じた。


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