9.小出の進路(霧)
案の定、翌日松井に呼び出された。
昨日は早退扱いになってるから、と言われた。手回しが大変だったと愚痴られたが、そんなものは謝って済ませればいい。問題は進路のことだ。まだ自分にはやりたいことがなかった。やりたいことがないだけでなく、学ぶための金もあるかはわからなかった。
母に心配をかけるのは嫌だったが、相談しないことの方が母を傷つけると思い、結局は相談した。
「俺って大学行っていいの?」
この上なく真っ直ぐな物言いだと思う。
「もちろん」母としては、これ以外に言えることはなかったと思う。
「これといってやりたいことがなくても?」
「それでもよ」
母曰く、社会に出る前に、自分が人生をかけて一生懸命になれるものを見つけなさい、ということだった。青春なんて空っぽの季節だから、今は何も持っていなくともいい。でも、春が終わって夏が来たら、いつ夕立に振られるかわからない。ときには濁流に投げ出されるかもしれない。そんなとき、何か掴めるものを持っておきなさい。それはできるだけあなたに幸福感を与えてくれるものがいいのよ。また息がしたい、そう思わせてくれるものが、あなたが平衡感覚、視力、聴覚をなくすような苦境の中からでもまだ命をつなげてくれるものになるの。だから、大学に行きなさい。梅雨前線なんて、私が止めておいてあげるから。
母にとって、掴んだものはなんだったか。恐らくは父だったのだろう。今また母が濁流に飲まれそうになったら、今度はまだ見ぬ双子の赤子が救ってくれるのか。
いや、きっと違うだろう。父は「愛情のすり替え」なんて言っていたが、そんなにうまくいくはずがないのだ。なぜなら、産まれたての赤子は言葉を話せないからだ。もちろん赤子だって母を愛しているだろう。母親はそれ以上の愛をもって新しい命に向き合うだろう。それでも愛を確かな形で感じられないことに決定的差異がある。夫婦であれば、マルキ・ド・サドですら青ざめるような愛の言葉だってかけることができるだろうし、言葉が本来の説得力を持たない状況下でも全身全霊全行動を総動員して誠意を証明することもできるだろう。
それが赤子になるとできない。母を求める叫びは、母親にとって安眠を妨げる騒音にしか聞こえないことがあるだろうし、赤子が泣き止まぬ母を一晩中胸の中で支えることはまずできないだろう。無償の愛などといったものは一方通行だ。愛が相補的になるためには幾ばくかの代償が要る。自分を愛するエネルギーの一部から、汚い部分を、かすをこしとって、純で透明な部分を相手に捧げるのだ。どうしてこんな非合理で複雑な仕組みを人類が構築したかは知らないが、三脚が二本足でいるより断然倒れづらいように、人間だって一人より二人の方がずっと強くなれるだろう。
これは仮説だ。僕が今まで打ち立ててきて、これから無数の反例を打ち破り、より強固なものへと鍛え上げないといけない命題だ。それを何事にも揺らがぬ柱にすること、それが僕の生きる唯一の理由かもしれないと思い始めていた。
父の代わりになる人物はもう現れないかもしれない。それでも僕が貧弱な浮き輪にでもなろうとしなければならないのだ。
大学に行く、ということの現実的側面について考えてみる。
大学に行くには金が要る。
子育てにも金は要る。闘病にも、出産にも金は要る。
働かなければ金は手に入らない。
つまり、我が家から金がなくなっていくのは目に見えていた。
これまた母曰く、父が以前から加入していた生命保険により、まとまった額の保険金が入るらしい。それを切り崩しながら生活をすれば育児、または大学入学のどちらかは叶うとのことだ。
でもそこに選択の余地はない。出産・育児に金を使わないこと、病人の治療を放棄することはこの国において許されていない。前途ある若者から学ぶ権利をむしり取ることは許されている。だから僕は諦めるしかない。
別に僕は痛みを感じてはいなかった。求めなければいけなくなる前に、他のものを見つけるだけの話だ。
別にこれは自己犠牲などではない。そう自分に言い聞かせる。




